退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「深夜の妄想あるいは手をかけること」について

2017-06-22 02:13:19 | Weblog
雨のちくもり。思ったほどは降らず。

河合雅雄・林良博編著「動物たちの反乱 増えすぎるシカ、人里へ出るクマ」を読む。

人がもっと山と関わっていた時代に
「里山」は人と動物との「入会地」だったというのにふむふむ。

人がいるときには動物は出て来ず人がいないときに出てくる関係。
それが「高度経済成長」以降に崩れた模様。

アニメ「あらいぐまラスカル」によるイメージ先行で増えたアライグマや
ヌートリアによる「被害」も少なくなく。

科学の力を使ってもまだまだ動物たちの行動を追い切れず。
思うような「ワイルドライフ・マネジメント=野生動物管理」ができないのだと。

もっとも人員不足も大いに手伝っているらしく
その仕事で「暮らしていける環境」が整わないせいだったり。

少なくとも他国と比べて圧倒的に森林が多いのだから
地元住民のみならず都市住民も積極的に関わるようにならないとどうにも。

「猟師の高齢化」についても気になるところ。
「技術や知識を受け継ぐこと」がここでも問題に。

料理を含めそれぞれの技術と知識を持った人々が集まって
ある種の「山岳ゲリラ」として「村」を作ってしまったらどうか。

「貨幣に頼りすぎない生活」を望む人々にはむしろ「うってつけ」。
「白樺派ふたたび」などと。

今ではアイデア次第でどうにかなりそうな気がしないでもないので
「志ある若者たち」はチャレンジしてみて頂きたいところ。

言い方を変えれば「国内移民」とでも。
かつての満州や南米と比べたら「リスク」は相当少ないと思うのだが如何。

「都市でしか生きられない人間の妄想」か。
あるいはある程度「可能性のあるもの」か。

さて。

「手をかけること」は何事においても重要。
なぜならそれだけで「愛情」が生まれるから。

その対象は何であろうとかまわない。
ただし具体的に「手をかけること」が必須。

とにかく「大切にしたいもの」にはそうしないと。
「荒廃」はそうした具体性を欠いたところからさまざまに生まれるものだから。
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