退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「生き物の不思議さと魅力あるいは『危険な手段』」について

2017-06-23 02:23:12 | Weblog
くもり。おだやか。

荒俣宏「磯魚ワンダー図鑑」を半分くらい観て読む。

「観て読む」と言いつつ後者はおざなりに。
知っているものから知らないものまであれこれの魚たちよ。

ハコフグの可愛さやルリスズメダイの美しさ。
あるいは自分と同じくらいの魚を飲み込んで絶命するハナオコゼの壮絶など。

鳥獣虫魚いずれをとっても
「なぜこんな形や色をしているのか」という不思議さは尽きない。

山川草木についても同様に。
観ているだけで楽しくなるのだから何とも「ありがたい存在」ではある。

繰り返すが普段「煤けた人々」ばかり見ていると「目」によろしくない効果が。
むしろ「毒」だと言いたくなる存在も少なくなく。

本来はもっと「楽しそうな人々」を観たいところだけれどそうもいかず。
「家族に乾杯」の鶴瓶くらいにならないと難しそうで。

生来の無愛想も手伝ってなかなか。
まあ仕方ないことだとあきらめておく。

それはそれとして。

「安倍ちゃん仲間の醜態」がまたまた明らかになる。
「類は友を呼ぶ」という「原則」の徹底ぶりをあらためて。

その一方で。

どんな人にも「醜態」はおそらくあり
当人はおそらくそれが「公開される」とは夢にも思っていないだろう。

今回はそれが知らないうちに録音されていたという結果。
これって「まともな評価」なのか。

「政治家」として何をしたかではなく「人」としてが優先され。
それも「プライベートのひどさ」が知られたためで。

もちろん彼女の「異様さ」はわかるのだけれど
「一般人」についてこの種のことが意図的に行われたらどうなるのか。

つまり。

普段はとても穏やかな人がたまたま「激高したシーン」を撮ったとして
それが全国放送あるいはyoutubeで流されたとしたら。

繰り返すが今回の彼女がそうであると言っているのではない。
その種の「危険性」をどう考えるのかについて問いたいだけ。

要は「気にくわない他人」を
いとも簡単に「社会的に貶める手段」が「有効」だということ。

それって誰にでも使われていいものなのだろうか。
というより「あまりに危険な手段」だと思われるのだが如何。

「文脈」を省略して採り上げられるさまざまな「話題」などもあり。
われわれはこの種の「メディア・リテラシー」をもっと身に付ける必要があるような。

いやはや。
くれぐれも「指名手配」は避けたいものではある。
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