晴れ。風が冷たい。
昼近くに起きた後家の掃除。
掃除機をかけ雑巾がけなどした後でシャワー。
ふと思い立って映画を観に行くことにする。
その前に「考える寄生体」読了。
あまり印象は変わらぬまま終わる。
「ラ・ラ・ランド」を観る。
何故この作品がそんなに受けたのか不明。
冒頭の高速道路のシークエンスはそこそこ楽しかったものの。
主役ふたりの歌も踊りも高いレベルではない(他の出演者の方がよかったような)。
カメラはやたらグルグル回るばかりで。
これを「ミュージカル」と言ったらハリウッドの「歴史」が霞む。
「蓄積」をきちんと理解していない人が作った作品としか思えず。
滝廉太郎の「荒城の月」が使われていたのはエンドロールで知った次第。
メインテーマがマイナーがちなのも気になったところ。
「ミュージカルの不自然さ=唐突に歌いだすこと」を観客に納得させるのは
たとえば幼い子どもが訳もなく走り出す「圧倒的な楽しさ」にあるはず。
「身体の動きが生み出す愉悦」がここには少なすぎる。
まあ昔から「アカデミー賞」はそんなものだったりするけれど。
それにしても。
ここでも「劣化」か。
「ふたりとも『成功』している」のだから「ショービズの厳しさ」とは程遠く。
やはり「古典」を知らない人々が多すぎるのだろう。
たとえばフレッド・アステア、ジーン・ケリーは「最低限」ではないのか。
前者は「優雅さ」で後者は「運動神経」。
少なくとも「ミュージカル映画」は「ダンスの魅力」あってこそ。
もちろん中にはキャサリン・グレイソンのような「歌だけの人」もいたりするとして。
いやはや。
本作でも一部分だけ「往年のミュージカル」を感じさせるシーンはあったのに。
そこが短すぎて残念至極。
少なくとも「身体で反応できない作品」であるのは確か。
もっともこれが「現在のリアル」なのだとすれば頭を垂れるのみ。
昼近くに起きた後家の掃除。
掃除機をかけ雑巾がけなどした後でシャワー。
ふと思い立って映画を観に行くことにする。
その前に「考える寄生体」読了。
あまり印象は変わらぬまま終わる。
「ラ・ラ・ランド」を観る。
何故この作品がそんなに受けたのか不明。
冒頭の高速道路のシークエンスはそこそこ楽しかったものの。
主役ふたりの歌も踊りも高いレベルではない(他の出演者の方がよかったような)。
カメラはやたらグルグル回るばかりで。
これを「ミュージカル」と言ったらハリウッドの「歴史」が霞む。
「蓄積」をきちんと理解していない人が作った作品としか思えず。
滝廉太郎の「荒城の月」が使われていたのはエンドロールで知った次第。
メインテーマがマイナーがちなのも気になったところ。
「ミュージカルの不自然さ=唐突に歌いだすこと」を観客に納得させるのは
たとえば幼い子どもが訳もなく走り出す「圧倒的な楽しさ」にあるはず。
「身体の動きが生み出す愉悦」がここには少なすぎる。
まあ昔から「アカデミー賞」はそんなものだったりするけれど。
それにしても。
ここでも「劣化」か。
「ふたりとも『成功』している」のだから「ショービズの厳しさ」とは程遠く。
やはり「古典」を知らない人々が多すぎるのだろう。
たとえばフレッド・アステア、ジーン・ケリーは「最低限」ではないのか。
前者は「優雅さ」で後者は「運動神経」。
少なくとも「ミュージカル映画」は「ダンスの魅力」あってこそ。
もちろん中にはキャサリン・グレイソンのような「歌だけの人」もいたりするとして。
いやはや。
本作でも一部分だけ「往年のミュージカル」を感じさせるシーンはあったのに。
そこが短すぎて残念至極。
少なくとも「身体で反応できない作品」であるのは確か。
もっともこれが「現在のリアル」なのだとすれば頭を垂れるのみ。
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