退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「アーティストにおけるミューズの存在あるいは『意気に感じること』」について

2017-12-23 02:00:30 | Weblog
晴れ。おだやか。

ジル・ネレ「ルーベンス」を見て読む。

かの画家に外交官としての手腕があったことを初めて知る。
もっともそれは「愚昧な王たち」のせいで「平和」には活かされず。

最近ではパリコレのモデルたちも「やせすぎ」は禁物のようだけれど
「ふくよかな女性の魅力」を描いたのが彼だったことを忘れずに。

わが国でいえば「関ヶ原」以降のこと。

工房で共同制作した作品も少なくなく。
妻ふたりを愛していたことがよくわかるものもあり。

二人目の妻は弱冠16歳でその時彼は53歳。
「ロリータ」を求めたのは「貴族の女性の虚栄」を嫌ったからだとのこと。

現代なら「犯罪」と呼ばれる類い。
「毛皮を着たヴィーナス」を書いたマゾッホは「小さな毛皮(毛皮さん)」を傍らに置いていた。

いずれにせよふたりが「ミューズ=女神」であったことは確か。
そのおかげでわれわれは素敵な作品の数々を見られるわけで。

それとは別に。

「精霊の守り人 最終章」の再放送をまた観る。

弟ジグロの在り様を兄カグロがある種「過剰に」繰り返す「物語」にふむふむ。
「犠牲」によって「生かされた者」が次に血縁とは関係なく「生かされる者」を生み出す妙。

原作を読んでいないので詳細は不明だがこの展開はなかなか。
小林信彦流に言えば「人生を感じさせる」。

さらには現代だからこその「受け継ぎ」のような感じも。
このあたりを「意気に感じる人々」がたくさんいてくれればありがたいような。

「タンポポの散種」のアナロジーを思い出して。
誰でもいいから受け取ってというメッセージだと解釈していただいて結構。

つまり。

国籍も人種も関係なく。
やはり本作は海外に紹介すべきだと思うことしきり。

あらためて「物語の精妙ぶり」を味わった次第。
怒涛のように押し寄せる怒りを辛うじて押し止める綾瀬はるかは文句なしに素敵。
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「キノコとカビに学ぶこと」について

2017-12-23 02:00:22 | Weblog
『晴れ。寒さはそれほどでもなく。

深澤遊「キノコとカビの生態学 枯れ木の中は戦国時代」を読む。

「木材腐朽菌」の材腐朽の仕方はそれぞれに。
白色腐朽・褐色腐朽・軟腐朽・糖依存の4種類だとのこと。

セルロースやヘミセルロースを糖に分解してそれをエネルギー源にするらしい。
ちなみに木材の細胞壁の主成分は上のふたつにリグニンを加えたもの。

「白色腐朽」はリグニンを分解・除去してセルロースやヘミセルロースに迫り。
「褐色腐朽」は活性酸素を発生させリグニンを変質させて後者ふたつに迫る。

「軟腐朽」は含水率が高くすでにリグニンが分解されている「白色腐朽材」のみを利用。
「糖依存」は動物の糞や死体、糖分の多い果物など利用しやすい低分子の糖分に依存する模様。

なるほど「棲み分け」がきっちり行われているのねという印象。

そうした「領地獲得競争」の中で「バリアー」として生まれるのが「帯線」。
枯れ木の丸い表面に見られる「シワシワ」が実はそれだと。

人間以外の「世界」を見てみると
いずれも「熾烈な競争と棲み分け」が実に絶妙なバランスを保っている。

そうした「現実」に文句も言わず
ひたすら「生き延びること」を目指すのみという「潔さ」よ。

この見事な「自然さ」をわれわれも持てないものかと思いつつ
たぶん無理だとの結論に至る次第。

自然界に「食物連鎖」があるのならわれわれの世界にも同様に。
ただしそれを「当然」だとしないのがわれわれの「好ましい倫理」になったり。

あらためて「人の存在の厄介さ」を思う。
「棲み分け」が各自にとって「ウィンウィンの関係」であることを覚えておこう。』でまた寝る。
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