晴れ。本格的な寒さはいまだ。
井上達夫・小林よしのり「ザ・議論」を読む。
「ザ=the」という「定冠詞」にふさわしい内容。
平たく言えば「こういうのが『議論』だ」ということ。
端から相手の言うことに耳を貸す気もなく
ひたすら相手を「間違っている」とする類いのそれとは違う。
自分の気分を晴らすためのものでもなく。
「どのあたりに『本当』があるのだろう」と思いつつ探るという「本筋」。
そのためにお互いの知識や経験、判断を持ち寄って。
あらためて小林よしのりの「真っ当さ」を思った次第。
マル激を観る。
今回はお馴染みの郷原信郎を迎えて「過剰なコンプライアンス=法令順守」について。
「車検」はなぜ行われるのかといえば国が一台ごとの安全基準を保証するため。
各自動車会社もその「方針」は受け入れている。
ただしそれは「自動車」が「安全」かどうかが曖昧だった頃の「基準」。
今となってはその種のものは自動車会社にとっても「当然のこと」。
そもそも「安全性」についてはどの分野においても「遊び」がある。
要は「基準以上の厳しさ」を前提とすること。
その「ズレ」をあらためて上層部から「決まった数字」として強制されると
「形式にすぎない」と思う現場はそれを「取り繕うこと」になると。
かくして「隠蔽の構図」が出来上がる次第。
「現場と上層部のデイスコミュニケーションぶり」よ。
ただし。
たとえば「制限速度」を「絶対的な基準」にしてこなかった「歴史」が確実にあり。
当時はそれでどうにかなっていたのだけれど。
そうした「共通感覚」が失われてしまった「現在」において
頼りは「数字だけ」となるのも致し方ない場面もなくはなく。
「契約」というもののあり方についてあらためて思う。
そもそもわが国は「相手を信用すること」が優先されていて。
あらゆる場合を想定した上で「契約」を結ぶスタイルを持つアメリカとの
「土壌の違い」を無視して「コンプライアンス」という「基準」を持ち込んだわが国。
まるで「明治の文明開化」のようで。
マスメディアにおける報道の最大の問題は
「数分で説明できないことは採り上げられない」ことであるのも忘れずに。
繰り返すがいたずらに「白黒」をつける前に「現実の複雑さ」を忘れずに。
「自分にとっての現実」などどうでもよく。
「現実に対する自分の立ち位置」をしっかりしないとどうにも。
井上達夫・小林よしのり「ザ・議論」を読む。
「ザ=the」という「定冠詞」にふさわしい内容。
平たく言えば「こういうのが『議論』だ」ということ。
端から相手の言うことに耳を貸す気もなく
ひたすら相手を「間違っている」とする類いのそれとは違う。
自分の気分を晴らすためのものでもなく。
「どのあたりに『本当』があるのだろう」と思いつつ探るという「本筋」。
そのためにお互いの知識や経験、判断を持ち寄って。
あらためて小林よしのりの「真っ当さ」を思った次第。
マル激を観る。
今回はお馴染みの郷原信郎を迎えて「過剰なコンプライアンス=法令順守」について。
「車検」はなぜ行われるのかといえば国が一台ごとの安全基準を保証するため。
各自動車会社もその「方針」は受け入れている。
ただしそれは「自動車」が「安全」かどうかが曖昧だった頃の「基準」。
今となってはその種のものは自動車会社にとっても「当然のこと」。
そもそも「安全性」についてはどの分野においても「遊び」がある。
要は「基準以上の厳しさ」を前提とすること。
その「ズレ」をあらためて上層部から「決まった数字」として強制されると
「形式にすぎない」と思う現場はそれを「取り繕うこと」になると。
かくして「隠蔽の構図」が出来上がる次第。
「現場と上層部のデイスコミュニケーションぶり」よ。
ただし。
たとえば「制限速度」を「絶対的な基準」にしてこなかった「歴史」が確実にあり。
当時はそれでどうにかなっていたのだけれど。
そうした「共通感覚」が失われてしまった「現在」において
頼りは「数字だけ」となるのも致し方ない場面もなくはなく。
「契約」というもののあり方についてあらためて思う。
そもそもわが国は「相手を信用すること」が優先されていて。
あらゆる場合を想定した上で「契約」を結ぶスタイルを持つアメリカとの
「土壌の違い」を無視して「コンプライアンス」という「基準」を持ち込んだわが国。
まるで「明治の文明開化」のようで。
マスメディアにおける報道の最大の問題は
「数分で説明できないことは採り上げられない」ことであるのも忘れずに。
繰り返すがいたずらに「白黒」をつける前に「現実の複雑さ」を忘れずに。
「自分にとっての現実」などどうでもよく。
「現実に対する自分の立ち位置」をしっかりしないとどうにも。