退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「貧乏の正しさと好ましい経済」について

2014-06-06 01:34:13 | Weblog
くもりときどき雨。豪雨の予想ははずれる。

「論文捏造」読了。

もうひとつ「小保方騒動」と似ているところを発見。
本来なら「却下」されるはずの論文の書き方がずっと許されたこと。

よって当人は「その程度のことは問題ないはず」という考えに至る。
「罪の意識」がない分第三者から見た真偽の印象が変わるのだ。

もちろん当人を「保護」する「権威」もついているのだからなおのこと。
そして「権威」に「野望」があればさらに。

この「相似」はほぼ「合同」に近く
なるほど「同じ構造」があるのだとあらためて思った次第。

そして「原子力村」があれば「科学村」もあり
要はそれぞれの「利害集団」が自らの権益のために動いているのも同じ。

たとえばマスコミはスポンサーを批判するニュースを避けるものであり
政治家は献金先の利益を害さない行動をするもの。

科学研究の世界だとそれは「対価要求の早さ」となって現れるだけ。
いずれも問題は「金の出所」であることは明らかで。

「貨幣と商品の交換速度」を科学に持ち込むのはマズイのだとして
結局は「信頼できる個人」に「個人献金」するしかないのかもしれない。

とりあえず「プールされた貨幣」が実は「悪事の元」になりやすいことを知っておこう。

一番わかりやすのは「業務上横領」。
あるいは「ヘッジファンド」となって国の経済を揺さぶったりもする。

消費税がそもそもは「戦費調達」のためのものだったこともあり。
少し歴史を振り返れば誰にでもわかる「事実」を忘れずに。

繰り返すが橋本治が言ったように「貧乏は正しい」。
あとはその「貧乏の程度」を各人が納得するのみ。

もっとも「必要以上の貧乏」はむしろ「貨幣への執着」を生み出すのでご用心。
そしてその「按配」こそが「経済の要諦」であるはず。
コメント
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