退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「近視眼的であることのマイナス」について

2014-06-05 01:21:01 | Weblog
くもり。夜になって少し雨。

村松秀「論文捏造」を半分くらい読む。

NHKの番組を書籍化したもの。
今から12年前の世界的事件について。

アメリカの名門ベル研究所でノーベル賞候補と言われていたスター学者が
実はデータを捏造していたというのがその内容。

番組そのものは10年前で本書はおよそ8年前。
「小保方騒動」がこの事件の「ミニチュア版」のようなものだということがよくわかる。

ちなみに理研では05年にすでに論文の画像やデータの改竄があり
調査対象となった3名のうち2名が自主退職していることも覚えておこう。

なぜ同じような事件が繰り返されるのか。

科学者でなくともそこに「構造」を見るのが当然。
至極簡単に言ってしまえば「研究の対価」を要求するスピードが上がったこと。

かなりの予算をもらった上で常に「結果」を求められれば
誰もが「結果」を出さなければならない「強迫観念」にとらわれる。

もちろん「大発見」などそうそうあることではないのでついつい「捏造」してしまう。
そこにすでに実績のある学者の「思惑」が絡んだりするのも手伝って。

「ネイチャー」「サイエンス」といった「権威ある」論文誌も
結局「レフェリーの忠告」より「話題」を優先させるようで。

これではむしろ「捏造しない研究者」が「まともすぎる」ようにも思えるのだが如何。

科学的な「ブレーキ」があるとすれば「大原則」ではあるけれど「再現可能であること」。
その基本に忠実でさえあれば「事件」は少し抑えられるかもしれない。

ただし「あまりに早急な対価の要求」がある以上「構造」に変わりはなく。
この種の「経済」はすぐに「破綻すること」は知っておいた方がいいだろう。

「近視眼的」。

このひと言ですべてが言い表せる「単純さ」が世界のあちこちにありすぎる。
コメント
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