退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「相手に対して恥ずかしくない存在である」ことについて

2011-06-30 03:21:18 | Weblog
晴れ。というより猛暑。

二軒目の避暑地ドトールで「黒澤明 全作品全生涯」読了。
さすがに昼間は部屋にいられない。

夕方から扇風機を固定してマル激を観る。

「再生可能エネルギー特措法」の中身をよく見てみると
「全量買い取り」」も「固定価格買い取り」もその「期限」も官僚が自由に操れる内容らしい。

地方の「スポンサー」としての電力会社の存在は非常に大きくあらゆるものに「影響」を与えている。
その「プラットフォーム」を変えることは電力供給に止まらず「既得権益」を変えること。

「原子力関係者」だけでも「3万人」くらいいるようで
彼らの「転職先」もふまえた上での「脱原発」が重要だとも。

「年金も貯金もない身」からすると
彼ら彼女らの「最低限維持したい生活レベル」について考えてみたくなる。

もちろん人は何にでも「慣れる動物」なので
ある程度の「贅沢」を知ってしまえばそれを維持したい気持ちが強くなるのはわからなくもない。

がしかし。

「自殺の増加」が必ずしも「経済的苦境」のみで起きるのではない「事実」もある。
「人はパンのみに生きるものではない」ことも確かで。

いたずらに「貧乏」を恐れるよりは
むしろいかに「そこそこ楽しく暮らせるか」をそれぞれに追求してみてはどうだろう。

たとえばありきたりなJ-POPは「恋愛」を歌いがちだけれど
本当に「ギリギリ」のところでは「彼ら彼女らのために無様な姿は見せられない」というあたりにあったり。

要はそばに「大切な人がいること」。

その「シンプル」をもう一度思い出せれば幸い。
コメント
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