Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

焼き直し

2008年12月18日 03時23分25秒 | Weblog
 興味のある記事というのはその人の関心を示すものだ。このブログでの多くの英語記事などは、実はおれは、それほど興味のないだが、英語圏ブログの欧米優越主義や、けったいな日本に関する記事やコメントを散見して、その反動で集めているようなものである。

 前回の、NYTの記事は、実はBlack Tokyoさんのところでみた記事なのだが、今回の記事もそこからひろってきた。
 
香山リカのココロの万華鏡:デートDVの増加 /東京

 NPO法人全国シェルターネットの遠藤智子事務局長と、デートDVについて語る機会があった。デートDVとは、主に若者のカップルの間で起こる暴力を指す。いわゆるDV防止法は夫婦や内縁関係にある人のためにあり、交際中に起きるデートDVはその対象外となっている。

 暴力といえば「殴る・蹴(け)る」を想像する人が多いだろうが、デートDVでは監視や支配といった外からはわかりにくい形の精神的暴力が起きていることも少なくない。

 遠藤事務局長は「携帯電話の普及が新しい形のデートDVを増加させた」と話していた。恋人である女性には大学の講義がひとつ終わるたびに「いま終わりました」と連絡してくるよう強要したり、女性の携帯電話に登録してある異性の電話番号やメールアドレスを全部、消去するよう命じる男性などもいるそうだ。

 そういう男性たちは、機嫌のよいときには「おまえのことを愛しているからこそ、独り占めしたい、全部知りたいんだ」と囁(ささや)き、女性の側も「本当に愛されているのかもしれない」と思い込んでしまう。周囲との接触を絶つように言われたうえ、「おまえはバカなんだ」とののしられ続けると、女性は次第に「バカな私にはこの人しかいないんだ」と隷属を受け入れていくようになってしまうのもデートDVの特徴だ、と遠藤事務局長は教えてくれた。

 ちょっと聞くと、「結婚しているわけでもないんだから、そんな男とはすぐに別れられるはず」と感じるかもしれない。中には、「こんな男性と付き合ってもプラスにならない」とわかっている人もいる。しかし今の若い女性たちの中には、「付き合っている彼氏がいない」という状態にはどうしても耐えられない、という人も少なくない。

 かつて、ある女性は診察室を訪れ、デートDVの被害を訴えながら、「このままじゃいけないとわかっている。でも、ひとりは寂しくて寂しくて……。それに、みんなカップルでいるのに、私だけひとりじゃ恥ずかしいし」とうつむいた。周囲への見えと孤独への恐怖から、彼女は「DV男の彼氏でもいないよりマシか」という誤った選択に走ってしまったのだ。

 クリスマスも近づき、女性の誰もが「恋人がほしいな」と強く思う時期かもしれないが、自分を破壊してしまうDV男といるくらいだったら、ひとりですごすほうがずっと賢明と言える。恋人がいないことは罪でも恥でもない、と若い人には自信を持ってもらいたいと思う毎日

 別になんていうことのない記事であるが、例のNYTの記事と重なるとなんだか雲行きが怪しくなってくる。
 例の如く例のように、東洋や日本に対する奇妙な妄想で、例外的なケースでもって、日本人の男女関係を一般化されては困るから、一応コメントしておく。

 香山リカの使っているDVや精神的暴力というのはもちろん、アメリカの精神医学などから拝借された概念だ。
domestic violence
domesitc violence
また、この手の恋愛依存症についてもWomen Who Love Too Muchなどちょっと古いがポピュラーだったものだろう。日本語にもたしか翻訳されていた。
 
 香山リカ氏らはそれの焼き直しをしているだけの話なのだが、欧米人のなかには日本にくると自国のことはさておき、あるいは美化して、突然即席フェミニストに変身してしまって、例外を一般化し、文化論を説き始め、あるいは説教しはじめる人もいる、ということなので、一応注意を喚起しておこう。


 

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