Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

君主制のメリット

2008年02月04日 04時37分53秒 | Weblog
太田述正氏が君主制のメリットに関する面白い記事を紹介している。要点は、

Liberals tend to regard being subjects of the Queen as an insult to their dignity. But at least the archaic structures by which we are ruled do not force us to define ourselves by blood, soil or faith, and we are protected from the poisonous politics of identity.
リベラルは女王の臣下であることを侮辱だとみなす傾向があるが、このような古めかしい体制にあるということで、血や土地、信仰によって我々を定義しなくてすみ、特定目的のために民族・宗教など同一性を求心力に利用しようとする政治紛争に巻き込まれなくて済むのである。John Gray



日本の天皇制におきかえるとどうだろうかね? 

ちょっとググってみる。
で、まずは左翼系がでてきた。

学校行事の「感動的な瞬間」、卒業式や入学式といった瞬間が、常に「日の丸君が代」とセットになっている。卒業式や入学式による感動、精神の高揚を、日の丸君が代に対する精神の高揚へとかすめ取ろうという、姑息な作戦ですな。
「○×小学校が卒業する」ということと、「ああ私は日本人」ということとはなんの関係もないわけで、そんな事でいちいちナショナル・アイデンティティに目覚めたりする義理は本来ないわけですが、そおゆう機会をとらまえて、「国家への帰属」を強調していく・・・んでさ、そおゆうイデオロギー=物語って、大体においてでっち上げでさ、別に天皇行事に歴史も伝統もそんなにないわけです。ですぺら 馬鹿サヨblog

まあ、これはそうだろうね。天皇制とかは究極的には合理性のない一種の神話だ。これは保守系でも認める人もいるね。しかし、その一種の虚焦点に有益な役割を見いだしたのが上記の記事である。
 他にもこんなのがある。

つまり、幕藩体制とか、軍国主義体制とか、既存の法体制、政治体制では、もはや事態を処理できなくなったような難局において、天皇制の助けを借りたのである。いずれの場合も、ほかの国ならば、大規模な流血の革命か内戦は避けがたいような場合に、天皇制を中心として、国家的統一と、国家としての継続性を保ったのである。つまり、日本という国は、その歴史と伝統によって、他国には類例の少ない貴重な政治的財産を持っている国だということである。

岡崎久彦「国際情勢判断」p22~23ブログ暁


また、Yahoo 知恵袋では、

権威(天皇)〟と〝権力(政治)〟を分けることで独裁になるのを防いでる。
どんなに強大な権力も権威の前では跪かなければならないから、ということのようですが。
ちょっと違います。
近代以前は権力は権力の正当性を担保する権威を必要とした、という解釈が近いですね。
つまり正当性を得るために自ら進んで跪くので

Yahoo知恵袋

もっとも、
間違ってます。いつの時代も、権力が権威を利用してきたのです。
という回答もついている。

たしかに、そうした危険性はある。しかし、そうした危険性だけに眼を向けるのも片手落ちだ。日本の左翼は最終的には国家殲滅を目的とするそうだから、それでいいかもしれんが、国家はマルクスのいうように「眠り込んでし」しまう気配もない。そして、国家が存立し続けるにはある種の物語が必要である。(それは例えばアメリカのような君主制でない国でも同様である)国民に権力をかざさず、国民と最も遠く、また、もっとも緩い関係での君主制のもつ有益な側面は認めておいてよいのではないだろうか?

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6 コメント

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Unknown (mozu)
2008-02-04 06:06:43
君主制のメリットはかなり大きいと思いますよ。イギリスがあれほどの政治的安定性と柔軟性を保ってこれた理由として王室の存在は無視できないでしょう。対照的に思い浮かぶのは革命後のフランスや第一次大戦後のドイツの混乱ぶりですね。象徴的統合が崩壊した後に新たな象徴を生み出し安定するまでというのはどうも数十年ではきかないくらいの大変な作業のようです。

もし占領統治期に皇室が廃止されていたら戦後日本はイラクとは言いませんが、ワイマール共和国みたいになったかもしれませんね。左翼のみなさんが何と言おうとも、昭和天皇が戦後日本の政治的安定を守りきったことは疑えないと思えます。たいしたものだなとつくづく感心します。

また皇室なき日本というのを想像すると思い浮かぶのは韓国ですね。ダイナミックコリアなんて言い方もありますけれど、あの断続性と不安定性は王室を失ったことに起因する部分もあるんじゃないかなと思うことがあります。もし戦後に君主制が敷かれていたらそうとう違った国になったような気がしますね。現実的にはそういう選択肢はなかったかもしれませんが。

権威が権力に利用されるというのは日本の政治史そのものですね。そういう意味でわたしは皇室には政治からは少し距離をとっていてほしいなと思っています。以前は素朴な開かれた皇室論者だったんですけれども、どうも政治利用しようという輩があとをたたないですから。宮内庁もっとしっかりブロックしろと正反対になりつつあります。ときどきテレビでお姿を拝見して国民の多くが和むというような現在のあり方は悪くないと思いますね。それ以上は現在のところはあやういかなと。
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Unknown ()
2008-02-04 10:46:45
Mozuさま
ありがとうございます。
同感ですね。

私、都立校で、学校の教師に毎回のように天皇制反対、反対と言っている先生がいた。おもしろい先生でしたけど、それで、君が代なんかも式典では演奏もされなかった。じゃ、天皇が嫌いになったかっていうとそうでもない。好きかというとそうでもない。皇居で旗ふって万歳する気はない。日常は関心もない。せいぜい皇室のゴシップをときどきおばちゃんたちから聞くくらい。
ところが、あるとき、韓国で平成天皇の写真を赤くばってんか何かしたプラカードをもって例の如く騒いでいる写真があった。このときは、なぜか怒りを覚えた。

 天皇というのはやっぱ遠いところにある、というのがミソで、だからこそありがたい。
国家の機関で裁判所というのは多数者、民衆の横暴から、人権を守るために民選でなく、また、民意から距離をもっているという意味で国民から遠いところにありますが、それよりももっと遠いところにいる。というより、遠いところにあるべきで、裁判所があまりに民意を反映しすぎると、人民裁判のような横暴が横行するように、天皇も特定の国民と近づきすぎると何らかの専横が行われやすくなるのかもしれない。それゆえ、国民とはもっとも緩やかな関係を維持しなくてはいけないのかもしれません。

 強く前面にでてきたり、あるいは、出そうするといけない。いつもは忘れているが国家の節目ーー小さな節目、大きな節目とありますけどーーーにちょこっと出てくる。そんな感じがいいのではないでしょうか?

 裁判所の場合、人権保護という機能があるが、天皇の場合、統合の象徴として、国家の保護という機能があるのかもしれませんね。

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Unknown (mozu)
2008-02-04 22:30:22
ええ、皇室に関する感覚は空さんとほとんど同じです。また多数派の感覚でしょうね。言挙げしないというのが一番のリスペクトの形だろうと思います。皇室についてガタガタ言う人が皇室にとって一番迷惑な存在だということがどうも分からないみたいですね。ストーカーと同じで。

わたしは親が反天皇制の人だったんですが、影響は受けてないです。思想的なものは世代間で伝達されにくいようです。年少時のわたしにとっては昭和天皇はイデオロギー的な存在というよりも皇居の森の精みたいな存在でした。なにか人間離れしていましたからね。

ただ皇室に対する戦後のわだかまりみたいなものは昭和天皇の崩御とともにずいぶん解けてしまったように思いますね。戦後の思想家や批評家や文学者の書いたものを読んでいるとほんとうに大きな存在だったんだなというのが分かります。世代によって違うんでしょうが、崩御の際に書かれたエッセー類をまとめて読んだ時に、天皇制反対してたけど自分でも訳が分からないほど動揺した、それで自分の感受性が父に反抗する子供の甘えに過ぎなかったことに気付かされた、やっぱり偉大な人だったと中野翠が書いていて、戦後世代のわだかまりの感覚がよく分かったように思いました。ともかくこの時代に比べると健全化がすすんでいると思っています。

ふだんは意識していないけれど、侮辱されているのを見ると腹立たしさを感じるというのはそうですね。不思議なものです。わたしは中国や韓国がなにを言おうとさほど腹が立たないんですが、BBCの皇室報道にはけっこういらつきますね。特にイギリスに対して思うところはないんですがね。

裁判所の話ですけれども、裁判員制度って必要だとあまり思えないんですよね。中途半端に陪審員制度の真似ごとをする意味はあるのかなと。大陸の参審人にあたるんだという話ですが、英米法コンプレックスからきているようにしか見えないんですよね。誰が後押ししているのかよく分かりませんが。たぶんまともに機能しないような予感がします。
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Unknown ()
2008-02-05 07:06:38
Mozuさま
ありがとうございます。たいへんためになります。
なるほど、昭和天皇に対して複雑な思いがある人々というのは結構あるもんなんですね。

もとももと最低限の民主的コントロールということで、陪審制の復活ということが言われていましたが、陪審制は事実の認定を素人にまかせてしまうことになるので、裁判官の権限を保った形で、参審制より弱い今の形になったのではないでしょうか?

裁判への関心を高める、また、裁判官の適正な裁判の監視をする、という意味では有意義かもしれませんが、うまく機能するかどうか・・・ちょっとまだわかりません。
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kensuke2@mb.infoweb.ne.jp (ケンスケ2)
2008-02-12 05:05:54
今再びこの国の統治構造が根本から変更されつつありますね。グローバル企業の本拠地として生きていくしかなくなっていますが,そうなるとビジネスボードの下に,国の統治機構が付属するようになりそうです。
労働力再生産機構としての機能が,最大のものでしょう。
この国には企業の在外資産を保護する力はありません。本土防衛以外に。
それはグローバル企業自身の交渉力に,完全に依存せざるを得ないでしょう。
かつての堺の商人達のように。
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kensuke2@mb.infoweb.ne.jp (ケンスケ2)
2008-02-12 05:19:51
このままビジネスボードの要求を丸飲みし続けていれば,人口減少によって国家が消滅するかも知れませんね。
勿論外国人労働力をどんどん受け入れていけば,経営的には問題はないかも知れませんが。
主導権を握っている経営者達に,国家の存続への責任感が見られませんから。
家族への責任を放棄した会社仁賢のお父さん達にそっくりな行動です。
企業のコンプライアンスが問題になるのは,その為です。
彼らに家長としての自覚がないのです。
日本という国家の家長としての。
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