和辻哲朗 の続日本精神史研究について、
最近、読んだ 本、日本語の哲学への一節であるが、私の印象もほぼ近い。
基本的には、異文化の受容については開かれており、その開き具合の調節で、ときに、外国崇拝になり、また、ときに、攘夷的になる、が、根底においてはかなり開かれている。
生活の周囲にある製品あるいは、町並みをみれば明かであろう。中国文化、朝鮮文化、欧米文化などなど様々な文化的影響がみられ、元になる文化のスキルを吸収しながら洗練されて、あるいは、旧来の地域の特性に合わせた形である。
動画の投稿で、
Sad and Lonely at Saga Jinjaというのがあるのに気づいた。2010年の1月25日づけだから、ちょっと古いかもしれないが、さまざまなレスがついている。
日本人になれるのか?
様々なレスが付いている。全部見ていないのだが、
ひこざえもん氏のレス
It Ain't Easy Being Japanese (response to Bobby Judo)
異文化経験をする時、当たって砕けろ! Go Hard or Go Home!(日本語)
が有益・適切なのではないか、と思う。
外国で暮らすというのはカルチャーショックでいろんな局面がある。こうした局面があるのは自然であるが、しかし、これは、日本の特性というよりも、異文化で暮らす場合にどこからどこへ行っても起きうる現象であろう。
夏目漱石やら、森鴎外、あるいは、遠藤周作やら小説家たちが若い頃留学し同じような葛藤があった。
日本人が海外で暮らすようになってもあることである。
日本ではしきたりが多いというが、しかし、それは例えば米国でも多いのである。
米国でも地域や集団によって違うと思うが、なんであんなガヤガヤ大げさに振る舞う”しきたり”があるのか、あるいは、なんで挨拶するのに、お辞儀もせずに、はーい、と気楽にやる”しきたり”があるのか、なんで、”星条旗”を恥ずかしくもなくふる”しきたり”があるのか、なんでハグなんかしたりするのか、等々、要するに異なる文化で、異なる振る舞いのルールがあり、どの文化もそれに固有なルールを身につけていくものだろう。
この壁を突破するのはかなり苦労する。
まず、言葉の壁がある。
多くの在日外国人の場合、まず、この段階でくじけているように思う。
さらに、言葉以外の問題がある。振る舞いや慣習の違いである。例えば、これは、やはり、日本人の友人や配偶者に相談しながら自分なりのものを形づくっていくしかない。
日本人になれるか?法律的に言えばもちろん、なれるわけであるが、日本人と同じように扱われるになるか、というと、場面によって異なるだろう。”白人”や”黒人”の移民の人口比およびその歴史の浅さから、一般人から外国人と自動的に推定される、というのは(ーーーあの移民の人口比が大きく、歴史も古いアメリカでも比較的新しい移民に対しては、そうなのであるからーーー)多分続くであろう。
確かに、一般人は”白人”や”黒人”を外人と推定するだろうが、日本で生活するのに、親しい日本の友人や仲間ができ、あるいは愛する家族をもち、そして、不満をかかえながら仕事をする、大抵の日本人はそうした生活をしているのであって、それ以上になにを求めているか、理解しにくいところではある。
もちろん、日本国籍をもち、日本語も十分できるにもかかわらず、外国出身ということで、職業選択の自由の機会などが不当に奪われている、というなら、これはまた一つの問題であるが、それはそれで日本社会に日本語でうったえていってもらいたい。仮にそうしたことがあれば、法的にも問題になるし、実際的にも、そうした人々に同情し、支援する人々はかなりいる筈である。
外国に対しては攘夷と崇拝の揺れがありそれに応じたように、外国・外国人嫌いな人も、崇拝する人もいる。基本的には、日本は、文化的な側面で外国文化を取り入れるのはわりに得意だと思うが外国出身者の受容に関してはこれからの課題であろう。もっとも、帰化人の徴用などをみても、それほど否定的でもないように思う。私は楽観的である。
もっとも、外国出身者の方も、訴える相手が同族の外国人では、まだ、日本の社会への参加意識・参加意欲がそもそも、薄いのではないか、日本語で参加する以前に自ら日本・日本人を拒絶しながら、拒絶された、と思っている場合もおおいのではないか、とも思う。、お客として振る舞うのをやめることがお客として扱われない第一歩だ。
上記、ひこざえもん氏が英語と日本語で、外国人と日本人の橋渡しをして貢献されているようでこうした方々が増えてくれることを希望する。
その最初の章において、和辻氏は真正面から日本精神とは何か」をといなおす。するとそこに浮かび上がってくるのは、逆説的にとも言える日本精神のかたちである。すなわちそれは、「おのれを空しゅうして他国文化を受容する態度」であり、「日本的精神を否定するという日本的特性」である。・・・・・ときとすると、おそろしくトンチンカンな外国崇拝となってあらわれることもあるけれども、一面では、それは他国のすぐれた文化に対する「きわめて鋭敏な感受性」としてあらわれ、わが国の文化を含めてきた功績者でもあるのだ、と指摘している。116項
最近、読んだ 本、日本語の哲学への一節であるが、私の印象もほぼ近い。
基本的には、異文化の受容については開かれており、その開き具合の調節で、ときに、外国崇拝になり、また、ときに、攘夷的になる、が、根底においてはかなり開かれている。
生活の周囲にある製品あるいは、町並みをみれば明かであろう。中国文化、朝鮮文化、欧米文化などなど様々な文化的影響がみられ、元になる文化のスキルを吸収しながら洗練されて、あるいは、旧来の地域の特性に合わせた形である。
動画の投稿で、
Sad and Lonely at Saga Jinjaというのがあるのに気づいた。2010年の1月25日づけだから、ちょっと古いかもしれないが、さまざまなレスがついている。
日本人になれるのか?
様々なレスが付いている。全部見ていないのだが、
ひこざえもん氏のレス
It Ain't Easy Being Japanese (response to Bobby Judo)
異文化経験をする時、当たって砕けろ! Go Hard or Go Home!(日本語)
が有益・適切なのではないか、と思う。
外国で暮らすというのはカルチャーショックでいろんな局面がある。こうした局面があるのは自然であるが、しかし、これは、日本の特性というよりも、異文化で暮らす場合にどこからどこへ行っても起きうる現象であろう。
夏目漱石やら、森鴎外、あるいは、遠藤周作やら小説家たちが若い頃留学し同じような葛藤があった。
日本人が海外で暮らすようになってもあることである。
日本ではしきたりが多いというが、しかし、それは例えば米国でも多いのである。
米国でも地域や集団によって違うと思うが、なんであんなガヤガヤ大げさに振る舞う”しきたり”があるのか、あるいは、なんで挨拶するのに、お辞儀もせずに、はーい、と気楽にやる”しきたり”があるのか、なんで、”星条旗”を恥ずかしくもなくふる”しきたり”があるのか、なんでハグなんかしたりするのか、等々、要するに異なる文化で、異なる振る舞いのルールがあり、どの文化もそれに固有なルールを身につけていくものだろう。
この壁を突破するのはかなり苦労する。
まず、言葉の壁がある。
多くの在日外国人の場合、まず、この段階でくじけているように思う。
さらに、言葉以外の問題がある。振る舞いや慣習の違いである。例えば、これは、やはり、日本人の友人や配偶者に相談しながら自分なりのものを形づくっていくしかない。
日本人になれるか?法律的に言えばもちろん、なれるわけであるが、日本人と同じように扱われるになるか、というと、場面によって異なるだろう。”白人”や”黒人”の移民の人口比およびその歴史の浅さから、一般人から外国人と自動的に推定される、というのは(ーーーあの移民の人口比が大きく、歴史も古いアメリカでも比較的新しい移民に対しては、そうなのであるからーーー)多分続くであろう。
確かに、一般人は”白人”や”黒人”を外人と推定するだろうが、日本で生活するのに、親しい日本の友人や仲間ができ、あるいは愛する家族をもち、そして、不満をかかえながら仕事をする、大抵の日本人はそうした生活をしているのであって、それ以上になにを求めているか、理解しにくいところではある。
もちろん、日本国籍をもち、日本語も十分できるにもかかわらず、外国出身ということで、職業選択の自由の機会などが不当に奪われている、というなら、これはまた一つの問題であるが、それはそれで日本社会に日本語でうったえていってもらいたい。仮にそうしたことがあれば、法的にも問題になるし、実際的にも、そうした人々に同情し、支援する人々はかなりいる筈である。
外国に対しては攘夷と崇拝の揺れがありそれに応じたように、外国・外国人嫌いな人も、崇拝する人もいる。基本的には、日本は、文化的な側面で外国文化を取り入れるのはわりに得意だと思うが外国出身者の受容に関してはこれからの課題であろう。もっとも、帰化人の徴用などをみても、それほど否定的でもないように思う。私は楽観的である。
もっとも、外国出身者の方も、訴える相手が同族の外国人では、まだ、日本の社会への参加意識・参加意欲がそもそも、薄いのではないか、日本語で参加する以前に自ら日本・日本人を拒絶しながら、拒絶された、と思っている場合もおおいのではないか、とも思う。、お客として振る舞うのをやめることがお客として扱われない第一歩だ。
上記、ひこざえもん氏が英語と日本語で、外国人と日本人の橋渡しをして貢献されているようでこうした方々が増えてくれることを希望する。
在日英会話講師のガイジンが知的障害者と思われる日本人を盗撮し、小馬鹿にした動画に注意もせず同調したコメントを残したのを見て驚いた。
日本語ができれば良いというわけではない。
橋渡しなど到底不可能。
調べれば、有道にインタビューしていたトーキョーサムくんとも親しいようで。。
http://www.youtube.com/watch?v=HD5Czsekg0s#t=6m26s
http://www.youtube.com/watch?v=a87BMW44jxU#t=6m23s
胡散臭いですな。
所詮、ガイジンはガイジン。
「Jブロガー」なる親日知日ヅラのガイジンにご用心を。
TokyoSamくんに関して言えば、侮日というより・・・・あの手のタイプは、日本人の若者でもいる。
ヒコザエモンさんのほうの「同調したコメント」をした当該動画がどういうものかわかりませんけど、以前、氏の他の動画をみたときは、日本人と対話していて好印象でしたけどね。