まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

梅雨まぢか なぜか重たい 予定表

2017年06月06日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは気圧の谷や湿った空気の影響で曇ってきた。気温は15.9度から24.5度、湿度は86%から59%、風は1mから4mの東北東の風がっすこしばかり。明日の7日は、前線や湿った空気の影響で雨が降るらしい。

 

 例年ならば、お勉強のために京都に行くのだけれど、今年は体調不良で、皆さんにご迷惑をかけてもまずいので、今回はお休みした。

 

 で、火曜日は恒例の、前山地区活性化センターへのご出勤。別にこれという作業はないのだが、打ち合わせだの、次の作業の準備だのの雑用タイム。

 

 あいにくと、私のガンダムPC群は、例の「俵札・その他」のデータ整理に使っているので、今日は奥方のノートPCを借りて、持ってきた。ま、私の持ち物だから相談する必要もない。

 

 で、中島先生のやっている「六十六部」の研究成果をコピーさせてもらってきた。

 

 「六十六部」というのは、法華経を六十六部書き写し,日本全国六十六か国の国々の霊場に一部ずつ奉納してまわった僧。鎌倉時代から流行し、江戸時代には,諸国の寺社に参詣する巡礼または遊行(ゆぎよう)の聖であった。白衣に手甲・脚絆・草鞋がけ,背に阿弥陀像を納めた長方形の龕(がん)を負い,六部笠を被った姿で諸国をまわった。また,巡礼姿で米銭を請い歩いた一種の乞食のことでもあった。一般には「六部」と呼ばれた。

 

 これらが、その「六十六部日本廻国聖」の納め札である。版刷りで、大阪出身の小兵衛の納めたものである。

 

 こちらは、江戸麹町からやってきた「願主長心」のものだが、長心に頼まれて廻国している行者かも知れないし、長心そのものが納めたものかはわからない。

 

 そうした六部さんが行き倒れになった時、こうした「供養塔」が立てられたり、お墓が作られたりした。

 

 今日は、そうしたデータを整理していた。ほかのメンバーさんたちは、この土曜日の10日に実施する「阿波区切り打ち13番から17番」の参加者名簿の作成とか、次の18日の「霊芝寺御成所修復一般公開」のお話とか、秋の源平ゆかりの地巡りの下見調査の打ち合わせとかをやっていた。

 

 お昼からは、作業した、奥方のPCからデータを抜き出して、

 

 私の作業用マシン「ガンダム軍団」に移し替えしておく。

 

 で、根気よく、画像データから一字一句を読み取ってのデータ投入・・・。

 

 こんな紙くずのようなものだが、これらから、江戸時代から明治・大正に至る民衆の歴史が浮かび上がってくるのである。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分をかえたいと思ったら 思い切って新しいことをやってみるんだね」というもの。このままじゃダメだ、どうにか自分を変えてみたい・・。何度も何度も考えたものだった。でも、なかなかに、自分を変えるなんてできないもの。個人的には、新しいことより、興味があることには行動を移していきやすい。そして「やれること」と「やるべきこと」は区別するようにしている。なぜなら「やっている(やっていない)」ことより「できている(できていない)」自分を客観的に確認できるからだ。いまの自分に感謝しながらも、前向きに生きていくことは、常に新しいことにチャレンジしていくことなのかもしれない。
 If you want to change yourself, do something completely new.

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。 


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