まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

長月の 尽きて予定を 張り替える

2015年09月30日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲が広がっていた。気温は16度から23度、朝方はぐんと涼しくなった。湿度は76%から52%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の10月1日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼前から雨が降りやすくなるらしい。

 

 今日は県立病院の予約診察日だが、内科の診察予約が11時半となっていた。だということは、血液検査が1時間前だから10時に病院に入ればいいなぁ・・ということで、秋の町あるき探検隊の下調べ・・・ということで、またしても、津田の松原を歩いてきた。

 

 松原の中にある観光案内所に置いて有ったチラシには、この松原を歩くコース順が記載してあったので、その順番で歩くことにした。道の駅「津田の松原」に車を置いて、松原に入り、観光案内所でトイレ休憩し、平山郁夫写生の地から、御旅所・願い橋叶え橋・大灯籠・映画撮影地経由で版画家棟方志功絶賛の松に至る。

 

 その後、石清水神社に入って、狛犬を紹介して駐車場に戻る、およそ1時間コース。ストップ・ウォッチで計測しながらルートを計ってみた。

 

 松原の中で、タブレット端末を忘れて来たことに気が付いて、自宅まで戻って、今度は山道経由で県立病院に向かった。病院に入ったのはちょうど10時。でも、早く到着したからと言って、早く処理してくれるとは限らない。予約時間というものがあるので、「検体検査」と呼ばれる「採血」は、診察時間のおよそ1時間前。だから、早く行っても10時半前後でないと採血はしてくれない。

 

 その待ち時間に、タブレット端末は欠かせない。ま、皆さんはスマートフォンなんだが、私は、あの小さな画面にイライラする「いらち」だから、大きなタブレットでないと操作できない。そのタブレットでさえ、隣のキーに触ったり、いらぬ場所をタッチして思わぬ音が出たりして困ることが多い。

 

 で、結局の薬局で、診察は11時20分から5分間。それでも、血液検査の結果が出ていないから・・・ということで、問診・聴診・血圧測定などで終わってしまって、それでチョン。前回の血液検査の結果がすこぶる良かったために、難なく今日の診察はおしまい。

 

 診察代金は約4千円。11時半には病院を出た。

 

 今日のお昼はこれだけ。最近、食欲がない・・・。朝は野菜ジュースとリンゴのすり下ろしだけ。別にダイエットをしている訳ではないが、そんなに食欲がある訳でもない。ちなみに、現在の体重は61.2Kg、ドクターの指示は、58.0Kg。これが難しいんだ。

 

 午後からは久々に歎異抄のお勉強。歎異抄で不思議なことは、「はんべるらん」という言葉について、どの本も、解説書も説明していないことである。さまざまな研修会や勉強会でいくら質問しても、「前後の文脈を考えて理解しなくてはならない・・」とか、「そういうことは、ここではさほど大事なことではないので」と交わされてしまう。

 

 で、googleやその他の検索をかけても、この「はんべるらん」はヒットしない。ま、文法上は、「侍る(はべる)+らむ」らしいのだが、「念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。」ということで、「なのか」という言葉に置き換えられているが、「はんべるらん」が「なのか」ではないと思えて仕方がない。

 

 で、またしても、10年メモ帳の整理をしてみたが、古くなれば古くなるほど、記憶の彼方に消えてしまって、なかなかに整理の方は進まない。

 

 今日の掲示板はこれ。「ふたたび通らぬ尊き道を 今 歩いている」という榎本 栄一さんの言葉から。「一年は短いが、一日は長い」とはだれかの言葉であるが、その長い一日でも、一分一秒ずつ年をとっているのである。どこかの女優さんが「一年が一千万円で買えるな ら、私、買いますよ」と言ったそうだが、お金を出して買えるものでもないし、女優だから、それができるという訳でもない。毎日毎日、明日がある、明後日があると思って、ついうかうかと過ごしているのが私たちである。しかし、いずれにせよ、お互いに「再びは通らぬ一度きりの尊き道をいま歩いている」というわけである。ややもすれば、いやなことは避けて通り、毎日、おもしろおかしく、押し流されているとも言えるのだが、尊いいのちをいただいて いる自分自身の本当の姿に気づいて、自分をみつめ直すことが求められているのではないかと思われる今日このごろである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。



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3 コメント

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はんべるらむ (謙介)
2015-10-01 16:13:09
「はんべる」はラ行変格活用の動詞「侍る」が
撥音便化されたもので、「らむ」は推量の助動詞
「らむ」の終止形ですね。
 はべる、という言い方でもいいのですが
ことばに勢いをつけようとして「はべる」を
「はんべる」と言ったのでしょう。「ホームランを
飛ばす」でもいいですが「かっ飛ばす」と言ったほうが
言葉に勢いがつきますよね。平家物語でもそうですが
中世になると、語りということを意識するように
なりますから そういう言い方が増えます。
 ただ「はんべるらむ」を「なのか」と訳してしまうのは
「侍る」は敬語ですからその部分の訳が
全然できていません。「でしょうか」もしくは
「ございましょうか」と訳さないといけないと思います。
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re:古文解釈 (まほろば)
2015-10-01 16:31:07
 念仏は、まことに浄土に生まるるたねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。
 総じてもつて存知せざるなり。

 を、多くの学者さんが、

 念仏するものは地獄におちると、いいおどす人々がいるとのことですが、念仏が、本当に浄土に生まれる因(たね)であるのか、それとも地獄におちる業(因)であるのか、わたしはまったく知りません。

 と、書いてあるのが、私は腑に落ちないと思うのですよ。
返信する
そういう訳になると思います (謙介)
2015-10-02 05:19:19
度々でごめんなさい。
推量の助動詞「らむ」については
「自分が経験し得ていないことについての推量」
をあらわす、という意味があります
から、「知りません」という解釈が出てくるのでしょう。
くわえて「はべる」を「はんべる」と語調を強めて
言っていますから、「まったく知らない」という
強めた表現になったのだと思います。
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