まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

行く今日を 追いかけもせず 霜の朝

2012年01月18日 | たまには真剣な研究なども

 今朝は大霜の冷たい朝になった・・・。あたりは雪でも降ったかのように真っ白だった。だからという訳でもないのだろうが、気がつけば七時前だった・・・。

 

 それじゃダメじゃん、春風亭昇太。今日は帰る日だから片付けもやらないとあかんし・・・。ま、そんなに片付ける物もないのだけれど。燃えるゴミ、生ゴミ、空き缶などはまとめて集積場へ運んだ・・・。

 

 で、手の空いた時に、「エキサイト翻訳」というサイトを見つけたので、試しに・・・「エジプト・マジック」に紹介されていた「Times」の記事を入力してみた・・・。すると・・・。

 「彼は那珂の地区、讃岐の州および香川の県のヒロシマの村で島(ヒロシマ)に着陸されました。シルヴィアは、江の浦湾のヒロシマおよびキャスト・アンカーの海岸に沿ってオフィサーの回復を待ち始めました。 
 
数日で、しかしながら、彼は死にました。また、聖ヨハネ(セント・ジョン)キャプテンは、江の浦神社の上の医光寺の寺院に属するグラウンドの残りを埋めました、また、墓をマークするために木の十字架をセット・アップしたから、出発しました。
 数年後で、この記念碑が風と雨の影響、霜および雪からほとんど腐食した時、Awaburi Tokwan、医光寺テンプルのスペリオル他は次のように言いました。 「本当に、もし遠くからの私たちのただ一つのゲスト(この人は奇妙な土地の精神になった)の墓がすべての知識から通過するために受けられれば、悲しすぎるでしょう。」

 

 曖昧翻訳ながら・・概ねの意味は分かるではないか。これを意訳したら貴重な資料になるぞと思った。それに・・原文を熟読した方がそれらしい意味になるのかも知れないのだけれど。

 

 そうか・・・、医光寺か・・。その寺は今はない。竹藪の中に埋もれてしまった。私らは・・・今ある「地福寺」のことばかり考えて、そこの過去帳を探していたのだけれど、どちらにしても、秘密は竹藪の中に消えてしまったのか・・・。

 

 またもこの切符、丸亀行きの硬券だ。全く・・・慌ただしいことで、行ったり来たりの繰り返し。また、しばらくしたら戻ってこなくてはいけない。

 

 とりあえず、明日は県立病院での定期予約診察。ま、一ヶ月ごとの定期検査で、これという検査もない。お薬を処方してもらうために行くようなものだ。そのための一時帰宅。

 

 しかしのかかし・・・。英国士官レキが明治元年に亡くなったのはいいが、ジョン艦長の感謝状の日付、「1866年、その地に葬られた英国海軍将校の・・・」という意味が分からない。1866年には何があったのか・・・」それが新たな問題になってきた・・。

 

 10時45分発の高速艇に乗れば・・・11時前に丸亀に着く。この時間帯になれば・・・うどん屋の選択が難しくなる・・。それに今日は水曜日。定休日が多いのだ・・・。

 だから・・・ここは満員、ここは定休日・・・ということで・・・遠く離れた・・・仲多度郡まんのう町吉野という所まで走ってしまった。で、「川中うどん」が空いていたので入ってみた。誰も居ない・・・。おばあさん二人がスローペースでやってるお店。

 

 近くにうどん屋さんが多いところだから、こういうお店には客は少ないのかも知れない。だから・・おでんもこんな鍋一つ・・・。

 おうどんとそばの大と小というメニューのみ。しょうゆうどんもあったが、夏のものだし・・。

 

 麺も手作りの田舎風というような仕上がり。きわめてシンプルなおうどん。これで200円。ま、島の冷蔵庫の食材を片付ける意味で、朝ご飯をしっかりと食べたからこれでOK。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。



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