まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

薄氷 踏む毎日の 愛おしく

2018年02月15日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で概ね曇っていた。気温は6.4度から11.8度と暖かくなり、湿度は80%から73%、風は2mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の16日は、引き続き気圧の谷や湿った空気の影響で曇る見込みらしい。

 

 ようやくに待ちわびた日が来た。先月から今月に掛けて検査入院やら香川医大の検査やら薬代やらで出費のかさんだ毎日からの解放日。

 

 銀行や郵便局、農協さんなどの現金預け払い機の前には長蛇の列だった。

 

 タイミング良く・・というか、昨日に届いた本のお礼に「讃岐うどん」を送ることにした。今日は「お客様感謝デー」とかで無料試食会やくじ引き大会もあったが、私はうどんを送るだけでいいのでパスしてしまった。

 

 ご近所のおばさまたちは、無料の試食会やくじ引き大会をやって、おみやげを頂いて帰るらしいが、どうにも、そういうおばちゃんたちには馴染まない。

 

 さて、昨日からの「俳句集」である。私のブログのタイトルに使われている俳句を抜き出して整理し、重複したり似たような句は削除した。過去2年間730句の内の664句を選んだ。

 

 それを俳句集のスタイルで印刷し、製本した。

 

 プロトタイプ(試作品)の表紙は、古いカレンダーを使っている。これだと丈夫で長持ちするのである。

 

 こうして表紙ができあがった。ここへ、製本した本体を挟み込んで接着する。

 

 そうすると、こうした試作品が出来上がる。

 

 これに「題箋」というものを貼り付ければ完成である。表の題箋は、「俳句集 今日も俳句日和だ。巻30」とした。30年版という意味である。

 

 「はいくる」とは「俳句する」という意味であり、今年で70歳になるので、爺で、じぃじぃ」である。その五冊目というタイトルである。

 

 毎日毎日、書きためた俳句の集大成である。

 

 当然だが、前書きも後書きも奥書も準備してある。

 

 今日の掲示板はこれ。「老病死は自然である その老病死する事実に向き合わず逃げ回っている我々の姿を無明という」という、赤松先生のお寺にあったことばから。生まれたいのちは、その瞬間から「老病死」を抱いて生まれている。それが全てのいのちに共通する自然である。その事実に向き合わずに、自分だけは死にたくない、老いたくない、病になりたくない・・と、逃げ回っている姿を「無明」というのである。無明とは仏教語で、邪見・俗念に妨げられて真理を悟ることができない無知のことを言う。最も根本的な煩悩で、十二因縁の第一、三惑の一とされている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。



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