まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

花冷えに思わぬ便りが舞い込んだ

2022年04月02日 | 時には日々是日

 4月2日のさぬき市地方は湿った空気の影響で曇っていた。気温は6.0度から11.7度、湿度は38%から70%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の3日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるが、昼過ぎからは湿った空気の影響で曇り、雨の降る所がある見込み。

 

 収縮期90mmhg、拡張期45mmhg、脈拍79bpm、体温36.4c/酸素濃度98%/体重62.4Kg 室内気温16.1c/室内湿度39.1%/気圧1028hPa 体調に変化はない。今日の日の出は05:50分、日の入りは18:25分 月齢は0.9の大潮。

 

 庭先のハクモクレンも散ってしまい、ユキヤナギが満開状態になっている。その割に気温は低く三月中旬頃の気温だという。

 

 何気なく見ていたカレンダー。そこに不思議な記号が並んでいる。気にも掛けずにいたのだが、よくよく見るとおせっかいな記号。2022年は令和4年、平成34年、昭和だと97年になるという年号らしい。いまどき、こういう計算をする人がいるのだろうか。だと、T.111年、M.155年になるという寸法か。

 

 さて、ノンアルコールの日本酒をポチッ!としたら、こんなかわいらしいビンが届いた。これでは一口か二口で飲み干してしまいそう。だのに、内容量の表示がどこにもない。何mlとか、何ccとかの表示がないのである。これでは何が何でも物足りないというものだ。

 

 で、今日、届くはずのノンアルコール・ワインはビン入りである。「スタッセン・デュク・ドゥ・モンターニュ・ノンアルコールスパーリングワイン」という長い名前の飲み物で、750mlの二本組み。白とロゼである。果たしてお味の方はいかがなものか。

 

 で、今日は当面の研究課題である「遍路墓学」の整理をやっていた。今までに調べてきた「遍路墓」をワード文書でまとめていた訳だ。ある程度まとまれば整理をしておかねば、何が何だかわからなくなってしまう。遍路墓の定義は、「讃岐國以外の生国の記載のある墓石」ということになる。つまり、讃岐の国の地名や生国の刻まれていない墓石は「遍路墓」とは認めないという一点だけである。この上の画像の場合、「大坂北濱壱丁目」とあるから、大坂からのお遍路さんであることがわかる。江戸時代に観光旅行や親戚があるからと言って讃岐の山中で亡くなる人はまずいない。

 

 このようにして、へんろ道沿いにある石造物を調べて歩き、これを読み解いていく作業である。

 

 で、「遍路墓学」という学問がいかなるものであるのかということを、数ページにわたってとうとうと書き綴ってある。なんでもかんでも学問にしてしまうところが私らしいところである。それは若い頃の「狛犬学」から始まり、「鳥居学」「手水鉢学」「二十四輩学」「讃岐における法然上人学」「ベーハ小屋学」などと切りがない。

 

 普通の人が見ればただのお墓でしかない。でも、江戸時代の天保年代に長州赤間関(現下関市)からやってきた長崎屋の主人とおぼしき熊吉さんが、阿波の国と讃岐の国の国境の山の上で亡くなっているのである。それなりのお金も持っていたのであろう。こうして墓石を建ててもらって供養してもらったのである。その熊吉さんは何の目的で四国遍路に出たのであろうか。そして、なぜ、この地で息を引き取ったのであろうか。過労だったのか、病気だったのか、あるいは事故だったのだろうか。熊吉さんという一人の人生が浮かび上がってはこないだろうか。

 

 所持金がなければ、その場に埋められておしまいである。読経も線香もなしに土まんじゅうとなり、菅笠がかぶせられ、金剛杖が墓標となっておしまいだった。そういう遍路墓が、このあたりにはいくらもある。

 

 今日のお昼はこれ。「菜飯に削り節とイカナゴの釘煮・玉子かけご飯」になった。名付けて「春が来た・玉子かけご飯」である。

 

 「桜とはさびしい花になったもの 来る人もなし見る人もなし」

 

 今日の掲示板はこれ。「無駄なことは何もない。無駄にする人がいるだけ」という、永六輔さんのことばから。

「無駄なことは何もない。無駄にする人がいるだけ」

「立場や肩書きを裏切れ」

「知っているフリこそ恥」

「知識でなく知恵でしゃべる」

「欠点を魅力にする」

「生きているだけで面白い」

 永六輔の“言葉”によって仕事や人生が激変した著名人は数知れない。それだけでなく、生きる望みを失った若者たちも、仕事を失ったプロも、自殺を考えた女性も、そしてじつは著者自身も、“言葉の天才”のひと言に救われ、今はそれぞれに充実した人生を過ごしている。時代も世代も超越し、誰にでも響くにちがいない永六輔の36の名言、金言が残る。何を信じ、何を考え、いかに生きて、いかに死ぬか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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