まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

山あいに 牛の墓あり 麦の秋

2017年05月23日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で曇ってきた。気温は17.3度から25.7度、湿度は94%から72%で蒸し暑い日中になった。風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の24日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎからは雨の降る所がある見込みらしい。

 

 今日は全国的に火曜日ということで、恒例の「前山地区活性化センター」への出勤になった。

 

 すると、会長から、「先日のNHKのガイドのお礼だと・・・」いうことで。

 

 「今治エコタオル」というものを頂いた。中身はハンドタオルだったが、ご丁寧に、NHKの」エッグマークが刺繍されていた。

 

 皆さんは、今週末の「ルンルン春、木もれ日の道」のウォーキングや、来月の「阿波霊場歩き遍路体験ツアー」の参加者確認やらの打ち合わせ。

 

 私のお仕事はほぼ、終わっている。会長から、「もう、卒業してもいいのだが、どうする?」と言われたのだが、このまま、終わってしまったら、これらの展示が宙ぶらりんになってしまう。何かの形で文書に残さないといけない。

 

 こういうものを一覧表にして解説もつけて、「調査研究報告書」にまとめておきたいのである。

 

 最初は、「こんな紙くずをどうするんだ・・・」と思っていたが、何年もやってくると、これは貴重なタイムカプセルなんだ」と思うようになった。

 

 これは、「地蔵和讃」の写しである。聞いて覚えたものをメモ書きにしたもので、これを見ながら、「地蔵和讃」をお唱えしたものなのだろう。「これはこの世のことならず 死出の山路の裾野なる さいの河原の物語 聞くにつけても哀れなり 二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬおさなごが 父恋し母恋し 恋し恋しと泣く声は この世の声とは事変わり 悲しさ骨身を通すなり・・」というものらしい。

 

 本当ならば、燃やされてしまうような紙くずの山。他人さんが集めた紙くずだから、どうでもいいような紙くずだったけれど、「こんな貴重な資料を見過ごしていいものか・・」とさえ、思うようになった。

 

 だから、今回に使用した画像データを会長から引き継いで、一覧表の作成から、整理をしなおして、報告書にまとめておきたいと考えた。

 

 これは、「田淵家の納め札」の資料だが、このフォーマットを使えば、簡単に整理ができる筈。納め札よりは枚数は少ない。

 

 これを、今年の夏休みの自由研究にしようと思う。

 

 今日も、「おへんろ交流サロン」には、外国人が何組も歩いてきたのかお休みをしていた。

 

  今日の掲示板はこれ。「迷いとは 心が二つになること 悟りとは 心が一つになること」というもの。誰の言葉だかはわからない。心が、今の自分と、何か聞こえてきたものを追いかけて、2つになってしまったら、これが「迷い」となる。ものを追いかけるから迷いとなる。右に行くか左に行くか、これがいいか、あれがいいかと心が揺らぐと迷いとなる。これに気づかないと、本質を見失ってしまい、デザインの美しさにとらわれたり、値段を追い回したりして迷うのである。そこで、いったんは、外に向かってはたらく心を断ち切って、自分の内に向ける工夫が大事になる。そうすれば、今、こうして見ているもの、聞いているもの、命あるものの尊さに気がついて、自然と眼に花が映ったとき、花はわが命と一つであるとわかるはず。心が一つになるのが悟りであると気づくのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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