まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

冬晴れは 犬に散歩を せがまれる

2017年02月01日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、午前中は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは気圧の谷の影響で概ね曇り、一時小雨もふっていた。気温は1.2度から10.3度、湿度は94%から62%、風は1mから6mの西の風が一時強かった。明日の2日は、高気圧に覆われて晴れるらしいが、寒気の影響で朝まで曇る見込みのよう。

 

 昨日の俵札調査の時、「寒川郡長尾西・稲荷庵」というお札が話題になった。現在、そういう庵はどこにもない。そこで、おそらく、この「塚原稲荷神社」だろうということになった。そこで、ここを訪ねてみた。

 

 ずいぶんと高い場所にあるものだ。ここは、塚原という地区の鎮守として、「倉稲魂命(うがのみたまのみこと)」を山の神として祀っていた。江戸時代後期の文久2年(1862)に、京都伏見から「正一位稲荷大明神」を勧請し、「経納山稲荷神社」とし、別当を「稲荷庵」とした。だから、お札には「稲荷大明神」と、狐の絵が描かれていた。

 

 石段はきついから、裏道から登ることにした。

 

 これが稲荷山古墳と呼ばれ、さぬき市長尾西西塚原の尾根の先端にある。墳丘は鍵穴のような形をした「前方後円墳」と呼ばれているもの。墳丘の規模については資料が不足しているため複数のデータがあり、明確ではないが、後円部の径20mで、墳丘全長は40mとなっている。

 

 葺石が墳丘に施されていたとみられており、壺形埴輪などが採取されているし、墳丘には埴輪の配列がなされていた。発掘調査が1989年に行われている。主体部は2つ確認されていて、後円部頂中央にある埋葬施設は第1主体とよばれ竪穴式石室となっている。

 

 竪穴式石室は全長6.05m幅0.9mと測られている。後円部頂北寄りにある埋葬施設は第2主体とよばれ竪穴式石室となっている。古代において、この讃岐地域は双方中円墳が数多く作られた特異な文化圏が営まれていたらしい。この稲荷山古墳はさぬき市の史跡に指定されている。

 

 これが最初の「山の神」だろうか。この近くには、いくつもの古墳が確認されている。

 

 こちらが、現在の「稲荷神社」である。

 

 10月の第二日曜日が例大祭で、これが実にユニークなおまつりである。新旧二つの神輿の渡御があり、氏子たちが「あばれ」と呼ぶにわかみこしを担ぎ、本みこしを押しのけて大暴れする。

 

 「あばれ」は、工夫をこらして作ったもので、渡御の終わりには、池の中に放り込んだり、見物客を引っ張り込んで池に落としたりするのが特徴。参加した国会議員さんまで投げ込まれてしまうし、見物人も池の中に突き落とされる。その豪快でユーモラスな地域の人々の大らかさを感じさせるお祭りである。

 

 「お太夫さん」も地元の若者で、風刺をきかせた祝詞を自作で演じるのがおもしろい。隣の人は雨傘と稲穂を帯にしているのが目印。これで農作物の豊穣を祈願するとされている。

 

 最後にはおみこしまで投げ込んでしまうし、担ぎ手たちも池の中に飛び込んでしまう。これを「塚原のあばれみこし」という。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間は自分の都合で鬼と言い、福と言う」というもの。本多恵さんの「いのちのことば」から。いつかの掲示板にも関連するのだけれど、自分を閉ざすも開くも、ものごとの善し悪しも、鬼も福も、自分の意識次第だというているのである。私が見ている空も、海も、山も、雲も、雨も、嵐も、自分のこころ次第で良くもなったり、悪くもなったりするのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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