礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

日本堂事件(1947)と帝銀事件(1948)

2021-01-11 00:05:47 | コラムと名言

◎日本堂事件(1947)と帝銀事件(1948)

 いま手元に、『サンデー毎日』の臨時増刊「書かれざる特種」(一九五七年二月)がある。そこに、「日本堂事件」と題する記事が載っている。筆者は、毎日新聞東京本社社会部の杠国義記者である。
 日本堂事件とは、帝銀事件の前年に発生した詐欺未遂事件で、帝銀事件の平沢定通死刑囚が関わったとされている事件である。
 本日以降、何回かに分けて、この記事を紹介する。
 なお、「杠国義」の読み方がわからなかったので、インターネットで検索してみたが、不思議なことに、一件もヒットしなかった。しかし、おそらく、「ゆずりは・くによし」と読むのであろう。

 日 本 堂 事 件
  =帝銀犯人・平沢起訴のキメ手=     杠 国 義
 
  山口名刺の出所を求めて
 銀座にはまだ露店がずらり並んでいた。車道を背に商店街と向きあって、一間〈イッケン〉四方の天幕ばり、小さな台の上にゴム紐、ライター、石鹸……敗戦後の乏しい生活に安価な潤いを与えているころだった。わたしはせっせとその露店を漁って〈アサッテ〉いた。といっても店先の品物を物色するわけではない。疲労と睡眠不足でヘトヘトになって、そのくせやけにいらだつ神経を二月はじめの寒風に冷しながら、ある露店印刷業者を探し求めて、銀座の雑踏のなかを大急ぎで駈けぬけていった。
 未曽有の凶悪犯と騒がれた帝銀事件の発生以来まだ一週間と経っていない。当時は警視庁詰めの社会部記者だったわたしは、何か有力な手掛りをと血眼だった。
 事件そのものの詳細については幾度も報ぜられているが、昭和二十三年〔一九四八〕一月二十六日の夕刻、東京都豊島区長崎三丁目帝銀〔帝国銀行〕椎名町〈シイナマチ〉支店で、厚生委員を名乗る男が、育酸カリで十二名を毒殺、四名を悶絶させ、現金十六万四千円に小切手一枚を奪って逃走したというのである。わずかに息をふきかえした被害者四名から人相の記憶をたどるだけで、犯人の足取りさえつかめていない。
 ところが犯行の直後、やはり銀行を舞台に同じような手口で、帝銀事件の前ぶれというよりはむしろ犯人自身の予行演習ではなかったかとさえ思われる二つの未遂事件が発覚した。前年の昭和二十二年〔一九四七〕十月四日に安田銀行荏原〈エバラ〉支店で、また帝銀の一週間前には三菱銀行中井支店に都の防疫課員だとか厚生技官といった似たような肩書の男が現われた。伝染病の予防をとなえて、怪しげな薬品を飲まそうとした手口までそっくりである。ここで問題になるのは、帝銀の場合は酸鼻をきわめた現場の混雑で、折角犯人が差出した名刺を紛失してしまったが、以前の二件は未遂に終ったため、安田銀行では「松井蔚」また三菱では「山口二郎」の名刺が、それぞれ証拠物件として残されてあった。すべて同一犯人の仕業〈シワザ〉とすれば、名刺の出所を洗うのが解決のいと口となる。
 このうち松井蔚〈シゲル〉氏は、御当人が仙台から急いで上京してきた。捜査本部では名刺の交換先をしらみ潰しに調べ出した。ずっと後になって居木井〔為五郎〕警部補が、北海道から犯人平沢貞通を連行してきたのは、この松井名刺の行方九十三枚をたんねんにふるいにかけた結果によるものである。
 だが一方の山口二郎のほうは該当者がいない。いないはずだ。犯人自身が犯行のため、銀座八丁目同和火災前で名刺印刷の露店をはっていた斎藤安司さふから直接注文した仮空の人物の名刺だからだ。とにかくわたしは山口名刺の出所を求めて、露店を探るのに躍起となっていたわけである。そのときとんでもない事件の副産物に出くわして脱線せざるを得なくなった。いや、副産物どころかそれが平沢逮捕の際、唯一の物的証拠を提供する結果になったのだが――。

  「犯人はオレの店に来た」
 尾張町の交叉点から新橋に向って、ものの十メートルと過ぎぬころ、
「待った。待った。凄え特ダネを教える」
 いきなり片側の商店から飛び出して、威勢よくわたしの腕を引っぱったのは、銀座の時計店、日本堂の主人、佐川久一さんである。朝早くから夜遅くまで、コマ鼠のようにキリキリ舞いをしながらよく稼ぐ小柄な男だ。わたしは銀行界隈の警祭回り当時から親しくしているが、なかなかの宣伝屋でもある。――またなにか、こと大げさにまくしたてて、店の名を新聞にのっけたいんだろう――そう思ったので、
「おどかさんでくれよ。いま忙しいんだから……」
 ていよく逃げを張ることにした。
「特ダネだぞ、特ダネ」
「おれもいま特ダネを追っかけている」
 事実そのときのわたしにとって、帝銀の犯人を捜すこと以上の大きな特ダネはありつこない。
「わかってる。帝銀だろ。実はその犯人が俺の店にもきたんだ」
「ブッ……」
 吹き出しそうになった。まったく抜け目がない。もう帝銀事件を自分の店にくっつけて新聞種にしたがる。それに犯人の売込みにはいささか食傷気味だった。刑事同様に、新聞記者に対しても〝どうもあの男が臭い〟と親切に教えてくれる人は多いのだが、洗ってみればせいぜい人相が似ている程度のシロモノだった。ことに事件発生以来、ここ一週間ばかり ろくに体をやすめる暇もない。疲れと焦りで神経もたかぶっている。もっと余裕のあるときならゆっくり彼の相手にもなってやれるのだが、このときばかりはそうもゆかない。だが念のために、ききおく程度に、
「どんな奴だい?」
「どんな奴って――、君、新聞に出ていた人相書そっくりな奴さ」
「ただそれだけ……」
「とんでもない。おれの店でも危く引っかかるところだった」
 あくまで大まじめだ。ほんとに何かあったらしい。日本堂は時計ばかりでなくダイヤ、指環、貴金属などもふんだんに並べてある大きな店だ。たとえその事件が帝銀に繋がりはないにしても――銀座の宝石商荒し――それはちょっといける。ついにわたしはつりこまれた。
「おい、きこうよ」
 彼のあとにしたがって店内にはいった。
 ――以下は佐川さんと店員たちが、こもごもに語ってくれた日本堂事件の、現場の模様である。【以下、次回】

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