礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「おっしゃる」は「仰せある」の略転

2022-11-24 00:59:03 | コラムと名言

◎「おっしゃる」は「仰せある」の略転

 松尾捨治郎著『国語論叢』(井田書店、一九四三)から、「第三 外国人に教へる基本文型」を紹介している。本日は、その三回目。文中の傍線、一字アキは原文のまま。

    四 れる型 お……になる型 等

  1 あの方は明日帰られる。   あの方は明日来【こ】られる
  2 あの方は明日お帰りになる
  3 あの方は明日お帰りなさる
  4 あの方は明日お帰り遊ばす
  5 あの方は明日帰つていらつしやる
  6 あの方は明日お帰りでございます
此等は何れも動作をする主語(何がといふ意の語)を尊敬するのであるが、1の れる られる は尊敬の意が浅い。23は相当に深い。さうして2のおは之を略く〈ハブク〉と語を成さないが、3のは之を略くこともある。非常に之を嫌つて、明日帰りなさる 早く帰りなさい 等は、かた言〔方言〕だといふ人もあるが、其は少し窮屈すぎる。45は共に尊敬の意が深いが、5のいらつしやるは、往く 来る 居る の意に用ゐられる外に、と一しよにして、軍人でいらつしやるの如く、なりの意の敬語に用ゐるので、普通の敬語の如く、どんな語にもつくのではない。又6はあの方といふ主語を尊敬する意は浅く、其よりも非成分の対者を尊敬する意が深い。(六七両項参照)
     往く 云ふ 等多くは一音となることのある動詞について、主語尊敬5表す為に、23の型を用ゐる時は、原動詞は用ゐないで、次の如く別の語を代用する。終の二つは 入らせある 仰せある の略転である。
  御【ご】になる。  御【ご】なさる
  お召しになる     お召しなさる
  お出になる(居る 来る 往く) お出になさる……入らつしやる
  おつしやる         

    五 お………申す型

  1 殿下を迎へ申す。    殿下に申す
  2 殿下を迎へ申上げる。  殿下に申上げる
  3 殿下を迎へ奉る。     殿下に従ひ奉る
  4 御手紙を見す。     (あなたに)顔す  
比等は何れも其の動作の及んで行く客語を尊敬するのであるが、1は、尊敬の意が最も軽いので、皇族族方などの場合には物足らない。又古文等にはを用ゐないで、申すだけを用ゐた者も、(迎へ申すの如く)あるが、現代口語ではさうは言はない。4は勿論漢語系であるが、同じでも常用の語となつた拝見の如きは尊敬の意が軽く、常用されない所の 拝趨 拝賀 の如きは、尊敬の意が深い。此の外 参る 参上する 奉迎する 又方言の 待ち上げるなども客語尊敬であるが、前の三者は型といふ程の者を構成しない。
 さて右の1234共に上段の如く、客語(直接目的)を尊敬することと、下段の如く、客語(間接目的即ち受ける人)を尊敬することがある。さうして1234共に主語は一人称とは限らない。三人称 あの人 人々 等は、勿論のこと、二人称の  あなた 等の来ることもある。故に此等を 謙語 謙称 などといふのは不可であ。Collard〔ママ〕が「奉り 奉るはそれが結合されて居る動詞の意味を低める。(日本語文典57)」と説いて居るのも、謙といふのに近いがよくない。但し4の主語は自称又は之に準ずべき 家内が せがれが 等に限る。又、3の 奉る は口語にはあまり用ゐないが、皇室や神様などの極めて尊厳を要する場合には用ゐる。〈三三~三六ページ〉【以下、次回】

「四」のところに、「見 著 居 来 往く 云ふ」とあるが、このうちの「著」は、「著る(きる)」の著である(「着」は、もと「著」の俗字)。
「五」のところに、Collardとあるのは、ドミニコ会の宣教師コリャード(Diego Collado)のことである。

*このブログの人気記事 2022・11・24(9位になぜか曼陀羅国神不敬事件)

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