礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

小原敬士『アメリカ資本主義の分析』(1947)について

2020-10-14 00:24:21 | コラムと名言

◎小原敬士『アメリカ資本主義の分析』(1947)について
 
 二〇一五年九月一二日の当ブログに、「小原敬士、ゼクテ論文を紹介(1947)」という記事を載せた。小原敬士の『アメリカ資本主義の分析』(東洋経済新報社、一九四七)という本の紹介であった。同書が、マックス・ウェーバーのいわゆるゼクテ論文『プロテスタンティズムの教派と資本主義の精神』(Die protestantischen Sekten und der Geist des Kapitalismus,1906)について言及していることを、そこで指摘しておいた。
 その後、この本のことは忘れていたが、先日、書棚を整理中していて、この本を見つけ、再読してみた。この本は、一九四七年(昭和二二)五月に出た本だが、その前年、三回にわたっておこなわれた講演(東洋経済講座)の内容を記録したものである。
 本日は、同書の第二講の最後の部分(九四~九八ページ)を紹介してみたい。

 このやうな政策によつて、アメリカではその後、公共事業に対する政府の投資が積極的に行はれまして、例へば一九三八年には四億五千万弗〈ドル〉であつた公共事業費が、翌年は五億弗に増加し、W・P・A〔公共事業促進局〕のものも四億六千万弗から約七億弗に、公共団体に対する補助金が一億九千万弗から三億一千万弗に、それぞれ増加されてをります。これ等は勿論国債の発行によつて行はれたのでありまして、そのために国債額は一九三八年から三九年までに三百六十五億から三百九十九億に、約三十五億弗増加してをります。この公共事業を遂行するために復興金融会社、住宅所有者、金融会社その他の民間の銀行とは別の政府直属の金融機関が設立せられ、拡充せられて頻りに〈シキリニ〉活動してをりますが、それ等の政府金融機関による資金供与は、一九三三年乃至三九年六月までの間に合計二百五十億弗に達してをります。これ等の公共投資の結果として、一九三九年においては多少の景気回復が現はれてきました。一九三八年と三九年を較べますと、一九三五年乃至三九年を基準とする国民所得指数は、九八から一〇五に殖え、生産指数も八九から一〇八へ、就業指数も九八から一〇二へ、それぞれ殖えてをります。しかし、この景気回復も決して根本的なものではありませんでした。一九三九年といひますと、恰度〈チョウド〉ヨーロッパの第二次戦争の始まつた年でありますが、その時においても六百万乃至八百万の失業者があるといふ状態であります。かういふ状態においてアメリカはいはゆる国防体制に入り、ニュー・ディール政策は大体一九三九年を以て中絶したのであります。ヨーロッパにおける戦争勃発のためにアメリカは一九四〇年春以来国防政策といふニュー・ディールとは別の改策を採用しなければなりませんでした。これは従来のニュー・ディールとは別の原理でありまして、経済外的の原理といつても良いかと思ひます。しかし、国防体制の下でもこれを純粋経済学的に見ると、それはやり国家資本主義であります。即ち、民間企業ではなくして、国家資本によつて国防生産力の拡充を行つたのであります。この意味において国防体制は経済的にみればニュー・ディール後期における公共投資の政策と本質を同じうするのでありまして、従つて国防体制は大体において、ニュー・ディールの延長であつたといはざるを得ないのであります。
 アメリカにおいては一九四〇年から四三年の三月末迄の間に百九十三億弗余の資金が軍需工場の生産拡充のために投資されてをりますが、その内百五十一億弗余は政府資金で、民間資金は四十二億弗余に過ぎません。更に個別的に見ますと、造船業は民間事業で建設されたものは一パーセント、航空機工業は七パーセントでありまして、その他のものの生産力の拡充は、殆どすべて国家資金により行はれてゐるのであります。ですから少くとも資金の面においては国防経済は大体においてニュー・ディール後期の経済と本質を同じうしてゐるといはなければならない。
 勿論国防段階に入りますと、不完全雇傭といふやうな現象は忽ちなくなり、労働者は総て産業に従業し、生産設備は 一〇〇パーセント活用されまして、完全雇傭の状態が現はれました。しかし、そのやうな国防経済は本質においてはニュー・ディール後期の経済に似てをりますけれど、たつた一つ重大な違ひがあります。それは国防経済がニュー・ディールと違つて、最早国内市場ではなくして、世界市場に依存したことであります。アメリカは例の武器貸与法によりまして、ヨーロッパ連合国に対する兵器廠と化し、多量の武器弾薬をイギリス、ロシヤ、重慶その他に供給したのでありまして、ニュー・ディール政策は大体において国内市場を基礎とする政策であつたのですが、国防経済においては広大な世界市場がアメリカの前に開けて来たのであります。かうして、一九四三年の頃は生産額の大体一五パーセントが武器貸与その他の形で海外に輸出されました。かくて、アメリカ資本主義の矛盾は戦争段階においては、もう一度蔽ひ隠されまして、資本主義のスムーズな循環と発展が現はれ、その本質が判らなくなつたのであります。然し第二次世界大戦が昨年〔一九四五〕終了し、いはゆる戦後経済の段階に入りますると、そこにアメリカ資本主義はもう一度大きな問題に直面しなければならなくなりました。戦後における完全雇傭の問題がそれであります。アメリカ資本主義はニュー・ディールの時代にはハンセン等の理論に基づく公共投資政策によつて大きく変貌したのですが、この第二次世界大戦終了以後にアメリカ資本主義がどいいふやうに形をかへ、どういふ形で生き延びて行くだらうかといふことが今後の課題になつて来るわけであります。

 ニュー・ディール政策が「国防体制」へ移行していったことに言及している。「国防経済は大体においてニュー・ディール後期の経済と本質を同じうしてゐる」という指摘もある。この時期のものとしては、高く評価できる文献だと言ってよかろう。【この話、続く】

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