礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ケルロイターは「二流のナチ学者」か

2015-08-27 08:52:07 | コラムと名言

◎ケルロイターは「二流のナチ学者」か

 先日、インターネット上で、長尾龍一氏の「戦前期独墺公法学におけるユダヤ人――日本公法学との関連で――」という文章を読んだ。あまり知られていないような事実が、数多く含まれており、非常に興味深く拝読した。
 ただ、末尾の「五 ナチズムと日本公法学」にある、次の部分には、やや疑問を持った。

② 大串兎代夫(1903-1967)は東大出身、国民精神文化研究所員で、戦後は名城大学教授。Otto Koellreutter (1883-1972)という(Carl Schmitt(1888-1985)などに比べれば)二流のナチ学者を祖述した。

 オットー・ケルロイターが「ナチ学者」であったことは、紛れもない事実である。この短い文章では、「ナチ学者」であったがゆえに、「二流」と呼んでいるのか、もともと、公法学者としても「二流」だったと言おうとしているのか、といったあたりが、よく読みとれない。そもそも、オットー・ケルロイターを、カール・シュミットと比較し、「二流」と位置づけることに、どういう意味があるのか。
 ちなみに、戦中の一九三九年(昭和一四)、当時、東京帝国大学助教授だった矢部貞治は、ケルロイターの『ドイツ憲法論』第三版(一九三八)を翻訳し(共訳)、これを『ナチス・ドイツ憲法論』(岩波書店、一九三九)と題して出版している。この矢部貞治もまた、「二流のナチ学者」だったのか。その翻訳書を出版した岩波書店も、「二流のナチ出版社」だったのか。その矢部貞治を政治上の顧問としていた近衛文麿も、「二流のナチ政治家」だったのか。ケルロイターを客員教授として招いた東京帝国大学は、「二流のナチ大学」だったのか。ケルロイターが日本に滞在していた一年間、講演などを依頼し続けた当時の日本は、「二流のナチ国家」だったのか。

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