礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

金をもらって名前をかくすのは当然の人情(吉田茂)

2017-12-20 02:34:23 | コラムと名言

◎金をもらって名前をかくすのは当然の人情(吉田茂)

 あいかわらず、森脇将光と造船疑獄の話である。
 本日は、一度、森脇将光著『三年の歴史』(森脇文庫、一九五〇)という本に戻る。この本は、森脇の主著『風と共に去り風と共に来りぬ』全五巻(安全投資株式会社出版部、一九五四~一九五五)の、ダイジェス版ないし続編にあたるようだ。「かくて謀略は解明された」、「私はどうしても納得できぬ」、「地方遊説の旅」、「過ぎし三年の回顧」という、四部で構成されているが、「地方遊説の旅」の部のなかに「京都」という章がある。本日は、この章を紹介してみたい。

   京  都

 十六日〔一九五五年二月一六日〕帰京した私は、中一日おいて、京都の都新聞主催の講演に招かれて旅立った。暴力吉田政権〔第五次吉田茂内閣〕が倒れ、信を国民に問う総選挙、私自身個人的にひじょうに忙がしかったが、そういう私事をこえて、明るく正しい政治が国に樹立されることをのぞんでやまない私は、講演のため、東奔西走したわけである。
 十九日の朝八時、京都駅に着き、記者に迎えられて、すぐ旅館『ふじかた』へ落着き、宿でインタビュー、六時から商工会議所の講演にのぞんだ。内容は疑獄の焦点から転じて吉田暴言に及んだ。
【一行アキ】
――昭和二十九年〔一九五四〕八月十日、自由党支部長会議が永田町の首相官邸で開かれたが、その席上吉田首相は、自由党総裁として次のようなあいさつを行った。
「政府は信念をもって指揮権発動を行った。一体、汚職、汚職というが、その内容は何なのか。なぜ幹事長〔佐藤栄作〕を逮捕せねばならないのか。そもそも政党の会計帳簿が不十分なのは当然なのである。金を寄付する人も受取る人もそれぞれ善意によって行っているのであって、名前を出さないのは当然の人情である。しかるに寄付者の名前、金額が不届けであるとして逮捕するのは私には分らない。逮捕と言うことは基本的人権の尊重と言うことから最も慎重にしなければならない。逮捕しなければ証拠が集まらないと言うのは当局の能力を疑わざるを得ない。新憲法では人権擁護を第一としているのに、これを軽々しく逮捕し、また逮捕しなければ証拠が集まらないというのは私のかって聞かざる議論である。金をもらって名前をかくすのは当然の人情であれば、これを逮捕するのはおかしいのはもちろん、こういうことをすれば今後幹事長のなり手もなくなり、寄付をする人もいなくなる。これは結果として政党政治の破壊であり、即ち民主主義の破壊である。政府としては断固斗う所存である。新聞にはこのことについて面白半分に書いているが、かゝる流言飛語には耳をかさず政府を信じてもらいたい」
 〝造船疑獄は流言飛語だ〟
 この言葉に私の耳を疑った、時の総理大臣の言葉だったからだ、汚職、乱斗国会などで人気を落した政府与党の士気を振い起させるのがネライだったかもしれないが、一国の首相が、司法権の介入ともみられる放言を、無責任にした事に私は憤激のやり場を失った。吉田首相は、「一体汚職、汚職というが、その内容は何なのか」と言っているが、大体こん度の汚職の内容をあいまいにしたのは内閣みずからである。
 司法権の発動を指揮権発動という暴挙によって証拠収集を不可能にさせ、事件の全貌をヤミに葬つた張本人は吉田内閣である筈だ。私はここで指揮権発動問題を再び論じようと思わないが、あのような暴挙が、国民の政治に対する不信頼感をあとに残したとは実に大きな問題だと思う。
 吉田首相は指揮権の発動のどこが悪いか、ひらきなおっている。また、幹事長が金を秘密にやりとりするのは当り前だ、と言っているが、このような無責任かつお粗末な公言をする総理大臣をもったと言うことに私は涙を押さえることができなかった。
 法律を施行する責任者である首相が、法律に違反するのは「当り前」という権力をもつものの暴言に憤りと悲しみが錯綜して、ただ一般の人は小さな罪でも捕まれば刑務所行き、法の信念と威厳は何処にあるのだろうか、と深く考えさせられ、拭うことの出来ない巧点が、太陽の下で行われた事に、私は憤りをどうすることも出来なかった。
 このような感情は私ばかりではない。多くの人が如何に怒り、憤ったか当時の新聞が吉田内閣に対して総攻撃を加えたことからも判断できようというものだ。
 そればかりではない。八月十日衆院決算委員会で、小原〔直〕法相が社会党杉村仲次郎氏の、
「十日の首相の発言を法務当局はどう考えるか。もしも造船疑獄が首相の言うとおり流言飛語ならば、検察当局は流言飛語のために貴重な捜査費用を乱費したことになるではないか」との質問に、
「首相は自由党総裁の資格で出席し発言した。発言内容はわけのわからぬピントの狂ったところがあると思う。自由党内の内輪の発言であり、腹の片すみにあることをもらしたのであろうと思うが、機会があれば問いたゞしてみたい」
 と内閣の司法を担当する法相が吉田首相のことをピントが狂っていると卒直に認める段にいたっては、ここで私が言を多くして語るに及ばないであろう。【以下、次回】

 なお、同書の装幀は、洋画家の西山舜之助(一九一五~一九七〇)が担当している。表紙・ウラ表紙を使って、五匹の猫が描かれているが、この絵が実にいい。

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