礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

1948年に長者番付筆頭、1949年に滞納王

2017-12-12 04:55:40 | コラムと名言

◎1948年に長者番付筆頭、1949年に滞納王

 ここ数日、森脇将光著『三年の歴史』(森脇文庫、一九五五)を紹介してきたが、森脇将光という人物、森脇将光が関わった事件については、まだ十分に説明していなかった。森脇将光が関わった事件としては、吹原産業事件(一九六五)が有名だが、『三年の歴史』は、同事件よりも十年も前に出ている。この本が扱っているのは、造船疑獄(一九五四)を頂点とする諸事件である。実は、これは、きわめて複雑な事象であって、その全容を把握し説明することは、容易ではない。『三年の歴史』を読めば、ある程度のことはわかるが、著者がこの本で、事件の内容を公正に、かつ、過不足なく伝えているとは限らない。
 本日は、とりあえず、この本のカバーにあった「著者紹介」、および、冒頭の「はしがき」を紹介してみることにしたい。

  著 者 紹 介
 明治三十三年〔一九〇〇〕一月十七日島根県出雲平田市に生る。福井県立小浜水産学校卒業後、上京して日本三弁護士として有名な岸清一博士の書生となる。その後、母の病いで帰郷、転じて長崎県産業技手となり、商工産業課に勤務二年、再び上京して、慶応大学経済科に苦学、学生時代より夜店商人、外交員となり独立して土地業金融業に励む、戦時東亜各地に土木、建築、造船、運輸、漁業、ホテル経営、終戦で無一文となり出版に入るも、昭和二十二年〔一九四七〕金融をはじめる。二十三年度〔一九四八〕長者番付筆頭、翌二十四年〔一九四九〕滞納王、二十九年〔一九五四〕造船疑獄で一躍名を馳せ、事業精進のかたわら「風と共に去り風と共に来りぬ」全五巻の著作で有名。

  は し が き
 私が東京での苦学時代、岸清一博士法律事務所に書生の当時、昼間通学を許されたが学校で本を繙く〈ヒモトク〉以外には見る時間とてなかつた。私は授業後の十分の休憩を利用して、その時教わつたうち十だけマスターしようと務めたが、それも困難であつた、七に減じ、五にへらし、遂に三にして漸く我物にする自信が出来た。毎時の授業をそうした修錬の仕方におきかえ、慶応に進んでからも、それを立て通した。今にして考えると、そうしたことがよかつたなあーと思つている。
 私はそうした経験から、こうしたことが現代のように劇しい時代には、なお更必要ではないか――そういうことから森脇文庫宣言というものも生れ、その心掛けで、これからドシドシ刊行して行く積りである。
 この文庫第一巻は私の著作「風と共に去り風と共に来りぬ」全五巻一八〇〇頁にわたるものを集約したもので、この三年にあつた諸相の出来ごとを通ずる諸現象が一応わかつて戴けると思う。
 そして、そこには仏陀や、キリストの教えでもなく、伝教師の語り草でもない、生々しい豊かな経験的教訓を受取つて貰えると思うからでもある。
 二七〇頁の大部を美麗、ビニール装して僅か百円で世に贈ることの出来た光栄を喜んでいる。これからも何くれとなく叱声御鞭韃を願いたい。
      伊豆伊東別荘にて
           著   者

「著者紹介」、「はしがき」は、ともに『風と共に去り風と共に来りぬ』という本に触れている。森脇将光という人物、あるいは、彼が関わった事件を知るためには、少なくとも、この本は読んでおく必要があろう。
 ちかぢか国立国会図書館に赴き、この本を読んできたいと思う。明日は、いったん、話題を転ずる。

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