礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

不燃都市なくして国防なし(田辺平学)

2016-06-20 01:58:20 | コラムと名言

◎不燃都市なくして国防なし(田辺平学)

 昨日の続きである。田辺平学著『不燃都市』(河出書房、一九四五)から、本日は、Ⅶ「都市改造」の6「結論」を紹介してみたい(五六七~五六九ページ)。

 6.結 論
 帝都を始め我国重要都市に対する防空的改造計画として、著者が抱懐する具体案は大略以上の如きものである。盟邦ドイツが夙に〈ツトニ〉15世紀の昔に「木造厳禁」を断行して都市の不燃化を実現せしめ、最近更に民族復興の記念事業として、又空襲被害地区の復興事業として、首都その他重要諸都市の徹底的改造乃至再建計画を樹立実行し、特に今次大戦の勃発と共に、耐火且耐弾の完全防空都市建設を目指して、8000mの大高度より投下さるゝ500kg以上の大型爆弾の直撃に耐へる「耐弾防護室」の建設に向つて一路邁進しつゝある遠大にして而も徹底的なる計画に比すれば、上記の未熟なる著者の改造計画の如きは、未だ現状に囚はるゝ〈トラワルル〉所多く、従来の島国的見地に基く姑息〈コソク〉・消極・不徹底の案を多く脱却せざるものとして、或は笑を後世に遺すものではないかと恐れるが、苟くも〈イヤシクモ〉雄渾無比なる大東亜共栄圏の首都乃至重要都市としては、その規模に於て少くともこの程度の改造計画は、現在に於ける世界各国諸都市の水準より見るも、最小限度の要求たるべきことを愬へん〈ウッタエン〉として公表を敢てした次第である。名古屋その他の重要諸都市の改造計画に就ても目下研究を進めつゝあり、他日公表の機会を得度い〈エタイ〉と希つてゐるが、これ等重要諸都市の改造も、上記の帝都並に大阪市の場合に準じて、是非とも徹底した計画を樹立し、万難を排してこれが実現を期せねばならぬ。
 重ねて言ふ。要は英断と実行とにある。特に「防火」の点より見たる我国の都市建築は、極言すればイギリスに後れること約300年、ドイツに後れること正に約450年である。而も航空機並に兵器の進歩に伴ひ、都市に対する空の脅威は日一日と増大の一路を辿る。既成文明都市の終焉〈シュウエン〉を招致すべき頻度空襲による徹底的無差別爆撃の日は、刻一刻と近付きつゝある。我等の決心が一刻遅れゝば遅れるだけ、我国の諸都市と欧米の諸都市との武装の差は、益々顕著となる計り〈バカリ〉である。不燃都市なくして国防なし!「宿命的木造都市」だの、「鉄筋コンクリートは理想に過ぎぬ」などと云つてゐる時代ではない。況んや〈イワンヤ〉「木造家屋とは切つても切れぬ生活」などと恋々たるに於てをやである。
 我国都市防空の対策は、今にして一切の姑息案を廃し、一大飛躍をなすに非ざれば永久に外国の後塵のみを拝してをらねばならぬ。日本の都市も今日としては少くとも世界的水準まで、否寧ろそれ以上に防空的に強化することが絶対必要である。
 如何となれば、今日の航空機並に兵器の進歩から見て、我国の都市が敵機の爆撃に曝さるゝ〈サラサルル〉可能性と危険性とは、山一つ河一つで敵国と境を接する欧洲諸国の場合と敢て著しい区別が認められなくなつた計りでなく、海洋から受ける空襲に対しては狭き島国であり而も重要諸都市が殆ど全部海に臨んでゐるだけに、寧ろ我国の方が欧洲の諸国よりも防衛に困難を感ずる場合が多いと認められるからである。
 殊に欧洲の諸都市では、空襲は滅多に致命傷にはならぬが、我国の現状、特に重要工場が木造都市内に多数包蔵されてをり、人口も亦都市に過大集中せる現状に於ては、その惧〈オソレ〉さへも絶無とは保証し得ない。況んや我国は大東亜の盟主として、今後起り得べきあらゆる障害を排除し、不退転の勇気を以て共栄圏建設の聖業完遂〈カンスイ〉に邁進すべき重大使命を負はされてゐるのである。その我国の重要都市は、殊に帝都は、正に大東亜共栄圏の中核である。従つてその規模は、飽くまで皇謨〈コウボ〉の宏大を表象するに足るべく、その構成はどこまでも強靭不壊でなくてはならぬ!
 国家百年の為に、又我々の子々孫々の為に、雄大壮厳〈ソウゴン〉にして、而も簡素強靭、真に俟つあるを恃む〈タノム〉耐弾的完全不燃都市の建設を、 国家の大方針、不動の国策として決定し、財政上の援助・保護・奨励の如きは勿論、組織・研究・法令・教育・宣伝その他あらゆる方策を講じて、軍官民協力一致、万難を排して実現を期すべく、これが断行に邁進すべきである。著者亦浅学なりと雖も〈イエドモ〉、驥尾〈キビ〉に附して微力を致すの覚悟がある。
 以上が著者年来の主張でもあり、不動の信念でもあり、又最近に防空都市建設の世界的水準並に動向を実地踏査して確め得た究極の結論でもあるのである。

 建築学者の田辺平学(一八九八~一九五四)の著書『不燃都市』が刊行されたのは、一九四五年(昭和二〇)八月一五日のことであった。田辺が、この大著によって、「不燃都市なくして国防なし」という年来の主張を世に問うたとき、帝都はすでに焦土と化していた。しかも、日本の降伏によって、この日以降、敵国の空襲は止むことになったのであった。
 では、田辺のこの本は、無用なものだったのか。この大著に結実した田辺の研究は無駄なものだったのか。そんなことはないと思う。
 そう思う理由を述べる。第一に、この本の存在によって、日本が、「国防」という観点なしに、対英米戦に突入したという事実が鮮明になる。そもそも、近代における日本の国民や軍人にとって、戦争というのは、日本の「国外」でおこなわれるもの、あるいは「他国を攻撃する」ものという前提があって、日本本土が敵国から空襲されたり、日本本土に敵国の軍隊が上陸するということは、ほとんど想定外だったのではないだろうか。
 第二に、戦後においても、日本は、「不燃都市」を目指すことはしてこなかった。世に、「国防」の必要を強調する論者、自衛隊の増強を主張する論者は多いが、彼らが、「不燃都市なくして国防なし」という観点から、「不燃都市」の必要を強調しているという話を聞かない。彼らが、本当に「国防」ということを意識しているのであれば、「不燃都市」実現のために、財政上の援助・保護・奨励、あるいは、組織・研究・法令・教育・宣伝、その他の方策を講じるよう、諸機関に働きかけるべきである。
 第三に、今日、日本を「戦争ができる国」にしようとしている政治家がいて、それを支持している国民がいる。そうした政治家・国民にとって、「戦争」というのは、日本の「国外」でおこなわれるものだという前提があるのではないか。戦争ということになれば、当然、自国も攻撃を受けることになる。しかし、いまだ、「不燃都市」を実現していない日本は、とうてい「戦争ができる国」ではない。各地に、原発という「目標」を抱えているという意味においても、とうてい日本は、「戦争ができる国」ではない。
 こういったことを考えさせてくれるこの本は、非常に示唆的であり、そこに結晶されている田辺の研究は、きわめて有益であると思った。

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