礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ストゥカルト(Stuckart)、ナチスの「憲法原理」を語る

2015-08-03 03:02:22 | コラムと名言

◎ストゥカルト(Stuckart)、ナチスの「憲法原理」を語る

 本日のテーマは、「ワイマール憲法の崩壊」である。これについては、いろいろ紹介したい文献があるが、本日は、「ドイツ国プロイセン内務省事務長官・局長」時代のストゥカルト(Stuckart)が書いた「民族社会主義と国法」という論文から、参照に値すると思った部分を紹介する。出典は、「新独逸国家大系」第三巻政治篇3『国法的基礎・国防軍』(日本評論社、一九三九)。ストゥカルトの論文は、同書の「三」にあたる。翻訳者は、東北帝国大学助教授の五十嵐豊作。
 なお、筆者のストゥカルトとは、ヒムラー内相の次官として知られたウィルヘルム・シュトゥッカート(一九〇二~一九五三)のことであろう。
 同論文の第三節において、ストゥカルトは、ワイマール憲法の空文化などによって、ワイマール体制を「廃棄」していった過程を、詳細かつ具体的に記述している。この部分も非常に興味深いのだが、今回は、その前に、第四節のほうから紹介してみたいと思う。第四節でストゥカルトは、ワイマール憲法が「凌駕」されたあとにおけるドイツの憲法状況について論じている。引用は、二四~二六ページから。文中、【 】内は、訳者による脚注、補注あるいはルビ、〈 〉内は、引用者(礫川)による「読み」の注。

四 ワイマール憲法と国法的新構成
【前略】
 新しい成文憲法の欠如の結果、ワイマール憲法は引き続き妥当するかの問題が若干の役目を演じた。ワイマール憲法――それは全く異なつた・部分的には自己自らと解くべからざる矛盾にたつてゐる諸々の基本的見解に依存してゐる――は、民族社会主義理念の上に基礎を置く第三帝国には、全然或は部分的にも、国家根本法たる意味をもつことができない。なぜなら、憲法は国家観念の形成・民族の政治統一の方法と形式に就ての政治的根本決定・そして同時に、政治的根本秩序――それは政治的価値と力の多様性を、民族的・国家的統一にまで集中する――であらねばならぬから。
 ワイマール憲法は、それ故に如何なる事情のもとに於いても、もはや政治生活の基礎でない――ドイツ国の政治のためにも、ドイツ国の形成のためにも、ドイツ国の内容のためにも。このことは、形式的意味に於ける新憲法がその代りに現はれてゐないことによつて変化しない。イギリス世界帝国の憲法が個々の根本的法律、そして、就中〈ナカンズク〉慣習法に依存するやうに、第三帝国もすでに今日新しい憲法、第三帝国に於けるドイツ民族の政治的根本秩序をもつてゐる。それはしかも憲法章典の中に表現されず、例へば、授権法・党と国家の統一確保のための法律・ドイツ国元首法・ドイツ市町村規則・ドイツ的血統及びドイツ的名誉保護法・ドイツ国防軍法・ドイツ国公民法及び国旗法のやうな一連の根本的法律の中に、そして、就中慣習法になつた民族社会主義の基本的見解の中に表現されてゐる。そこで、不文であるが、全生活を支配し且つ形成する憲法的原理は、次のやうである。
 公益は私益に先きだつ。【Gemeinnutz geht vor Eigenutz.】
 血と土【Blut und Boden】は、ドイツ民族の不断に更新する生活源泉である。
 ドイツ的血統の純粋性及び健全性はドイツ民族の存続の前提である。
 民族及び国家【ライヒ】は指導者原理によつて指導され且つ統治される。
 ドイツ国の基礎は、扈従者【Gefolgschaft】の指導者に対する自発的な信頼・誠実関係【Vertrauens₌ und Treueverhältnis】である。
 党は民族の政治的良心、政治的見解及び政治的意思を代表し、そして、国家をして民族社会主義的世界観に奉仕せしめる。党は一切の生活領域に偉大な目的を設定し、且つ公共生活を民族的義務と一致せしむべきである。
 党は、就中、ドイツ国家に最高且つ一般的な指導を与ふべきである。
 党の指導者は時により、ドイツ国元首であり、且つドイツ国防軍の最高統卒者である。
 党と国防軍は民族及び国家【ライヒ】の支柱である。
 形式的関係に於いてワイマール憲法は同様にその意味を失つた。憲法と他の法律の間の区別である変更の困難を除去しようとする、一九三三年三月二十四日の授権法と共に、踏みだされた途〈ミチ〉を、最後のものとして憲法の変更に必要な多数を以て制定された、【一九三四年一月三十日の】「ドイツ国の新構成に関する法律」【Gesetz über den Neuaufbau Reichs】が完成した。そして、その法律はその第四条で明白にドイツ国政府の立法権を何らの制限なしに新憲法を制定しうるやうに拡大した。だから、新憲法制定のために、いまは特別の多数も、一般的には国会の議決も必要でない。むしろ、政府法律【Regierungsgsetz】の簡易な手続で充分である。それと共に、ワイマール憲法は形式的意味に於けるその特別の性質を奪はれた。かくて、ドイツ国政府によつて新しく制定さるべき憲法は、かやうな特別の困難を知らない。一方に憲法及び憲法的法律と、他方に単なる法律の間の対立――それは自由主義的な安全の要求にその原因をもつてゐる――を再び生ぜしめることは、民族の信頼で担はれてゐる指導者国家の観念と一致しない。だから、変更を困難にすることによつて、形式的意味の憲法を重視する必要は、将来ももはや承認されないのである。形式的憲法概念はそれと同時に、ドイツではその意味を失つた――イギリス世界帝国にとつて嘗て意味がなかつたやうに。それ故に、ワイマール憲法はそれがなほ妥当する限り、「簡易法律」【einfaches Gesetz】でしかありえぬ。
 ワイマール憲法がその基礎に於いて、そして、その目標に於いて、凌駕されたことは上に既に明らかにされた。このことは、たが、同時に一切のその個々の規定が廃止され且つ対象がなくなつたことを意味しない。ワイマール憲法の法的・綱領的原理が、民族社会主義的思想財及び新ドイツ国の法律と矛盾する限りに於いてのみ、無対象となり、効力を失つてゐるのである。他の点で、ワイマール憲法の規定は、それが新国家の規定によつて凌駕されず、もしくは恐らくかかるものとしての憲法が廃止されたと宣言されない限りは、なほ妥当する。新ドイツ国の建設が進行すればする程、ワイマール憲法のなほ妥当してゐる規定の数が少くなる。遂には将来何日か、あの古い原理、「後の法律は前の法律を廃す【レクス・ポリステオル・デロガト・レギ・プリオリ】」によつて、ワイマール憲法の最後の規定が無効となるだらう。

 文中に、「形式的意味に於ける新憲法」という言葉が出てくる。ナチスが、もし、そうした「形式的意味に於ける新憲法」を制定していたとしたら、おそらくそれは、「ナチス憲法」と呼ばれることになったであろう。しかし、ナチスは、そうした憲法(憲法典)を制定する意志を持っていなかった。「形式的意味に於ける新憲法」とは異なる、「あたらしい憲法」を志向していたからである。その「あたらしい憲法」とは、ここでストゥカルトが力説しているように、授権法を初めとする諸法(その諸法には、空文化された「ワイマール憲法」もはいると理解してよいだろう)や、すでに「慣習法」と化した「民族社会主義の基本的見解」などが含まれる。これらすべてをまとめたものが、ストゥカルトのいう「新しい憲法」である。戦前・戦中の日本においては、このようなナチスにおける憲法状況(ストゥカルトのいう「新しい憲法」)を指して、「ナチス憲法」と呼ぶことがあった。二年前に麻生太郎副総理兼財務大臣(当時)が「ナチス憲法」という言葉を使われたことがあるが、麻生氏もまた、この言葉を、そうした意味で把握されていたのであろう。なお、ナチス自身が、「ナチス憲法」という呼称を用いていた事実があったのかどうかについては、今のところ、何とも言えない。

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