◎「ねずみ捕り競争」と「蝿とり競争」
末川博の『真実の勝利』(勁草書房、一九四八)を紹介している。本日は、「自ら考え自ら行ふ」という文章を紹介してみたい。以下がその全文である。
自ら考え自ら行ふ
「ねずみ捕り競争」。市役所前の大きな立看板にかう書いてあるのが目につく。競争といふのは一体どんな意味なのか、知らないけれども、理くつは拔きにして、どこかユーモラスな感じがあるのは、このごろの立看板としてはとり柄であらう。しかし競争といふのだから、ねずみを捕る者の自発的な行動を促すところもあるやうに思はれて、この点でも、従来の何々をしろとか何何をやれとかいふ風な号令をかける態度とはちがひ、民衆の自主性を重んじたよい傾向が現れてゐるといへるかも知れない。それにしても、あんな立看板を必要とすること自体が、文化都市たる京都の誇りにならぬのは、いふまでもあるまい。
日本では何でもかでも、「命令」と「服従」とを基としてゐる。春秋二回家の大掃除をするのだが、その出来ばえを巡査に検閲してもらはねばならぬ。大掃除は巡査のためにやるのではない、自分のためにやるのである。日本人にはこれぐらゐのことさへわからぬらしい。蝿を捕へるのだつて、蝿とり日とか蝿とり週間とかいふやうなものをきめてゐる。身のまはりの蝿やのみやしらみでも一々命令がなければとらぬのだらうか。こんなことがかつて外国の雑誌に出てゐた。さういはれてみると、われわれ日本人は自発的に自ら行ふことを知らぬといはれても仕方がないところがある。
また次のやうな記事もある。日本人は九十九パーセントまで就学して読み書きができると自慢してゐる。なるほど、さうかも知れぬ。だが、驚くべきことに彼らは皆目外国の事情を知らない。比較も研究もしないから、日本だけがえらいと思ひ込んでゐる。その上もつともいけないことには、日本人は「自ら考へる」やうに教育されてゐない。また「考へること」さへ許されてゐないのである。最近十数年殊に戦争中のことをふりかへつてみれば、かういふ批評も承服せざるを得ないであらう。たゞわが国の長所美点だけを過大に評価して誇示し、やたらに架空な優越感をあふりたて、短所弱点はこれをひたかくしに包みかくして来た。そして他面では、外国の短所だけを過大に宣伝して、その長所はできるだけ国民に知らせぬやうにして来た。比較研究はおろか、考へる能力さへ失つたわけである。米国では太平洋戦争ぼつ発とともに日本に関する色々の研究が盛んになり、日本語の習得がすゝめられたのに、日本では研究どころか中等学校の英語の授業すら抑へられたのだから、話にならぬ。全く知らしむべからず、依らしむべしで一貫して来た結果、われわれは自ら考へることも自ら行ふこともできぬやうに性格づけられてしまつたのである。かういふわれくの現実の性格を今日〈コンニチ〉は率直に認めて勇敢にわれわれの短所や欠点をゑぐり出し、それを直すやうにしなければならぬ。
自分では考へない、自らは行はない。それは「人が何とかして呉れるだらう」といふ他人まかせ他力本願のずるい考へ方の現れでもある。そして自分は責任を負はぬやうに損をせぬやうに、しかも他人にやらして都合がよければうまい汁だけは吸はしてもらはうといふ卑屈なところもある。日本人が皆さうだといふのではない。だが、正直にいへば、われわれには他人がして呉れるのを待つたり他人から命令されなければ動かなかつたりする風が根強い習性となつてゐることを否み得ない。殊に政治については、自分たちのことでありながら、誰かが何とかして呉れるだらう、何とかなるだらうと他人事〈ヒトゴト〉のやうに考へてゐる。これではいはゆるボス政治家がのさばるだけで、民主主義の徹底も自治確立も期し難い。もつと自ら考へ自ら行ひ自ら責任を負ふ気風を養はねばならぬ。そしてそれを養ふには、教育の根本から改めてかゝらねばならぬが、さし当り、身のまはりのことはめいめいが自分でやるやうにしつけることが肝要である。
――二一・八――
この文章を読んで、小学生時代、全校をあげて、「蝿捕り競争」がおこなわれたことを思い出した。昭和三〇年代のことで、都下の村立小学校の行事であった。
詳しいことは覚えていないが、従軍経験を持つF先生の発案だったと記憶する。「ハエ採り競争」と言わず「ハイ捕り競争」と言ったかもしれない。
「競争」とは、捕った蝿の数をクラス同士で争うのである。子どもたちは、蝿タタキで捕った蝿を、マッチ箱に詰めるなどして学校に持参した。その蝿の数を数え、クラス全体で捕った蝿の総数を出す。この総数を競ったのである。各クラスの蝿の総数は、その都度、棒グラフで全校児童に掲示された。
この競争は、エスカレートし、「ハイとりリボン」をそのまま持参する子どももあらわれた。サカナ屋まで出かけ、銀蝿を叩いている子どもいた。
「蝿捕り週間」でなく、「蝿捕り競争」だったのは、やはり、「自主性」を重んずる民主教育だったからのだろうか。
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