礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

キコリの九右衛門、熊に送られて村に帰る

2015-05-17 05:03:16 | コラムと名言

◎キコリの九右衛門、熊に送られて村に帰る

 昨日の続きである。塚本哲三『漢文初歩学び方考へ方と解き方講義』(考へ方研究社、一九二五)から、明治の漢学者・信夫恕軒の文章を紹介している。
 熊に助けられ、熊と暮らすことになったキコリの九右衛門は、その後、どうなったのか。それを知るには、「白文」を正しく読めばよい。あるいは、同書にある「解」を参照すればよい。
「解」の前半は、句読点・帰り点・送り仮名が施された漢文になっている。これは、ブログ上では表記しにくいので、まず、白文に句読点のみを施したものを掲げる。

  数十日終与熊相狎、如同胞然。而九帰思甚切。一日出窟、負喧捫蝨。熊口其袖、引之、若将誘行者。乃尾而往。熊爪積雪啓徑。行里余、始得人跡。驚喜厚謝熊。熊一逸而去、不知其所往。九合掌礼拝、目送久之。遂得帰家云。

 次に、漢文書き下し文を掲げてみる(原本には、漢文書き下し文は載っていない)。

 数十日ニシテ終ニ〈ついに〉熊ト相狎レ【ナレ】、同胞ノ如ク然リ。而レドモ九ノ帰思〈きし〉甚ダ切ナリ。一日〈いちじつ〉窟ヲ出デ〈いで〉、喧ヲ負ヒテ〈けんをおいて〉蝨ヲ捫ス〈しらみをもんす〉。熊其ノ袖ヲ口シテ〈くちして〉、之ヲ引キ、将ニ〈まさに〉誘ヒ行カントスル者ノ若シ。乃チ尾シテ〈びして〉往ク。熊積雪ニ爪シテ徑ヲ啓ク【ミチヲヒラク】。行クコト里余、始メテ人跡ヲ得タリ。驚喜シテ厚ク熊ニ謝ス。熊一逸〈いちいつ〉シテ去リ、其ノ往ク所ヲ知ラズ。九合掌シテ礼拝シ、目送スルコト久シウス。遂ニ得帰家ニ帰ルヲ得タリト云フ。

 続いて、「解」の後半にある現代語訳を引用する。本では、カタカナ文であるが、読みにくいので、ひらがな文に直して紹介する。「解」のあとに、「注意」というものがついているが、これも併せて引用する(「注意」は、もともと、ひらがな文である)。

 数十日たつて、終に熊となれつ子になつてしまつて丸で兄弟のやうであつた。けれども九〔九右衛門〕の家に帰りたい思〈オモイ〉は非常に切〈セツ〉であつた。或日いはや〔岩屋〕を出て、日にあたつてしらみを取つて居ると、熊が袖を口にくはえて引張つて、恰も〈アタカモ〉誘つて行かうとするがやうであつた。そこであとについて熊の行く方に往つた。熊は爪で積雪をかきわけてみちを作つて、一里余りもあるいて行くと、始めて人の足跡が見つかつた。九は驚き喜んで厚く熊に礼を言つた。熊は一散に走り去つて、どつちへ行つたか分らなくなつた。九は手を合はせて礼拝してやゝしばらく見送つて居た。斯うして〈コウシテ〉遂に家に帰る事が出来たといふ事である。
 注意 こゝの里余は日本の里程の一里余と考へるのが至当である。それから久之は久之〈コレヲヒサシウシテ〉と読んでもよい。

「注意」で「久之」に言及しているが、これは、末尾に近い「目送久之」についての補足である。「解」の前半では、これを、「目送スルコト久シウス。」と読んでいる。となると、「之」は読まないのかという疑問をいだく読者もあるだろう。そのことを意識し、「目送スルコト之ヲ久シウシテ、」と読んでもよい、と言っているのである。

※当初、原文のルビと引用者が注釈として施した読みを区別していませんでしたので、これらを区別しました。【 】内が原文のルビで、〈 〉内が引用者による読みです。また、若干の誤記がありましたので、この機会に訂正しました(2021・2・11追記)。

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1 コメント

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Unknown ( 伴蔵)
2015-05-18 22:17:31
 この熊は、ツキノワグマと考えられますが、ヒグマやホッ

キョクグマなどとは違い、温厚な性質だそうです。ムツゴロ

ウさんの本にヒグマを飼い慣らした話が載っていますが、

熊は、動物の中でも知能が高い方なのでしよう。
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