礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

マーク・ゲイン『ニッポン日記』の旧版と新版

2014-11-21 08:07:41 | コラムと名言

◎マーク・ゲイン『ニッポン日記』の旧版と新版

 マーク・ゲイン著・井本威夫訳『ニッポン日記』(筑摩書房)は、上下二巻からなり、上巻は、一九五一年(昭和二六)一一月五日、下巻は、同月三〇日に発行された。
 同書には、一九六三年(昭和三八)一〇月二五日に筑摩叢書の形で発行された新版もある。新版には、訳者の「新版にあたって」という文章、さらには、中野好夫による「解説」が付されている。旧版にあったミスも訂正されているという。その点はよいのだが、旧版下巻で、一二〇ページ余を占めていた第三章「朝鮮」、および、下巻末の「マックアーサー帰国後」という文章が、そっくりカットされている。研究のために同書を利用される方は、新旧両版を用意すべきであろう。
 本日は、新版に付された井本威夫〈タケオ〉の「新版にあたって」という文章を紹介してみたい。

 新版にあたって
「筑摩叢書」の中に、「ニッポン日記」をいれたいという申出でに、まったくびっくりした。昭和二十六年秋初版の図書は、もうすっかり読みわすれられていることと思っていたし、最近ある週刊誌で、書中に登場するある人物のことを連載したことがあったが、訳者としては、過去の本と考えていた。
 しかし、やっぱりあの混乱のときの記録としては価値がある本であろう。翻訳を思いたった動機は、たびたび、いろいろなところへ書いたから繰り返す必要はない。ただ、筑摩書房の大英断により講和条約発効〔一九五二年四月二八日〕前に出版するということになり、のんびり訳していたので、ずいぶん慌てたため、思いちがいや、ケヤレス・ミステークもずいぶんあったが、改版の機会がなかったのと、当時の情勢で、都合のわるい人物をA代将とか、X少佐とか仮名を用いたのと、大して重要ではないが、三カ所ほど訳出しなかったところがあった。これも残念だったが、初版発行後間もなく、一面識もない寿岳文章〈ジュガク・ブンショウ〉先生から、いろいろ正誤表を頂き、そのうえ、本書三〇一頁にあるフレーザーのことを、訳者の無知と、わざわざ訳注をつけることもあるまいと、「英国の詩人、フレーザー」とやってしまった。寿岳先生のお手紙は、大切に保存しているが、原著者がそう書いているなら大変な思いちがいで、これは、民俗学者その他として著名なフレーザーの間違いであるとご教示をいただいた。眼光紙背に徹すとよくいうが、まったくそれどころではなかった。今度の叢書でようやく訂正、先生に十二年ぶりでお詫びできるのが何より嬉しい。「朝鮮」と、マックアーサー罷免後の日本について原著者がわざわざ書きおくってくれた「マックアーサー元帥帰国後」は、訳者の意図で採録しなかった。「朝鮮」は、どういうことなのかまったく見当もつかないし、後者は、やはり、新聞記者が、自分で歩き、自分で見、自分で記録したものでないと、はなはだ印象がうすれるからである。
 いま読まれる読者は、きっと違和感を覚えられることと思う。それはそれで結構だが、当時の記録として――著者の主観がかなりつよく出ていても――残しておきたい本である。
 読者が、何を読みとられるか、どう反撥されるか、訳者には大変興味があるが、あえて「筑摩叢書」中に加えて下さった同書房には敬意を表せざるを得ない。
 一九六三年七月    訳 者

 これによれば、新版で、第三章「朝鮮」と「マックアーサー元帥帰国後」をカットしたのは、訳者の意向を受けたものだったようである。
 なお、訳者・井本威夫は、一九六三年一一月八日に、すなわち新版発行から一〇日ほど後に、亡くなっている。

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