礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

詳細な註から戦中の法学界の動向がつかめる

2024-03-28 00:17:49 | コラムと名言

◎詳細な註から戦中の法学界の動向がつかめる

 本日以降は、舟橋諄一訳著『民法典との訣別』の第二部「『民法典との訣別』論について」のうち、「一 序説」を紹介する。ページでいうと、55ページから63ページまで。
「一 序説」は、「『民法典との訣別』論について」の第一節にあたり、「一」から「五」までの五項からなる。
 本日は、「一」すなわち第一項の本文および註を紹介する。本文中における㈠㈡㈢㈣は、註番号。本文に続く、(一)(二)(三)(四)は、それらに対応する註である。

      序  説

  『民法典との訣別(Abschied vom BGB)』といふ標語は、前段に訳載したフランツ・シュレーゲルベルゲル教授(Dr, Franz Schlegelberger)の講演㈠の題目に由来するものであるが、これに関連しては、ドイツでもさまざまな論議が展開され㈡、わが国においても、牧野博士がいち早く「民法よ、さやうなら」の標語として取上げられたほか㈢、その後、一面においてば、民法の将来といふ問題、他面においては、経済法なる新たなる法領域生成の問題と関連せしめられて、これに対する関心はますます深まりつつあるやうに見受けられる㈣。

(一)吾妻教授の教示に従へば、この講演は、キール大学を中心とする新進学徒――いはゆるキール学派――の革新的な主張に支持せられて、一九三七年、すなはちわが昭和十二年に、ハイデルベルク大学創立五百五十年の式典講演としてなされたものであり、その草稿も同学派の一人が作成したとさへいはれてゐるとのことである。吾妻光俊〈アヅマ・ミツトシ〉「ナチス民法学の精神」二〇頁・二三頁参照。本講演については、早くも昭和十二年に、柚木・我妻両教授によつて紹介がなされ(柚木馨〈ユノキ・カオル〉『ナチスに於ける独逸民法典の運命』民商法雑誌六巻二号、我妻栄〈ワガツマ・サカエ〉『シュレーゲルベルガー「民法への訣別」』〔新刊短評〕法学協会雑誌五五巻一二号)、また、我妻教授によつても前掲書によつてその主張の骨子が紹介されてゐる(同書二〇頁以下)。さらにまた、小池教授も、相当詳細にこれを紹介し批評してをられる。小池隆一〈リュウイチ〉『経済法と民法』(「慶応義塾大学論集(昭和十七)」所収)。なほ、シュレーゲルベルゲル氏は、司法省におけるStaatssekretär といふ枢要な地位にあるほか、ベルリン大学の名誉教授(Honorarprofessor)、ドイツ法学院(Akademic für Deutsches Recht)の会員をも兼ねてをられるやうである。わたくしが、同氏を教授と呼ぶのは、これによる。
(二)ドイツにおける論議については、わが学界にも相当に知られてゐる。前註引用の吾妻光俊「ナチス民法学の精神」中、第一章『ナチス民法学の動向』のほか、柚木馨前掲(民商法雑誌六巻二号)、同『独逸民法の革新』(現代外国法典叢書だより第一六・一七号)、同『民法総則』〔現代外国法典叢書〕四~七頁、山木戸克己〈ヤマキド・コッキ〉『国民社会主義による民法改正の基本問題』(法律時報一〇巻七号)、同『ナチス・ドイツにおける民事法改正事業と独逸法学院』(同一一巻一〇号)、山田晟〈アキラ〉『ヘーデマン‥‥著「民法改正論」』〔新刊紹介〕(法学協会雑誌五七巻二号)、同『ドイツ民法の現在及び将来』(新独逸国家大系月報八号)、吾妻光俊『独逸に於ける私法理論の転回』(一橋論叢四巻二号――同教授の前掲書第一章のいはば原型をなすもの)、同『ナチス法学界展望』(新独逸国家大系月報八号)、後藤清「転換期の法律思想」の附録『ナチス法学者の民法改正意見』など参照。なほ広くドイツにおける法革新論の文献については、Schlegelberger-Vogels, Erläuterungswerk zum Bürgerlichen Gesetzbuch und zum neuen Volksrecht, Einleitung, Bern. 56~58に掲ぐるところを見よ。
(三)牧野英一「法律学の課題としての神」二三九・二四八頁。同「民法の基本問題」第五編、はしがき二頁・本文四一・一七九・二〇三・四一一頁。同「非常時立法の発展」三一・五二・一四七・一六五頁 。同「続急急如律令録」三九・六七・六九・一四二・一四八・一四九頁。同『急如律令録』法律時報一三巻八号・一四巻三・四・五号など。同「非常時立法考」一五八・一五九・一六三・一六四・一六九・一九一・二六〇・二六九頁。
(四)例へば、杉山直治郎『民法の分化』(比較法雑誌一号昭和一四)一三・六五頁、小池前掲(昭和一七年)、川島武宜〈タケヨシ〉『統制経済と民法』(国家学会雑誌五七巻一号昭和一八年)一三六頁、などは、それぞれ、『民法典との訣別』論を引合ひに出してをられる。【以下、次回】

 ご覧のように本文(地の文)に比べて、註が異様に詳細になっている。この詳細な註に含まれる情報が貴重であり、重要なのである。戦時期、どういった法学者が、どういった媒体に、どういった趣旨の論文を発表していたのかを、ハッキリと把握できるからである。
 なお、この本では、単行本の書名は「 」によって、論文のタイトルは『 』によって示されている。

*このブログの人気記事 2024・3・28(10位になぜか宮さん宮さん)

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『民法典との訣別』から読み... | トップ | 公法・統制法の優位は私法を... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コラムと名言」カテゴリの最新記事