◎庶民の言葉で書くのは難しい(安田徳太郎)
昨日の続きである。神吉晴夫著『カッパ兵法』(華書房、一八六六)から、第五章「サルマタを脱いだ『人間の歴史』」を紹介している。本日は、その三回目(最後)。昨日は、第四節の途中まで紹介したが、本日は、第四節の後半、および、第五節を紹介する。
昨日、紹介した部分のあと、改行せずに、次のように続く。
ところが、安田さんは、私の言葉を聞きおわると、
「面白いこと、いうじゃないか。」
と手を打ってよろこんだ。私たちは、初対面で、すっかりウマが合ってしまったのである。
「あんたの意見に大賛成だな。」
安田さんはこういって、さらに、
「学術用語をいっぱいつかって、普通の読者にはさっぱりわからない文章を書くくらい楽なことはないね。ふだん話している庶民の言葉で、しかも簡潔・明解に書くくらい、むずかしいことはない。やらせてもらいましょう。それで、あんたの気に入らたかったら、なんどでもダメを押してくださいよ。」
庶民はいい、人間が好きだという安田さんは、ただの肺内科医ではなかった。ゾルゲ事件以後、共産主義者のシンパだと警察からにらまれて、ペンをとることを禁じられた安田先生は、毎日なにをやっていたのだろうか。あの長い戦争中、安田さんは腐らなかった。家にとじこもって、日本・中国の古典をはじめ、ギリシァ語、ラテン語、ヘブライ語などの古典語、さらにヨーロッパの中世語、現代の諸国語で書かれた本を読みあさっていた。書きたいこと、いいたいことが、山ほどあった。三十年間にわたって蓄積された膨大なそのエネルギーに、私が火を近づけたのである。
ところが、いざ、じっさいに書きだすとなると、私の注文と安田さんが書きたいものとは、なかなか、ピタッと重なりあわない。ああでもない、こうでもないと、なんども、なんども話合いをつづけた。そのうち、やっと、人間の発達を、猿の時代から、つまり、進化論から書きおこすということで、一つの焦点が結ばれた。自分がもっとも影響を受けたのは、フロイトとマルクスと、進化論のダーウィンだという安田さんは、それならペンがとれると、いよいよ、執筆にかかった。
気狂い男の訪問
さて、それからというもの、雨の日も風の日も、毎日午後二時になるとガラガラッと勢いよく玄関の戸をあける音といっしょに、「コンチワッ」という声が、安田さんの家にとびこむことになった。安田さんを直接担当することになった加藤一夫君の声である。
これが私流〈ワタクシリュウ〉の、神吉学校のやりかたなのである。加藤君は、神吉学校のいちばん早くからの生徒の一人で、火の玉のような、いささか気狂〈キチガイ〉じみた、よい男だった。
安田さんは、おどろいたらしい。恐怖したといってもいいかもしれたい。とにかく、それまでは医師が本業、これで生計を立て、余暇に余技として文章を書いてきていたのだが、こう毎日、定期便のように、原稿の催促に来られたのではたまらない。とうとう、本業は余技となってしまい、昼間寝て、夜中になったら起きだして、原稿用紙に向かう生活がはじまったのである。
それから一年。『人間の歴史』第一巻の原稿ができあがった。いや、草稿〈ソウコウ〉である。この草稿は、
浄書専門の女の人の手で清書され、安田さんの手もとへもどされた。これで読み直してもらうのである。安田さんは、これを読み直すと、
「まるで他人の文章のようで、欠点ばかりが目につき、情なくなった。」
といった。そこで、気になるところをいちいち直したうえで、私のところへもどす。それをまた私が読む。
数ヵ月ののち、安田さんのところへもどしたその原稿の欄外には、私のエンピツで、「読者はだれか」とか、「スジが通らん」などと注文が3Bのエンピツで黒々と、どっさりつけられていた。注文をつけただけでない。私は、原稿のあちこちに、ぺケ印〈ジルシ〉をつけた。たとえば、「認識」という文字の上に、ペケ印だ。「知る」という言葉ではいけないのか、安田先生、もう一度考えてください、という意味である。
私がつけた注文とペケ印のところを書き直すことが、安田さんのつぎの仕事だった。この方が、自分で書くことより、<よっぽどシンドイこと>だったらしい。原稿の何ぺージにもわたって、無残にもペケ印で削除を指定された個所では、前後の筋を通すために、その部分を新しく書き直さなければならない。こんなにモミクチャにされるくらいなら、医者をやっている方が楽だったと、この仕事を引きうけたことを後悔したこともあった――のちになって、安田さんは、私にこう洩らして笑っておられた。
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