礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

日本憲法概論と云う書物かあります(山本悌二郎)

2024-04-14 00:36:29 | コラムと名言

◎日本憲法概論と云う書物かあります(山本悌二郎)

 成宮嘉造の論文「天皇機関説のゆくえ」(1979年3月)を紹介している。本日は、その二回目。
 本日、紹介するのは、「3.天皇機関説排撃の政治」の章の「第4 貴族院における機関説政治問題化」の節の全文。

 2.機関説事件の前哨
第1 有賀〔長雄〕穂積〔八束〕論争と上杉美濃部論争 【略】
第2 ロンドン軍縮条約と統帥権干犯問題 【略】

 3.天皇機関説排撃の政治 
第1 蓑田胸喜の学説思想排撃運動 【略】
第2 貴族院における機関説政治問題化 【略】
第3 美濃部博士の一身上の弁明 【略】

第4 貴族院における機関説政治問題化 
 衆議院は,貴族院で始めた天皇機関説排撃に負けない勢で追手の火を激しくした.
 特に平沼騏一郎直系と目される江藤源九郎(陸軍少将)議員は,機関説排撃で内閣をゆさぶり,発禁の行政処分及び司法処分を求める告発状を提出した.彼は〔1935年〕2月27日の予算総会において,次のような発言をした.
「首相は美濃部博士の著書を通読すれば同博士の国体観は間違っていないと貴族院で答弁されたが,現在もそうであるか」と.岡田〔啓介〕首相は「序論を見ると私の観念に変っていない.唯だ用語の点に於て遺憾だ」と答え,「なお詔勅批判の自由は叛逆思想だ,首相の所見は如何」と.首相は「ここで学説の議論はしたくない」と蹴ったが,江藤は「著書は発禁にせよ」と迫った(10.2.28読売).
次に政友会の山本悌二郎は,機関説反駁のため政友会有志議員の会合を発起し,3月5日開催.鈴木〔喜三郎〕総裁以下80余名出席.ここに於て美濃部博士勅選奏請当時の閣僚の1人―犬養〔毅〕内閣の農相―であった山本悌二郎の責任が指摘された.彼は,この責任を感ずればこそ美濃部排撃の義務があると詭弁を弄し,単に正3位の辞退を請願したが,位階令第12条第1項に該当せずと却下された.だが可能な議員辞退の責任を感じる人物ではながった.
 山本悌二郎は3月12日の本会議で,美濃部博士の国家法人説をこきおろし,私の問題に移った.「天皇機関説の極端なのになりますと,もっと思切った暴論をして居る.台湾台北高等商業学校講師・成宮嘉造という人が著した日本憲法概論と云う書物かあります.是が即ちそれであります.此憲法概論と云う書物には,国家の機関を独任機関と複成機関,主たる機関と補助機関と云うものに区別しまして,天皇・摂政・各省大臣・総督・知事は独任機関であり同時に主たる機関であると.……即ち畏くも〈カシコクモ〉天皇を大臣・総督・果ては知事と同列に国の機関の位置として数えて居るのであります.如何に法理上の推論に過ぎないと申しながら,ここまで行っては天皇機関説なるものも言語道断と言わなければならぬのであります(拍手)」⑴と.
 以上についての各大臣の答弁は,大体に於て貴族院のそれと等様であった.

(1)第67回帝国議会衆議院議事録〔第26号〕・565頁,宮沢俊義・前掲〔天皇機関説事件〕・159頁.

 成宮嘉造著『日本憲法概論』は、1933年(昭和8)1月に、台北市栄町の新高堂書店から発行された(奥付には、発行者・村崎長昶とある)。昨年12月30日を以て閉店した、東京・中目黒の新高堂書店は、その新高堂書店の後身であった。
 なお、『日本憲法概論』は、国立国会図書館のデジタルコレクションで閲覧できる。

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