礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

枝野幸男幹事長、ナチスドイツの例を引く

2015-07-20 04:40:04 | コラムと名言

◎枝野幸男幹事長、ナチスドイツの例を引く

 今月一八日一六時二九分に配信された産経新聞ニュース(インターネット)によれば、民主党の枝野幸男幹事長は、同日、さいたま市のJR大宮駅前で演説し、安保法案をめぐる政府の姿勢を厳しく指摘したようだ。以下、記事の引用。

 安保法案 民主、廃案訴え街頭活動 枝野氏「ヒトラーは選挙で権力握り、独裁に走った」
 民主党は18日、安全保障関連法案の廃案を目指し、全国で一斉に街頭活動を始めた。岡田克也代表、枝野幸男幹事長ら党幹部は20日までの3連休を利用して、都市部を中心に全国各地で街頭演説を行う。同党は安倍晋三政権に対する世論の反発が急速に広がっているとみており、国会外での活動を強化する考えだ。
 枝野氏は18日、さいたま市のJR大宮駅前で演説し「国民の声が大きくなったら、国会で多数を持っていても抗(あらが)えない。国民世論と首相との戦いだ。内閣を退陣に追い込み安保法制をストップさせる」と訴えた。
 また、政府が憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使を容認したことを繰り返し批判し、ナチスドイツの例をあげて「ヒトラーは選挙に勝って権力を握り、進歩的なワイマール憲法を骨抜きにして独裁へ走った」と指摘した。戦前の日本については「内閣のいうことを無視して軍は勝手にやっていいという(明治憲法の)解釈変更がなされた結果、軍部が暴走した。まさに今と似ている」と述べた。

 短い記事なので、枝野幹事長の演説の全貌はわからない。しかし、これを読んで、次のような感想をいだいた。
 ひとつは、一昨年の七月二九日、当時の麻生太郎副総理兼財務大臣の「ナチスに学べ」発言は、今にしてみれば、きわめて重要な意味を持つ発言だったという感想である。当時、野党もマスコミも、この麻生発言を徹底的に批判することはなかったと思う。民主党にしても、このとき、麻生氏を厳しく批判し、公職の辞任などを実現しておけば、おそらく、昨今のような流れに到ることは避けられたし、その二年後の今日、枝野幹事長が、大宮駅前で、ナチスドイツの例をあげる必要も生じなかったことであろう。
 ちなみに、その当時の「yaaさんの宮都研究」のブログ(2013・8・7)には、次のような指摘がある。

「ヒットラーの手口をまねろ!!」と堂々と右翼の集会で発言した副総理兼財務大臣を、どの新聞も全面批判しない。誰も辞任要求しない。任命権者の安倍の責任を問わない。それどころか、朝日に至っては「また失言」とまるで軽口のごとく捉えて窘めるだけ。ある読売テレビの番組のコメンテーターに至っては「発言は悪いが、麻生さんはいい人だ。」と個人の性格にすり替える。/アメリカやドイツが批判すると少し問題にするが、自ら批判の口火を切ることはない。

 当ブログでも、当時、この問題に対するマスコミの論調が低調であることに危機感をいだきながら、日刊ゲンダイの八月五日号(八月三日発売)記事を推奨したことがあった(2013・8・10)。
 もうひとつの感想は、戦前における「解釈変更」についての説明が、わかりにくいということである。おそらくこれは、天皇機関説事件(一九三五)にともなう、大日本帝国憲法の「解釈変更」のことを言っているのだと思うが、この記事だけでは、何を言っているのかわからない。
 これは、枝野幹事長の説明が不十分であるとか、それを紹介する記事が不親切であるとかいう次元の問題ではない。戦前の日本においても、ナチスドイツの場合と同様、大日本帝国憲法の「解釈改憲」がおこなわれていたという歴史的事実が、国民の間に共有されていないことに関わる問題だと私は考える。日本には、優れた憲法学者がおり、優れた歴史学者もいる。そういう方々は、今、ご自身の研究成果を踏まえながら、戦前の日本が「今と似ている」という枝野幹事長の指摘について、その指摘を補強する、あるいは批判するなどのことがあって然るべきではないのだろうか。

*このブログの人気記事 2015・7・20(8・9位に珍しいものがはいっています)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アメリカの銃規制問題と日本... | トップ | 家永三郎、裁判所をめぐる状... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コラムと名言」カテゴリの最新記事