礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

永田裕之氏評『日本人はいつから働きすぎになったのか』

2014-09-23 04:13:42 | コラムと名言

◎永田裕之氏評『日本人はいつから働きすぎになったのか』

 昨日、三〇年以上のおつきあいがある永田裕之氏から、拙著『日本人はいつから働きすぎになったのか』の書評が送られてきた。
早速、紹介させていただこう。

「日本人はいつから働きすぎになったのか」を読む  永田裕之
 礫川全次さんの「日本人はいつから働きすぎになったのか」を読んだ。勤勉性をめぐって多くの資料を駆使して展開されているので、付け焼き刃で細かいことを言うのは気が引ける。そこで、私の38年間の高校現場での経験をもとに「高校教員の勤勉性」について考えてみたい。
 1970年に赴任した最初の学校は、定時制高校だった。かなり変則的な定時制だったが、話がややこしくなるから説明は省く。16時までに学校に来いと言われた。勤務の終了は20時30分だった。勤務時間は4時間半である。友人は皆、普通の民間会社に行ったから、会うとうらやましがられた。正式の勤務時間は12時30分からだったのではないかと思う。私が割り当てられた部活動は熱心に活動していて普段はほとんど練習しなかったが、休日は実に多くの試合があった。最初の年、4,5月はほとんど休日がつぶれた。手当はもちろん、代休などというものは一切なく、試合に行くのに交通費も出なかった。ただ、夏休みなどの長期休業中はほとんど学校には行かなかった。夏休みは3週間しかなく、私は大いに不満だったが、3週間は2,3日をのぞいて学校には行かなかった。春休みも10日近くあって、この点も友人たちにはうらやましがられた。給料は民間会社の友人たちの方が良かったが、のんびりした時代だったと思う。
 1970年代半ば頃から勤務条件は大きく変わった。勤務の開始は16時30分になり、休日出勤すれば代休がつくようになった。代休がとれないときは安いながらも手当がついた。週に半日程度研修もとれるようになった。この研修は自宅に帰っても良いというものだった。相変わらず生徒たちが熱心だったので、部活動関連の休日出勤は多かったが。職員会議は勤務時間を過ぎればよほどのことがなければ終わったし、長期休業中は以前と変わらなかった。全日制に転勤すると、勤務時間は8時30分から17時までと言われたが、16時には帰宅できた。夏休みは部活動で20日くらい出勤したが、残りの20日くらいは何でも自由にできた。定時制併設校だったが、定時制の教員は17:00出勤で、研修日は週に一日あった。
1980年代に入るとこうした勤務形態は外部からいろいろと言われるようになった。当時東京都の教員と話す機会があったが、彼は、教員もしっかり勤務すべきだ、朝のホームルームは全員が行うべきだと言い、そんなことは当たり前だと思っていた私を驚かせた。
 1990年頃まで高校教員は、勤勉だとは思われていなかった。いやむしろ、こんな楽な職場はないと思われていたのではないか。こうした見方は誤解もあったが、的を射ている面もあった。夏休みにほとんど学校に来ない教師もいた。来ないからと言って肩身が狭くなることもなかった。いやむしろ学校に来ないことを誇りにしているような教師さえいた。こういう状態が勤勉と言えるだろうか。楽をしている人はいたが、時間外勤務を強いられている人もいた、というかもしれない。確かにそうだ。だが、少なくともそんな人は多くなかった。部活があるはずだ、という声もあるだろう。確かに部活は大変だ。部活で夏休みに40日出勤する人もいるし、土日も休めない、という場合も珍しくはない。だが、そんな人も部活以外のことは手を抜いていた人も多かった。部活も他の仕事も勤勉にこなしていた人の方が少なかったのではないか。部活と言ったが、本当に部活に一生懸命取り組んでいた人ばかりでもなかった。自分の専門分野以外の部活顧問になってしまうと徹底的に手を抜く人もいた。そういう人がやっていたのは部活ではなく、バレー、野球、サッカーなど自分の好きな競技だったのだと思う。つまり仕事のやり方が自分勝手だったのだ。
 1990年代後半から高校現場は大きく変わった。まず、「世間」にうるさく言われるようになった。「世間」の声を受けて勤務時間は条例通りになった。定時制では17時出勤など許されなくなり、全日制では17:00まで勤務ということになった。研修も次第に狭められ、やがてほとんどゼロとなった。手当もないのに時間外勤務は増え続けている。なぜそうなったのだろうか。疑いもなく、強制されているからである。
「日本人はいつから働きすぎになったのか」を読んでいると勤勉性は日本人の宿命なのか、という気さえしてくる。もちろん礫川さんは日本人の勤勉性も歴史的な所産、それもたかだか数百年のことと断っているが。私は言いたいのは高校教員の働きすぎはたかだか20年だと言うことだ。しかもその理由ははっきりしている。強制されているからだ。

 元高校教師である永田裕之さんは、「高校教員の働きすぎ」の歴史は、「たかだか20年」に過ぎないと指摘されている。これは重要な指摘である。日本人の「勤勉性」にせよ、教師の「働きすぎ」にせよ、ものごとは相対的に、あるいは歴史的・構造的に捉えてゆく必要があるということである。
 さて、永田さんの話によれば、高校教師は、少なくとも二〇年前までは、「働きすぎ」てはいなかった。それが、この二〇年間で激変した。こうした変化は、おそらく、この間に生じた郵政の民営化や、社会保険庁の廃止といった動向とパラレルなものであろう。教師あるいは広く公務員の「働きぶり」については、たしかに批判の余地があったのかもしれない。しかし、比較的、よい労働環境を享受していた公務員が、「世間から」指弾を受け、その労働環境が後退させられたことは、日本の労働者全体の労働環境を後退させる結果を招いたとは言えないか。ただしこれは、一九七五年の国鉄のスト権ストあたりから、歴史的な経過を追いながら、キチンと検証してみた上で、言うべきことかもしれない。いずれにしても、書評という形で、貴重な証言をいただいた永田裕之さんに感謝申し上げます。

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2 コメント

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Unknown (鵜崎巨石)
2014-09-25 19:53:58
「攘夷と憂国」拙ブログからの転載もちろんOKです。「史疑幻の家康論」についてもお読み頂いたでしょうか。
本項(働き過ぎ)については、永田様の意見に賛成です。
50年ほど前でしたが保険会社本社勤めの叔父は夕方には帰宅していました。基本的にはサザエさん一家がサラリーマンの姿では無かったでしょうか。とにかくこの2,30年の若者の奴隷化は悲惨の極みです。
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転載どうぞ (鵜崎巨石)
2014-09-25 19:55:54
2014-09-25 19:53:58
 「攘夷と憂国」拙ブログからの転載もちろんOKです。「史疑幻の家康論」についてもお読み頂いたでしょうか。
本項(働き過ぎ)については、永田様の意見に賛成です。
50年ほど前でしたが保険会社本社勤めの叔父は夕方には帰宅していました。基本的にはサザエさん一家がサラリーマンの姿では無かったでしょうか。とにかくこの2,30年の若者の奴隷化は悲惨の極みです
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