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Web Master's Room

バイク乗りのちょっと寄り道、思った事…

私はバイク乗り 11

2006-06-30 09:46:33 | 私はバイク乗り
私が大学生だった頃がバイクの一番の華やかな頃でしょう。
時にRZシリーズが火をつけた2サイクルレプリカ250ccの大ブーム。
HONDAが巻き返しに発売したNSRが大の人気車種でした。

でもなぜか私は2サイクル250ccには興味がありませんでした。
あのインパルスやXJのイメージが残っていたのかもしれません。
どうしてもあの4本エキパイのバイクに乗りたかったのです。
しかし経済的な問題から車検のある400ccは無理でした。
でも4サイクル250ccは2気筒ばかりです。
もちろん当時のYAMAHAの4サイクル250ccはXSシリーズで2気筒でした。
唯一SUZUKIからGF250が4気筒でしたが
実は外側2気筒と内側2気筒とはストロークが違い
形だけの4気筒としかいえませんでした。

そこにYAMAHAが持ち込んだジェネシスという新しい発想
低重心を考えた前傾45度の新型4気筒エンジン
カウルからタンクに一体感をもたらした新しいデザイン
それは新しい時代のモーターサイクルを予感させるものでした。
そして兄貴分のFZ750を発表、その末弟がFZ250でした。

4サイクルで2サイクルに勝負する。
その答えは信じられない高回転で2サイクルの2倍回転させるというものでした。
そして16000rpm回るエンジンはその答えでした。
フロント16インチも魔法の足回りでした。
フロントブレーキを掛けながらでも曲がることができ
フロントヘビーの乗り方ができたのです。
集合マフラーも採用され高回転のエンジン音はかなり高音質をもたらし
友人は猫の鳴き声のようだと比喩していました。

これしかない。
YAMAHA党の私にぴったりのバイクでした。
同級生の実家がバイク屋さんだったので
発表と同時に予約しました。

つづく。

私はバイク乗り 10

2006-06-24 08:05:24 | 私はバイク乗り
RZ50はとても気に入ったバイクではありましたが
どうしても直らない問題がありました。
それはタコメーターケーブルの付け根から
エンジンオイルが漏れる事でした。

ガスケットを交換したりシーリングしたりしましたが
結局オイル漏れは直りませんでした。
そのまま停めておくとアスファルトにポタポタとオイルが垂れます。
仕方ないのでウエスを巻き付けて垂れるのを防止しましたが
そのかわり時々オイルを足す必要がありました。
自動二輪の免許も取っていたので
そろそろ次期型かなと思い始める時期でした。

その頃、大学の先輩が乗っていた
YAMAHA XJ400D という4本マフラーのバイクが
とてもかっこ良かったのを今でも覚えています。
でも当然貧乏大学生をやっていたので
車検のある400ccはとても買えません。
もちろん好きなYAMAHAの250ccで探すことにしました。

そして“モーターサイクリスト”を買ってきては
隅から隅まで読んで友達とあーでもない、こーでもないっと
夜遅くまでバイク談義に花が咲きました。

まもなくあのXJと同じ45psながら16000rpmまで回るっという
ジェネシス思想の250ccFZ250が発売される事になります。
時、HONDAとYAMAHAのHY戦争真っ只中の時期です。

このバイクこそ、私のモーターサイクル人生の出発点といえるバイクでした。

つづく


私はバイク乗り 9

2006-06-16 07:56:48 | 私はバイク乗り
原付とはいえ、一応クラッチ付きのバイクを運転していたので
しかもこっそり弟のSRX250も運転していたので
教習自体は時間オーバーもする事無く順調に進んでいたある日の事。

教習段階で出される課題もなんなくクリアーして
ちょっと天狗になっていました。

その日の課題は急制動。
50km/hくらいから決められた白線までに停車するというもの。
特に難しい事はなく数回こなしたが
そこで悪魔の囁きが…。
“もうちょっと飛ばしてみろよ。”

もっとかっこいい所を見せようと思ったのか
いつも以上のスピードから急ブレーキを掛けた。
案の定、フトントタイヤがロックして転倒した。
カッコ悪い…。

これで教習時間が延長されることは無かったが
浮かれて調子に乗っていた事を反省した。

バイクは自分自身の気持ちが直接現れやすい物。
今でも時々思い出す転倒でした。

そしてついに念願の自動二輪(中型)の運転免許証を手に入れた。

つづく

私はバイク乗り 8

2006-06-11 09:42:01 | 私はバイク乗り
弟はすでに自動二輪の免許を持っていたので
合法的にバイクに乗ることができました。
そこでついにバイクを購入する事を決めたのです。

私もそうでしたが根っからのYAMAHA党の弟は
車検の無い250ccの中で当時の一番人気はVT250でしたが
もちろんYAMAHAの中から車種を選びました。
それはライトウエイトスポーツSRX250!

細身のボディに250ccのDOHC単気筒エンジンで
それは非常に軽く足つきも非常に良いものでした。
単気筒エンジンなのにエキパイが2本出ているのはなぜだろう?
って、メカ音痴的な事を思ってました。
実際、私が跨ってみても
RZを少し大きくしたイメージであったのを思い出します。
その頃からレディースライダーなる物が認知され始め
後に女性に指示されたバイクとなりました。

弟は毎日の様にそいつに跨りどこかに飛んでいきました。
もちろん私は愛車のRZを気には入っていましたが
なんといっても50ccの原付自転車。
それは目の上のタンコブ状態でした。
そして兄貴としての威厳の問題もある。

当時すでに普通車の免許を持っていたので
大きなバイクは必要ないっと思っていましたが
メラメラっと対抗意識が芽生えてきました。
よーし、自動二輪の免許を取ってやる。
そう思って再度教習所の門を叩く事になりました。

つづく

私はバイク乗り 7

2006-06-01 11:45:25 | 私はバイク乗り
私は高校を卒業したから原付の免許を取得していましたが
ひとつ下の弟は大らかな学校だったのか3ない運動
“免許を取らない、バイクを買わない、バイクに乗らない”
っというバイク=不良というイメージの中でも
自動二輪の免許取得が可能な学校でした。
しかし免許取得はしたものの、まだまだバイクを買うことはできず
相変わらずあのミニタンとRZ50を変わる変わる乗っていました。

ところが…
ある日、弟が友達のバイクを借りて帰ってきたのです。
SUZUKI GSX400 インパルス。
黒/赤のカラーが人気色だったのにそれは白/赤で
当時話題になったヨシムラ集合マフラーはとてもカッコいいものでした。
もちろん無理やり言って乗せてもらったのを覚えています。

足の間にある直4エンジンはとても大きく感じられ
家の周りを一周しただけでビビッてしまいました。
おー、やっぱり400cc。
私はこんな大きなバイクに乗れるのかなっと思っていましたが
弟の中にはある気持ちが大きくなったのは言うまでもありませんでした。

つづく


私はバイク乗り 6

2006-05-28 11:07:57 | 私はバイク乗り
ひそかに練習した甲斐があってめきめき腕は上達した?はずです。
そしてかねてから計画していたツーリングの日がやってきた。

この日の為にお揃いで赤いツナギを買い
肩口に自分の名前を縫いこんだ。
今考えるととても恥ずかしいカッコだったが
それが当時の憧れのカッコだった。

そのツナギを着て集合場所の良治の家に行く。
わざと少し遅れてみんなが揃っている所に到着した。
予想外の展開にみんなびっくりした模様。
だって新型RZの事は内緒にしていたのでね。
しばらくは新車のお披露目会となりました。

初めてのツーリングは阿蘇~高千穂~別府のコース。
今なら1日で走りきるコースを2泊3日でのんびり走る。
良治のベルーガを先頭にRXの伸介、そして私
最後尾をMBの大作が走りました。
どんな感じで走ったのかもう覚えてません。
きっと私は新型で舞い上がっていただろうし
初めてのツーリングは緊張していたことでしょう。

今でも時々その時のアルバムを開きます。
そこに写っている赤いツナギの彼らはいつも笑ってます。
それが初めて撮ったツーリングの写真でした。

つづく

私はバイク乗り 5

2006-05-21 06:13:40 | 私はバイク乗り
納車の日、私は親父の車に乗ってバイク屋に行きました。
一通り説明を聞いて無事に引渡しを終えましが
ヘルメットを被り帰ろうとすると親父が後ろをついて来いという。
何処に行くのか解らなかったが後ろについて行ったが
えっ、この道は…。

北九州の皿倉山の裏側、河内貯水池と畑貯水池を結ぶ峠道がある。
八幡東区と直方方面を結ぶ裏道的存在で交通量も少ない。
真実の程は確かではないが
その昔あのモリワキの八代俊二が練習に通ったと言われ
側面の壁にはその時の傷が残っていると聞いたことがある。
まさにその道である。

急な上りはいくら50cc最強のハートを持つとはいえ
いったんアクセルを戻すと速度がまったく乗ってこない。
アクセルをなるべく戻さないようにコーナーを曲がろうとすると
どうしてもオーバースピードになってしまう。
なんでこんな所に連れてくんのぉ!
親父の車に必死について行った。

峠の頂上にトンネルがありこれを過ぎると反対側の下りになる。
その場所でUターンをして今度は下りを走る。
アクセルを開けないのにどんどんスピードが上がっていく。
ヒャーァ、なんだこのジェットコースターみたいな道は!
瞬きしたらカーブで突っ込みそうになるので
必死にコーナーの出口を睨んでいた。

こうして初めて乗るバイクのテストは終了しました。
あー、いきなりこんなコースとは…。
ひょっとしたら親父は私の腕を試したのかもしれない。
家の帰り着いたが、親父はまったく喋りませんでした。

つづく

私はバイク乗り 4

2006-05-19 15:10:57 | 私はバイク乗り
私の親父はもう他界しているのですが
その昔バイク乗りだったらしい。
バイクの話はほとんど聴いた記憶がないが
唯一話し手てくれて事、それは…。

それは雨上がりの月明かりの夜の事。
若かりし親父はバイクでかっとんでいたそうな。
そしたらいきなりの転倒。本人も訳の解らないまま、そして記憶が遠くなった。
気を失った親父が覚めたのは病院のベットの上だっだらしい。
私が生まれてすぐの頃の話です。

当時まだ完全舗装してある道は少なく
雨が窪みに溜まっていたのを月明かりが反射して穴が発見できなかったのです。
幸い、怪我はたいした事なかったのですが
頭を掻く親父の額に不必要な傷があったのを覚えています。
そんな親父だったので私がバイクに乗るといった時
おふくろが心配したにも拘らずあっさりと乗る事を許してくれました。

ミニタンに満足できなくなっていた私は親父に新型購入の話をしました。
すると親父は自分が知ってるバイク屋に連れて行ってくれたのです。
とてもワクワクしました。
バイクを見に行くのも嬉しかったんですが
親父と同じ趣味を共感できた感じがしたからだと思います。

そしてそこで出会ったのがYAMAHA RZ50でした。
そうあのRZ250の弟分です。
当時の50ccのスペック、いや今では自主規制があるので
現在でも最高のスペックを持つあのバイクです。
水冷7.2PSのエンジンは100km/h近くまで出すことができました。
それがほとんど乗ってない中古が目の前にあるのです。
一応他のバイクも見ましたが、もうすでに心は上の空でした。
もちろん3日後、黒いそいつは初ツーリング用に私の愛車になりました。

つづく

私はバイク乗り 3

2006-05-16 09:56:27 | 私はバイク乗り
この相棒は私の行動範囲を格段に広げてくれました。
自転車では行けなかった場所も難なく行ける。
ガソリン代はかかるものの、自分で漕がなくていい。
暇さえあれば意味もなく一日中乗っていました。
そして意味もなく楽しかった。

だいぶバイクにも慣れてくると
もっと速く、もっと遠くへと思うようになってきた。
ちっちゃい相棒は街乗りでは便利でしたが
ちょっと飛ばすとブレーキがまったくダメ。
そろそろ新しいヤツかぁ・・・。

ちょうどその頃から“モーターサイクリスト”を購読するようになり
隅から隅まで読みふけり
こっちのバイクがかっこいい、こっちの方が馬力がある
ツーリングにもいきたいなと思うような時期でした。

折りしもYAMAHAからあのRZ250が発売した頃でした。
80年代、バイクブームの先駆けを造ったあの名車の登場です。
そのバイクは今までのバイクを一瞬にして旧型モデルにし
250ccにして750ccをカモにできる性能はバイク乗りの憧れでした。
その結果、各メーカーそれぞれが自社の最高技術を投入して
次々に新型が投入されました。
もちろんHONDAはYAMAHAの2サイクルに対抗して4サイクルで勝負してきます。
それがあのVT250でした。
まさにバイクが光り輝いていた時代と言ってもいいでしょう。

そんな時、友人がツーリングに行こう!っと言い出しました。
メンバーはあのベルーガの良治、RX50の伸介、MB50の大作。
新型ばかりのメンバーで唯一私が旧型車。
よーし…。
私の思いはすでに決まってました。

つづく



私はバイク乗り 2

2006-05-11 09:35:50 | 私はバイク乗り
その後、誕生日を待って早速、原付免許を取得
ちょうど19の春でした。

免許を取得するとバイクに乗りたくなるのは自然の流れ。
当時知り合いの兄ちゃんが通勤用に乗っていた
SUZUKI ミニタン を拝み倒して強引に手に入れました。

真っ赤でちっちゃなヤツは
私の足でも両足ともベタ付きできる程の大きさですが
初めてまたがったヤツはとても大きく感じました。
しかもクラッチ付きは初めて・・・。
当時原付免許取得は筆記試験だけて合格できたので
(今は実施講習があるらしが)まったくバイクに乗らずに取得できたのです。
一通り兄ちゃんに扱い方を教えてもらいいざ出発に!

メインスイッチをオン
キックペダルを力いっぱい蹴り降しながらアクセルを開く。
ビィビィビーン、2サイクル特有のエンジン音が響く。
やっぱりスクーターとは違うな。バイクって気がする。
ここからが問題、今まではアクセルとブレーキしかなかったので
運転は難しくなかったが今回はマニュアルミッションなので
クラッチ操作があるのです。
初めての自分のバイクと初めてのクラッチ操作とで
緊張してちょっと舞い上がっていたのをよく覚えています。

聞いてたとおりにゆっくりアクセルを開き
聞いてたとおりにゆっくりクラッチをつないだはずでしたが!

急に吹け上がったエンジンにびっくりしたのか
クラッチを慌てて離してしまいました。
フロントタイヤが空めがけ上昇
自然にお尻がズルズルとシート後方へ。
いきなりウイリー!!!
まぁ、もって生まれたバイク乗り
初めてのバイクでも華麗に乗りこなすあたりがすごい。
教えていた兄ちゃんと横で見ていた弟が大笑いしてました。

実際はバイクがちっちゃかったので上がったフロントタイヤを
バイクに跨ったまましっかり両足で支えていた私がいました。

つづく