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Web Master's Room

バイク乗りのちょっと寄り道、思った事…

あと20km… 3

2007-03-18 10:01:53 | 思い出
ただ闇雲に1000km走るだけではツーリングとしては意味がない。
ちょうど尾道で戦艦大和を建造中との情報をキャッチし
それと兼ねて1000km計画はスタートした。

なにしろ計算では15時間くらいバイクに乗っておかなければならない。
しかも暗黙のルールで高速は反則としていて
平均速度を高くするには空いている早朝の出発しかなかった。
AM4:00 自宅を出発。

思惑どおり早朝なので快調に国道を流す。
しかも信号が点滅なのでなおさらだ。
しかし、やっと朝陽が顔を出す7時前にもかかわらず
道路脇に白と黒の国家権力の車を多数発見。
しかもラッパの様な機械がこちらを向いている!
慌ててフルブレーキングをしたが
見事なスピードでゴールラインを切ってしまった。
でも誰もこちらを振り向いてくれない。
どうやらまだセット中だったようだ。
こりゃ、ラッキーっとばかりに再びアクセルを開けるのでした。

そんな訳で尾道には予定どおりに到着。
極秘建造だった大和は以外にも入場料を払えば見る事ができた。
ここで予定より時間がオーバーしてしまい、すでにお昼前。
にもかかわらず、まずは腹ごしらえと
せっかく広島県まできているので
GSで仕入れた情報を元にお好み焼きを頂く。
そしてまた時間オーバー
いったい目的は達成できるのか?
この時点でまだ約350kmなり。

あと20km… 2

2007-03-17 14:06:07 | 思い出
バイク乗りにもいろんなスタイルがあると思うが
私のスタイルはロングツーリング。
北海道ツーリングでこのスタイルを見つけました。
今ではほとんどロングは行けなくなってしまいましたが
当時、荷台にテントとシュラフを括りつけて
キャンプ場で一杯が貧乏学生ライダーの楽しみでした。

その後、次期愛車を考えていた時に
それを可能にする相棒を探していたので
BMWの積載性の高さとメンテのしやすさ
そして何よりもお尻の痛くならないシートが気に入って
今のR1100Rを購入したのでした。
彼の登場によってロングツーリングも可能になっていたのです。

'05.06 ヒバゴン発見の為に
広島と鳥取の県境、西条町(今の庄原市)にツーリング。
この時走った距離が約850km。
もちろん高速を走ったのだが、もう少し余裕があった。
いったい一日で何キロ走れるのか?
単純ながらライダーならば一度は考える
まったく無意味な衝動に駆られ始めた。

平均速度50km/hで20時間…
平均速度60km/hで16.6時間…
平均速度70km/hで14.2時間…

なんとかなるかな…

そして日帰りで1000kmツーリングが可能に思えてきました。

あと20km… 1

2007-03-16 10:36:41 | 思い出
初めて北海道をツーリングした帰路の事
函館を深夜に出航したフェリーは青森の野辺地に早朝4時頃接岸。
ここからまだトラックさえ走っていない
真っ暗なR4をひたすら東京を目指して南下する。

今考えてみれば何も観光する事無く
東京を目指したのはもったいない気がするが
貧乏学生だった私
宿泊費を浮かせる為、友人の下宿先を宿に考えていたのでした。

R4を南下すれば必ずR1と合流する
そう信じてひたすらR4を南下
都心は迂回して進めばいいものを
田舎モンの私は道に迷う事を恐れ
渋滞の中をひたすら皇居を目指したのでした。

彼の住んでいたのは練馬区
都心からいえば西側です。
ちょうど夕方のラッシュと重なり
クタクタになりながら彼と再会できました。
その日走った距離は確か750km。
下道ばかりのしかも初めての都心を横断しての距離です。
結構走ったなぁ…、それが印象でした。
そしてこの時ふと考えていた事を思い出した。

まる1日あれば、いったいどれくらい走れるのだろう?

よくツーリング雑誌には
“1日300kmくらいを目標に計画をたてましょう”なんて書いてある。
実際、自宅から阿蘇方面をツーリングすると350kmくらいになっている。
それからすると今回は約2倍の距離になるのだが
都心を走らなければもうちょっと走れたのかなとも思った。

そしてそれを挑戦する事になったは
それから20年くらいしてからの事になる。

佐世保の忘れ物

2007-03-02 10:20:47 | 思い出
佐世保にずっーと忘れてきたものがある。
訪れた時に必ず探すのだが見つからない…。
それは昔つきあっていた彼女とハンバーガー。

米軍のオープンハウスで海を見ながら手すりに腰掛けていた
彼女の後姿を写真に撮ってから話は始まった。
そしていっしょに弓張岳から夜景を見たのが最後だった。
ホントは付き合ったとは言えないかもしれないが
福岡から会いに行ったのはホントの話。

そして今や佐世保のイメージとさえ言われるハンバーガー。
行く度にお店を探すのだが場所がわからなかったり
時間が無かったりしていつも食べられずじまいになっていた。
でもその店はいつも通っていた海軍の正面の道沿いにあったとは…。
あんな大きな看板が昔からあったのかどうかは解らないが
今回はあっさりと見つかってしまった。

お店お勧めのスペシャルバーガーを注文する。
平日の午後4時くらいと言うのに行列ができ
20分くらい待ちとの事。
お店から少し離れた場所にバイクを停め
花壇の淵に腰を下ろしコーラといっしょに頂く。
少し甘く味付けされたハンバーグは中のチーズやレタスと相まって
確かに今まで食べたハンバーガーの中では一番美味しかった。
この時、忘れ物のひとつが見つかった。

そしてもうひとつは…。

今回忘れ物をひとつ見つける事ができたが
もうひとつはもちろんダメだった。

もう見つける事はできないかもしれませんが
忘れ物がある限り思い出す事があるだろう。
少しセンチな佐世保の街でした。

開聞岳という山

2007-02-11 16:43:42 | 思い出
躻気なる開聞岳

この画像は2年前
佐多岬ロードパークが通行できなくなるという話がある時
(その話は後日、計画が変更され、現在でも走れるのだが)
寒い2月にヤツと走った錦江湾で撮ったものです。

綺麗な円錐形の山は遠くから見てもすぐに確認する事ができる。
この時期ならもう菜の花が満開になっている事でしょう。

本土最南端を目指す者の道先案内人として
そして50年前、最後の見送り人として
この山は生きてきた。

だから開聞岳はいつ見てもそこになければならない。
道に迷わない為に、道を間違わない為に…。


北海道記 再び 7

2006-07-24 19:02:20 | 思い出
昭和61年7月16日~31日 16日間5554.1kmの思い出

≪大空と大地の中で≫

今回の旅は雨と霧とそして寒さとの対決だった。
夏なのに10℃くらいまで気温が下がり
冬には零下30℃、40℃となるこの大地の厳しい自然の一部を感じさせてくれた。
その中で私はこうした状態の中で生きてゆくには連帯感が必要で
だから人と人とのつながりに温かさがあるのだろうと思った。
夜遅くキャンプ場に着いてまだ食事をとってないと言うと
自分たちの食事を分けて酒まで勧めてくれる人
商売品をおみやげだよとくれた人
東京からひとりでやってきた迷子の女の子ライダー
食費さえ困っていた自転車で日本一周中の人など
何人の人と会ったのかさえ定かでない程多くの人と会った。
そんなもう二度と会うことさえない人たちと
あの日、あの時、あの場所で
素直な気持ちでたすけ、たすけられることができたのはとてもうれしかった。
今都会で失われつつあるものを
北の大地の厳しい自然が守っていたのだ。
厳しいからこそ残っていたのだ。

網走能取岬の売店のおばちゃんはぶっきらぼうで馴れ馴れしい。
しかし腹を空かしてやって来るキタキツネにえエサを与える優しい人だ。
そのおばさんに「また来るよ」と言うと「いつ来るね」と尋ねてきた。
「いつになるかわからんけど、きっと」と答えた。

終わり。


あとがき

ちょうど20年前の話です。
もうそんなになるのかなって感じです。
今こうしてバイクに乗っていられるのも
この北の大地のおかげです。
能取岬のおばちゃんは元気にしているのでしょうかね。
約束は果たさなければなりません。

本文は当時の記録のままアップしたので
文章も変ですし、今考えるとちょっと恥ずかしい内容になってます。
でも当時の考えを尊重しそのままアップしました。
ちょっと恥ずかしい部分を見られてしまったかな…。 (^_-)-☆
そんな昔の思い出です。

北海道記 再び 6

2006-07-23 09:26:54 | 思い出
昭和61年7月16日~31日 16日間5554.1kmの思い出

≪時間に追われない生活≫

朝日が昇るから起き、夕日が沈むから寝るという北海道での生活は
今の日常生活からは想像もつかない。
毎日1分1秒単位で生活していたのが
ここで私の生活を制限するのはお天道様のご機嫌だけなのだ。

その様な生活を求めていた訳だが
朝の通勤時間帯に信号で止まっている私の前を
学校に遅れるのか急いで自転車を走らせる学生を見ると
自分はこんな事をしていてよいのだろうかと思えてくる。
人間はやはり決められた枠の中で生活している方が安心できるようだ。
理想と現実の中で自分がどうあるべきかという明確な答えが出せない自分が
少々情けなかった。
学生が渡り終えると信号は青になった。

つづく。

北海道記 再び 5

2006-07-22 07:52:24 | 思い出
昭和61年7月16日~31日 16日間5554.1kmの思い出

≪名所・名物≫

温泉の他にも北海道のシンボルサッポロ時計台
紫色の小さな花がいくつもつけ香水の原料になるラベンダーと
TVドラマ“北の国から”で有名になった富良野
並木道とレンガ作りで高級別荘かと思わせる網走刑務所
湖すべてを見渡すことができると婚期が遅れるという霧の摩周湖
怪獣クッシーがいるとかいないとかの屈斜路湖
まりもの阿寒湖
夏だというのに山頂に雪が残る大雪山系と層雲峡
愛の国から幸福へで有名になった幸福駅
日本一面積が広い町というより松山千春で知られる足寄など
とても10日間くらいですべてを見ることが出来ない程見てまわる所はあるし
ウニ丼・イクラ丼・イカソーメン・ホタテ・シャケ・ラーメン・ジャガイモ
トウモロコシ・牛乳などおいしい物も数多くある。
中でも羅臼にトドの肉を食べさせてくれる店があり
その店の大将は面白い人で帰りにはおみやげまで用意している。
味の方はあっさりしていてつい美味しんぼしてしまうくらいである。

つづく。

北海道記 再び 4

2006-07-20 08:53:06 | 思い出
昭和61年7月16日~31日 16日間5554.1kmの思い出

≪私の温泉論≫

最近は温泉ブームと言ってもてはやされているが
北海道にもやはり秘湯は多い。
特に知床には熊が出没する事で有名な熊の湯
海岸近くにあり干潮時のみ入浴できるセセキ湯などがあるが
最高峰はやはりカムイワッカであろう。

ここの川は上流に源泉があるため
水ではなく湯が流れていて滝壺に入浴する事ができるのだ。
もちろん露天で
露天風呂というより自然そのものなのだ。

しかしそこまで行くのは大変で
道が無いので川の中を歩いて、大きな岩を飛び越え
バラバラと崩れる壁を登って行かなければならない。
でもそれらの労力を使った甲斐がある場所だ。

当然脱衣所も無いのでその辺に投げ散らかして
生まれたままの姿で飛び込む。
先に女の子が2人入っていたのはラッキーだったが
水着姿で温泉に入るのは自然に対する冒とくであると思う。
私がスケベだから言うのではない。
自然の中では自然な姿が一番で
そういった状態の中で女の子と友達になりたいのだ!と
考えるのは男のわがままというやつであろうか?
1時間くらい入浴して次の女の子が来るのを待っていたのは
私だけではなかったが先にのぼせてしまった。

ここでひとつ穴場の温泉を紹介しよう。
シャコタン半島を少し南下した所にある雷電から
山に入った朝日温泉は脱衣所は男女別々だが
中はひとつの風呂、つまり混浴である。
その日、私はどうだったかと言うと…。
やはり私はスケベのようである。

それは別としてやっぱり温泉は肌と肌で会話するのがいちばんよい。

つづく。



北海道記 再び 3

2006-07-19 08:08:34 | 思い出
昭和61年7月16日~31日 16日間5554.1kmの思い出

≪北の端≫

北海道は日本の北部であるので
最北端の宗谷岬は知られているが
実は本土最東端でもある納沙布岬もある。

ここは北方領土に一番近い所で
島の返還を願い資料館や記念碑があり
晴れた日はその島々を見ることができ
望遠鏡を使うとソ連兵まで確認できるという。
その間わずか数10km。

その日は自衛隊員も見学に来ており
実戦用の迷彩服を見て私の背中に悪寒が走った。
日本は平和と言われるが
明らかにここは戦場なのだ。
考えてみると現実にソ連兵はいつでも銃を撃つ用意をしているし
日本もそれに対応すべく準備をしているのだ。

日本は島国で国境という意識が薄いが
しかしここに来ると明確に感じるだろう。
それも恐ろしいくらいに。
ただこの辺りに住むエトピリカという鳥だけが
この人間の愚かな行為を知ってか知らずか
いつものように行き来している。

私はこの緊張感に耐え切らず
逃げるようにここを後にした。
もちろんその日も雨と霧で北方領土は見えなかった。

つづく。