おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

宮本武蔵 一乗寺の決斗

2020-05-03 10:44:13 | 映画
「宮本武蔵 一乗寺の決斗」 1964年 日本


監督 内田吐夢
出演 中村錦之助 入江若葉 木村功
   浪花千栄子 竹内満 丘さとみ
   江原真二郎 平幹二朗 河原崎長一郎
   香川良介 佐藤慶 高倉健

ストーリー
蓮台寺野で武蔵に左肩を粉砕された吉岡清十郎は、戸板に乗せられて道場に戻ろうというところ、佐々木小次郎に挑発されて自らの左腕を切断し、歩いて戻ることで名門の誇りを保とうとする。
しかし、道場に戻った清十郎は、傷が癒えるや弟の伝七郎に家督を譲り、愛弟子の林吉次郎を伴って失踪してしまった。
一方、蓮台寺野から立ち去ろうとする宮本武蔵は、当代一流の文化人・本阿弥光悦とその母・妙秀に出会い、彼の家に身を寄せることになる。
武蔵は光悦から祇園詣でに誘われ困惑するが、それが復讐に燃える吉岡一門の追撃をかわすための光悦の心遣いと知った武蔵は、伝七郎の挑戦状を受け取ると約束の刻限まで光悦に従うことにする。
祇園の宴席を中座し、洛中・三十三間堂で伝七郎を斬り捨てる武蔵。
その彼の張り詰めた心境を案じた祇園の名妓・吉野太夫は、武蔵の前で愛用の琵琶を破壊してみせ、武蔵に真の強さとは敵を威圧する暴力のみには宿らないということを諭す。
武蔵は、自分を慕ってついてきた城太郎に永久の別れを告げると、単身吉岡一門の包囲網に立ち向かう
が、その張り詰めた空気は、突如現われた小次郎によって緩和される。
小次郎は日を改めての決闘を両者に提案するのだった。
吉岡道場の高弟である植田良平は、吉岡の親類である壬生源左衛門に頼み、源左衛門が可愛がる孫の源治郎を吉岡の名目人に迎えて吉岡と壬生の連合軍を結成、大人数で武蔵を抹殺する計画を立てる。
決戦の地・一乗寺で武蔵は奇襲をかけ、混乱する本陣に乗り込んだ武蔵は、源治郎を敵総大将と看做し、彼を守ろうとする源左衛門もろとも突き殺してしまう。
子供を切り捨てた武蔵は僧侶達から鬼よ悪魔よと罵られる。
武蔵は、自己の正当性を訴えるのだが、その叫びはただ虚しく響くだけだった。


寸評
第四話とあって、これまでのあらすじがイラストと今まで描かれたシーンのストップモーション画像で語られる。
要領を得た語りで今回登場しないお甲も紹介されて、これまでの出来事を思い出させる役目を果たしていた。

前置き的な話はあるが、先ずは武蔵と吉岡一門の第二戦目となる吉岡伝七郎との決闘が描かれる。
決斗の場所は三十三間堂で、待ち受ける伝七郎に対し、武蔵は三十三間堂の長い縁側廊下の端から現れる。
何とも恰好のいい現れ方で、勝負は一瞬のうちに決してしまう。
勝負の趨勢は兄の清十郎がお前の腕では負けると言っていたぐらいだから当然の結果だ。
その後は復讐心に加え道場の名誉と存続をかけて武蔵を討とうとする吉岡一門と武蔵の攻防が描かれる。
攻防と言っても実際の対決は行われず、策をめぐらす吉岡道場の面々の様子が描かれるだけだ。

武蔵はその間、あちこちに世話になりながら京に滞在しているが、補足的に武蔵を取り巻く人々の話が盛り込まれるという描き方が続く。
城太郎の父である青木丹左衛門が再び登場し、一方的であるが親子の対面を果たす。
お杉婆が息子の又八を気にかけるのと対をなしていて、親が子を思う気持ちを描いている。
武蔵は緊張を切らすことがなく、その危うさを吉野太夫から諭される。
まだまだ人に食って掛かるところのある武蔵だが、吉野太夫の意見に首を垂れる。
吉野太夫の語りは結構長く感じるが、そんなシーンが盛り込まれていることで、このシリーズを単なるチャンバラ映画から一段高い作品に押し上げているのだと思う。

シリーズ中でも本作が出色の出来である。
それは本作が一乗寺下り松での決斗場面を有しているからだ。
そう思わせるほどこの73対1の決斗場面は躍動している。
決斗の時間帯が早朝ということもあって画面はモノトーン調になる。
先乗りして作戦を立てていた武蔵が締めた白い鉢巻きがモノトーン画面だけにくっきりと浮かぶ。
名目人の源治郎を目指して武蔵が裏山を駆け下りてきて死闘が始まる。
武蔵は彼を守ろうとする源左衛門もろとも源治郎一気に突き殺す。
そこからはあぜ道を走り回り、水を張った田んぼの中を這いずり回って敵を斬りまくる。
小次郎は武蔵の勝ちを確信し、武蔵を倒すのは自分の剣しかないとつぶやくが、決して武蔵の楽勝と言う戦いではなく、武蔵も生死をかけた必死の戦いを行っている。
闘いが終わって武蔵が逃げおおせると、画面は一転鮮やかなカラー画面となり、真っ赤に染められたシダの上に武蔵が倒れ込んでいる。
内田吐夢がこのシリーズでそれぞれの最後に見せている演出方法だ。
武蔵は子供を斬った事で叡山に逃れ観音像を彫っているが、慈悲のなさを責められ追われることになる。
それでも自分は兵法者として正しい戦い方を行ったのだと叫ぶが、最後に叫ぶのも毎回のパターンとなってきたようだ。


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