おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

八つ墓村

2023-05-07 07:35:55 | 映画
「八つ墓村」 1977年 日本


監督 野村芳太郎
出演 渥美清 萩原健一 小川真由美 花沢徳衛 山崎努 山本陽子
   市原悦子 山口仁奈子 中野良子 加藤嘉 井川比佐志
   下絛アトム 夏木勲 田中邦衛 稲葉義男 橋本功 大滝秀治
   夏純子 藤岡琢也 下絛正巳 山谷初男 浜村純 吉岡秀隆

ストーリー
寺田辰弥は、ある日の新聞尋ね人欄の記述により、大阪の法律事務所を訪ねることになった。
そこで初めて会った母方の祖父であるという井川丑松は、その場で突然倒れ苦しみながら死んでしまう。
辰弥は、父方の親戚筋の未亡人である森美也子の案内で生れ故郷の八つ墓村に向かうことになった。
赤子であった辰弥を連れて村を出た母の鶴子は辰弥が幼いころに病死しており、辰弥は自分の出自について今まで何も知らずにいたのだった。
美也子に聞かされた多治見家と八つ墓村にまつわる由来は、戦国時代にまで遡った。
1566年、毛利に敗れた尼子義孝という武将が、同胞と共に8人で今の八つ墓村の地に落ち延び、村外れに住みついたが、毛利からの褒賞に目の眩んだ村人たちの欺し討ちに合って惨殺される。
落ち武者たちは「この恨みは末代まで祟ってやる」と呪詛を吐きながら死んでいった。
このときの首謀者である村総代の庄左衛門は褒賞として莫大な山林の権利を与えられ、多治見家の財の基礎を築いたのだが、庄左衛門はあるとき突如として発狂、村人7人を斬殺した後、自分の首を斬り飛ばすという壮絶な死に方をする。
村人は、このことにより落武者の祟りを恐れ、義孝ら8人の屍骸を改めて丁重に葬り祠をたてたことから、村は八つ墓村と呼ばれるようになったというものだった。
さらに、辰弥の父だという多治見要蔵も、28年前に村人32人を日本刀と猟銃で虐殺し失踪するという恐ろしい事件を起していた。
八つ墓村では、辰弥の帰郷と呼応するように、また連続殺人が起こりはじめ、私立探偵の金田一耕助が事件調査のため村に姿を現わす。


寸評
この作品が撮られたころは横溝正史ブームが起きていて、松竹が東宝作品に対抗する形で名作「砂の器」のスタッフを集めて放ったのがこの「八つ墓村」である。

背景として流れているのは怨念の世界である。
発端は戦国時代劇かと思わせる冒頭の尼子一族の逃亡劇だ。
長年敵対していた毛利氏と尼子氏だが、毛利軍は月山富田城を包囲し1566年に尼子氏が降伏したので、映画冒頭の落ち武者はこの時の逃亡者だと思われるが、尼子義孝は架空の人物だろう。
その後の物語としては、尼子氏の再興を願う山中鹿之助の活躍が有名だが、ここの残党は1566年の富田城開城における落ち武者と言うことになる。
兎に角、その時の落ち武者8名が村人の謀略で惨殺されたことの怨念が延々と続いていることが背景となっていて、起きる事件はその落ち武者の祟りだと村人たちが騒ぎ出すこととなる。
予告編では山崎努の多治見要蔵による32人の殺害事件が大々的に流れていた。
頭に懐中電灯2本をくくり付けて、恐ろしい形相で走り回る山崎努の姿が強い印象を残した。
山崎努はその多治見要蔵と、その息子である多治見久弥の二役をやっていて、久弥は辰弥に「財産を親戚の連中に取られるな」と言い残して死んでしまう。
この言葉が重要なキーワードであることは推理小説ファンなら容易に察しがつく。

話はその事件から28年後に起きた連続殺人事件を描いている。
残念ながらミステリーの謎解きとしては、犯人の候補者が限られていることで興味が湧かない。
主要登場人物を見渡してみると、早い時点である程度想像がついてしまうのである。
殺人の動機も予測がついて、校長が殺されたことで辰弥の出生の秘密によるものかと思わせたりもするが、大きなミステリーとはなりえていない。
戦国時代の落ち武者の怨念がたたりとなって現在の人々に襲い掛かるというのだが、その因果関係にも盛り上がりに欠けるものがある。
どうも展開がスローすぎて謎解きの面白さが前面に出ていないのだ。

それでもセットではない自然の洞窟での撮影は、怪奇さや不気味さを出すことに成功している。
渥美清の金田一耕助は事件の解説役にしか見えないが、事件の因果関係は面白いと思う。
32人殺しの事件で一家全員を殺され家系が途絶えたのが、落ち武者殺害首謀者3名の子孫であることや、また多治見家の先祖もその一人であったことなどだ。
さらに犯人の先祖も尼子氏につながるということが分かり、何百年も後に1本の線でつながると言う着想である。
この着想は原作者である横溝正史の功績なのだろうが、しかしそれが十分に生かされたとは言い難い。
犯人が呪いとか祟りにかこつけて殺人を行っていくというのが少々分かりにくい。
400年に渡る怨念が、洞窟の崩落と多治見家の大火災で果たされると言うラストは見応えがある。
辰弥は金田一から実の父親は海外で活躍していると聞かされているので、ラストの飛行機は父を思う達也の気持ちを表したものだったのだろう。


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2 コメント

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「八つ墓村」について (風早真希)
2023-05-08 11:16:24
野村芳太郎監督の松竹映画「八つ墓村」は、さすがに今の目で観ると、それほど怖くはありませんね。

有名な落武者の虐殺シーンは、特撮が古いので、首が飛んだり、手がちぎれたりと派手ではあるけれども、ケバケバしくチープな印象です。

それから、これも有名な、山崎努が猟銃と日本刀を持って、頭に懐中電灯を二本差して、村人を殺して回る場面は、確かに怖いが、ホラー的な怖さではなく凄絶と言うべきだろう。

あの二本の懐中電灯は、やはり「鬼」の角に擬してあるのだろう。
桜吹雪の中を走って、人間を殺しに来る鬼。
恐ろしくも美しい場面です。

しかし、唯一背中が総毛立つような怖さを感じたのは、終盤の、あの鍾乳洞の中を、主人公が延々追いかけられるシーンですね。
暗い、どこまでも続く鍾乳洞の中を、すすり泣くような、あるいは、忍び笑うような声を漏らしながら、どこまでも、どこまでも追いかけてくる鬼女。

これは怖かったですね。楳図かずおのホラー漫画の原型的シチュエーションの一つのような気がします。
メークは、やはり安っぽいのだが、あの状況そのものに悪夢的な怖さがありますね。

子供の頃に、もしこの場面を観たとしたら、やっぱりトラウマになるだろう。
あの場面は、いっそメークを変えないで、例えば金目にするだけぐらいで良かったと思う。
その方が、余計に怖い場面になっただろう。

この映画の話題は色々あるのだが、金田一耕助を渥美清が演じていることもその一つ。
横溝正史原作での金田一=石坂浩二というイメージが定着しているうえに、渥美清は「寅さん」のイメージが強過ぎるので、抵抗を感じる人が多いだろう。

私は寅さん映画の大ファンなのでどうかなと思ったが、別にそれほど違和感はありませんでしたね。
石坂浩二ほどの華はないが、実直でホッとできる金田一という感じでしたね。
なんでも、横溝正史によれば、この渥美清の金田一が、実は一番原作者のイメージに近いということだ。

この映画のミステリとしての構造に目を向けると、原作との最大の違いにして、最も論議を呼ぶポイントは、はっきりしていますね。
あくまで、ミステリ小説の範疇内で勝負した原作小説を映画化するにあたって、脚本の橋本忍と野村芳太郎監督は、これを本物の祟りの物語にしてしまいましたね。

この映画は、もはやミステリではなくホラーというか、ミステリの衣をまとった怪談話になりましたね。
従って、原作の緻密な謎解き部分は、全く骨抜きにされてしまっています。

映画の終盤での金田一の謎解きは、謎解きの名に値しませんね。
ほぼ独断で、犯人を指摘し、あとは犯人の出自に人々の注意を促し、この事件の超自然的な側面を強調するのみですからね。
当然、この部分は原作にはありません。

従って、この映画がミステリ・ファンに評判が悪いのは、当然と言えば当然なのだと思う。
金田一耕助が出てくるとはいえ、これはミステリではなく怪談話なんですね。

一方で、怪談風の奇譚として見れば、それなりに楽しめると思う。
確かにチープな特撮による、グロテスクな演出や鍾乳洞の場面がやたら長いなど、ゆるい部分は多々あります。

だが、寡黙でシャイな主人公を演じる萩原健一が、それでも放つ華、それから豪華な女優陣、つまり小川真由美、山本陽子、中野良子らの艶やかな競演は見ものです。

それから、山崎努の「鬼」の凄絶な存在感は言うまでもありません。
だが、極端な言い方をすれば、桜吹雪の中をやって来る山崎努の「鬼」と、鍾乳洞の中を亡霊のように走る「鬼女」のインパクト、この二つが、ほぼ全ての映画なのだ。

反面、それだけで十分といえば十分だ。
この映画のケバケバしい装飾部分を、どんどん取り除いていけば、その核には、極めて日本的な、"血や縁や怨念"と切り離せない原型的な恐怖が存在します。
この恐怖の感覚は、日本人にとって、どこか懐かしいもののような気すらしてくるんですね。
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洞窟シーンが (館長)
2023-05-09 07:11:11
この映画に洞窟シーンがなかったら随分とつまらない作品になっていたと思います。
セットではない本物の雰囲気もありますし、私はあのシーンだけを評価しています。
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