「忍ぶ川」 1972 日本

監督 熊井啓
出演 栗原小巻 加藤剛 永田靖 滝花久子
可知靖之 井川比佐志 山口果林
岩崎加根子 信欣三 阿部百合子
木村俊恵 滝田裕介
ストーリー
哲郎と志乃は料亭“忍ぶ川”で知りあった。志乃は“忍ぶ川”の看板娘だった。
哲郎は初めての出合いから、彼女にひかれて、“忍ぶ川”に通った。
ある夜、話が深川のことに及んだ時、志乃は、私の生まれた土地で、もう8年も行っていないと言う。
哲郎は志乃を誘い、薮入りの日に深川を案内することになった。
志乃は洲崎パラダイスにある射的屋の娘で、父はくるわでは“当り矢のせんせ”と呼ばれていた。
志乃が12歳の時、戦争で一家は栃木へ移住、弟や妹達をおいて、志乃は東京に働きに出たのである。
深川から帰った夜、哲郎は志乃に手紙を書いた。
〈今日、深川で言いそびれた私の兄弟のことを、ここにしるします。私は六人兄弟の末っ子です。兄が二人、姉が三人いて、上の姉二人が自殺、長兄が失踪、次兄はしっかりものだったが、私を大学へ入れてくれたのも、深川にいたのもこの兄なのだが、3年前に自分で木材会社を設立するという名目で逐電し、そのショックで父は脳溢血で倒れた。一番最初に次姉が自殺した日が、よりによって私の6才の誕生日のときでそれ以来誕生日を祝ったことがない)という内容である。
あくる日、志乃から返事がもどって来た。
〈来月の誕生日には私にお祝いさせて下さい。〉
7月末、志乃に婚約者がいることを知らされた。
志乃に問いただすと、婚約はしたけれど、気はすすまず、栃木の父も反対しているという。
哲郎は志乃に、その人のことは破談にしてくれ、そして、お父さんにあんたの好みにあいそうな結婚の相手ができたと言ってやってくれと言うのだった。
寸評
僕はこの映画を学生時代に見た。
哲郎は大学生で、とっくに卒業しているはずだったと語っているから留年しているのだろう。
兄に経済援助をしてもらっていたのだから、普段はそんなに金回りが良いようには思えない。
それなのに仲居さんが多くいる小料理屋の「忍ぶ川」に通って、志乃といういい女といい仲になっている。
アルバイトに明け暮れて質屋通いもしていた僕にはとても羨ましい存在で、こんな学生っているんだろうかと半ばやっかみ気分を持ったことを思い出す。
哲郎の家は呪われた家で兄弟は不幸な結末を迎えており、志乃の家庭も没落家庭なのだが、そのことを全面に押し出すような描き方はしていない。
三浦哲郎の原作を朗読するような加藤剛のナレーションが二人の境遇を感じさせる。
哲郎は志乃を連れて雪が積る故郷に帰ってくる場面からは一気に盛り上がり、いい場面が続く。
雪が降りしきる田舎の駅で母親が一人で哲郎と志乃を迎えに来ている。
そこから走行も無理かと思われる雪道を三人を乗せたタクシーが、途中で止まっては縁起が悪いと走っていく。
封切当時の何かの記事で「雪の白さを表すためにモノクロで撮った」という熊井啓監督の言葉を読んだ記憶があるのだが、確かに雪景色は二人の境遇と、哲郎一家にある呪いの歴史の上に降り積もっているようだ。
そればかりでなく、あらゆるシーンにおいてモノクロであることが一層の雰囲気を生み出している。
呪われた一家は近所付き合いも少なく、家族だけの結婚式をあげる。
そして哲郎と志乃は新婚初夜を迎え、この映画のクライマックスが始まる。
襖を開けて入ってくる哲郎が羽織を脱ぎながら「雪国ではね、寝るとき、なんにも着ないんだよ。生まれたときのまんまで寝るんだ。その方が寝巻きなんか着るよりずっと暖かいんだよ」と語る。
志乃は頭上にある部屋の電気を消して枕元にたたずみ「あたしも、寝間着を着ちゃ、いけません?」と言うと、哲郎は「ああ、いけないさ。もう雪国の人なんだから」と言うやり取りがある。
鼻にかかったような栗原小巻の声が艶っぽい。
全裸で加藤に身を寄せる栗原小巻はかつての”にっぽんの女”という感じだ。
遠くから聞こえる馬ゾリの鈴の音が効果的だ。
「忍ぶ川」が封切られた頃は日活ロマンポルノが喝采をもって迎えられていて、僕も随分と見ていたのだが日活ロマンポルノがあったからこそ「忍ぶ川」のエロチシズムを新鮮に感じとれたし、これこそ日本映画的表現だと思ったのだった。
日活ロマンポルノがドロドロとした男女関係をこれでもかと深く入り込んで描いているのに対して、こちらは文学的な表現で、当初は不自然とも思われる二人の会話が徐々に違和感をなくしていく静かな語り口が心地よい。
志乃役は当初「サユリスト」という熱狂的なファンを持つ吉永小百合が想定されていたが、一悶着があって志乃は栗原小巻になり、栗原小巻は「コマキスト」というファンを生み出した。
僕は志乃役は栗原小巻でよかったと思っている。
ハイキ―気味な画面は小巻の美貌を浮かび上がらせていたし、彼女の代表作を上げるとすれば間違いなくこの「忍ぶ川」だろう。

監督 熊井啓
出演 栗原小巻 加藤剛 永田靖 滝花久子
可知靖之 井川比佐志 山口果林
岩崎加根子 信欣三 阿部百合子
木村俊恵 滝田裕介
ストーリー
哲郎と志乃は料亭“忍ぶ川”で知りあった。志乃は“忍ぶ川”の看板娘だった。
哲郎は初めての出合いから、彼女にひかれて、“忍ぶ川”に通った。
ある夜、話が深川のことに及んだ時、志乃は、私の生まれた土地で、もう8年も行っていないと言う。
哲郎は志乃を誘い、薮入りの日に深川を案内することになった。
志乃は洲崎パラダイスにある射的屋の娘で、父はくるわでは“当り矢のせんせ”と呼ばれていた。
志乃が12歳の時、戦争で一家は栃木へ移住、弟や妹達をおいて、志乃は東京に働きに出たのである。
深川から帰った夜、哲郎は志乃に手紙を書いた。
〈今日、深川で言いそびれた私の兄弟のことを、ここにしるします。私は六人兄弟の末っ子です。兄が二人、姉が三人いて、上の姉二人が自殺、長兄が失踪、次兄はしっかりものだったが、私を大学へ入れてくれたのも、深川にいたのもこの兄なのだが、3年前に自分で木材会社を設立するという名目で逐電し、そのショックで父は脳溢血で倒れた。一番最初に次姉が自殺した日が、よりによって私の6才の誕生日のときでそれ以来誕生日を祝ったことがない)という内容である。
あくる日、志乃から返事がもどって来た。
〈来月の誕生日には私にお祝いさせて下さい。〉
7月末、志乃に婚約者がいることを知らされた。
志乃に問いただすと、婚約はしたけれど、気はすすまず、栃木の父も反対しているという。
哲郎は志乃に、その人のことは破談にしてくれ、そして、お父さんにあんたの好みにあいそうな結婚の相手ができたと言ってやってくれと言うのだった。
寸評
僕はこの映画を学生時代に見た。
哲郎は大学生で、とっくに卒業しているはずだったと語っているから留年しているのだろう。
兄に経済援助をしてもらっていたのだから、普段はそんなに金回りが良いようには思えない。
それなのに仲居さんが多くいる小料理屋の「忍ぶ川」に通って、志乃といういい女といい仲になっている。
アルバイトに明け暮れて質屋通いもしていた僕にはとても羨ましい存在で、こんな学生っているんだろうかと半ばやっかみ気分を持ったことを思い出す。
哲郎の家は呪われた家で兄弟は不幸な結末を迎えており、志乃の家庭も没落家庭なのだが、そのことを全面に押し出すような描き方はしていない。
三浦哲郎の原作を朗読するような加藤剛のナレーションが二人の境遇を感じさせる。
哲郎は志乃を連れて雪が積る故郷に帰ってくる場面からは一気に盛り上がり、いい場面が続く。
雪が降りしきる田舎の駅で母親が一人で哲郎と志乃を迎えに来ている。
そこから走行も無理かと思われる雪道を三人を乗せたタクシーが、途中で止まっては縁起が悪いと走っていく。
封切当時の何かの記事で「雪の白さを表すためにモノクロで撮った」という熊井啓監督の言葉を読んだ記憶があるのだが、確かに雪景色は二人の境遇と、哲郎一家にある呪いの歴史の上に降り積もっているようだ。
そればかりでなく、あらゆるシーンにおいてモノクロであることが一層の雰囲気を生み出している。
呪われた一家は近所付き合いも少なく、家族だけの結婚式をあげる。
そして哲郎と志乃は新婚初夜を迎え、この映画のクライマックスが始まる。
襖を開けて入ってくる哲郎が羽織を脱ぎながら「雪国ではね、寝るとき、なんにも着ないんだよ。生まれたときのまんまで寝るんだ。その方が寝巻きなんか着るよりずっと暖かいんだよ」と語る。
志乃は頭上にある部屋の電気を消して枕元にたたずみ「あたしも、寝間着を着ちゃ、いけません?」と言うと、哲郎は「ああ、いけないさ。もう雪国の人なんだから」と言うやり取りがある。
鼻にかかったような栗原小巻の声が艶っぽい。
全裸で加藤に身を寄せる栗原小巻はかつての”にっぽんの女”という感じだ。
遠くから聞こえる馬ゾリの鈴の音が効果的だ。
「忍ぶ川」が封切られた頃は日活ロマンポルノが喝采をもって迎えられていて、僕も随分と見ていたのだが日活ロマンポルノがあったからこそ「忍ぶ川」のエロチシズムを新鮮に感じとれたし、これこそ日本映画的表現だと思ったのだった。
日活ロマンポルノがドロドロとした男女関係をこれでもかと深く入り込んで描いているのに対して、こちらは文学的な表現で、当初は不自然とも思われる二人の会話が徐々に違和感をなくしていく静かな語り口が心地よい。
志乃役は当初「サユリスト」という熱狂的なファンを持つ吉永小百合が想定されていたが、一悶着があって志乃は栗原小巻になり、栗原小巻は「コマキスト」というファンを生み出した。
僕は志乃役は栗原小巻でよかったと思っている。
ハイキ―気味な画面は小巻の美貌を浮かび上がらせていたし、彼女の代表作を上げるとすれば間違いなくこの「忍ぶ川」だろう。
熊井啓は、新藤兼人と同じで、脚本家としてはすごいが、監督としては面白くないと言うのが私の考えです。