「陸軍」 1944年 日本
監督 木下恵介
出演 笠智衆 田中絹代 三津田健
星野和正 杉村春子 上原謙
東野英治郎 信千代 佐分利信
佐野周二
ストーリー
慶応2年。九州小倉では、城下が長州の奇兵隊による攻撃に晒されていた。
逃げ出す準備をしている商家・高木屋に旧知の手傷を負った武士・竹内が転がり込んでくる。
竹内は息子の友之丞に「これからの若い者はもっと大きなものに忠義を尽くしてくれ」と言い残し立ち去る。
30年後の明治28年。日清戦争直後のある日、生き延び成長した友之丞は、三国干渉によって遼東半島を清に返すことになったことを聞かされ大いに憤慨する。
その抗議に旧知の山県有朋を訪ね東京に出た友之丞だったが、そこで倒れる。
そして10年後の明治37年。日露戦争が勃発し、友彦も陸軍歩兵大尉として出征したが、病気のため前線で働くことが出来ず、失意のまま帰国する。
高木屋は友彦が保証人としてかぶってしまった借金のため傾いていた。
十年後。福岡に居を移した一家は雑貨屋を営んでいた。
さらに10年後、家業を手伝っていた伸太郎は晴れて陸軍に入隊し、それを喜ぶ両親だったが・・・。
寸評
幕末から日清・日露の両戦争を経て満州事変に至る60年あまりを、ある家族の三代にわたり軍隊と関わった姿を通して描いている。
祖父は関門海峡に現れたイギリス艦隊の砲撃をうけて敵意を持つ。
父は日清・日露戦争に身体が弱くて参加できなかったが、「神風」を信じ、そして遼東半島の返還に憤る。
そして、その息子の時代は「大東亜戦争」であるが、歴史の流れから見るとそんな家族がいても不思議ではない。
作品の冒頭に「陸軍省後援 情報局國民映画」という表記があり、これが国策映画として制作されたことがうかがわれるが、後半になっていくに従って大きく違う方向へと展開して、この作品を国策映画と呼ぶことは難しい様相を呈してくる。
結果として、木下は終戦時まで仕事が出来なくなったと言われ、このために木下は松竹に辞表を提出している。
なんといってもラストシーンだ。
田中絹代の母親が出征していく息子を追って人垣をかき分け追いかけるシーンは胸打つ。
母親は「男の子は天子様からの預かりものですから、立派に育ててお返ししなくてはなりません」と思いながら、母としての愛情を息子に注いできた。
それまで気丈に見せていただけに、その気持ちの変化と、その変化を押し上げるような必死の足取りなのだ。
母親は出征する息子を見送るつもりはなかったが、遠くから行軍するラッパの音が聞こえ、行進する兵士たちの軍靴のひびきが聞こえて来ると思わず駆け出す。
息子の姿を探し求める母親、行進する兵士、探す母親・・・。
やがて息子の姿を目にすると、息子はさわやかな笑顔で行進している。
カメラは涙をうかべながら息子を追いつづける母親の様子を横移動で延々と、これでもかこれでもかと見せていき、そしてそのままエンドマークとなる。
田中絹代はいいわぁ…。
このシーンの出征兵士たちは本当の兵士たちだということで、今この映画を見て彼等の中に自分たちの関係者を見つけた遺族たちはどんな思いをしただろうかと思うと胸が熱くなった。
厳しい態度見せていた父親も後半では女々しいと言われながらも息子の安否を気遣う普通の父親として描かれている。
よく検閲が通ったものだ。
オープニングで藩士が語る「これからはアメリカやイギリスが鵜の目鷹の目でやってくる、藩の為に死ぬのはワシ等で最後にしなければならん」というのは、伸太郎が出征していった「大東亜戦争」につながっていて、国家のために死ぬのは自分たちを最後としたいという戦死していった者の代弁でもあったと思う。
述べたように、これが単純なプロパガンダ映画とは思わないが、それでも木下恵介は戦後に「大曾根家の朝」を撮り、「望楼の決死隊」を撮った今井正も戦後に「また逢う日まで」を撮り、「一番美しく」を撮った黒澤明も戦後は「わが青春に悔なし」を撮るという変節ぶりを見ると、国家権力と時代の雰囲気というものは恐ろしいものが有ると、改めて思い知らされる。
監督 木下恵介
出演 笠智衆 田中絹代 三津田健
星野和正 杉村春子 上原謙
東野英治郎 信千代 佐分利信
佐野周二
ストーリー
慶応2年。九州小倉では、城下が長州の奇兵隊による攻撃に晒されていた。
逃げ出す準備をしている商家・高木屋に旧知の手傷を負った武士・竹内が転がり込んでくる。
竹内は息子の友之丞に「これからの若い者はもっと大きなものに忠義を尽くしてくれ」と言い残し立ち去る。
30年後の明治28年。日清戦争直後のある日、生き延び成長した友之丞は、三国干渉によって遼東半島を清に返すことになったことを聞かされ大いに憤慨する。
その抗議に旧知の山県有朋を訪ね東京に出た友之丞だったが、そこで倒れる。
そして10年後の明治37年。日露戦争が勃発し、友彦も陸軍歩兵大尉として出征したが、病気のため前線で働くことが出来ず、失意のまま帰国する。
高木屋は友彦が保証人としてかぶってしまった借金のため傾いていた。
十年後。福岡に居を移した一家は雑貨屋を営んでいた。
さらに10年後、家業を手伝っていた伸太郎は晴れて陸軍に入隊し、それを喜ぶ両親だったが・・・。
寸評
幕末から日清・日露の両戦争を経て満州事変に至る60年あまりを、ある家族の三代にわたり軍隊と関わった姿を通して描いている。
祖父は関門海峡に現れたイギリス艦隊の砲撃をうけて敵意を持つ。
父は日清・日露戦争に身体が弱くて参加できなかったが、「神風」を信じ、そして遼東半島の返還に憤る。
そして、その息子の時代は「大東亜戦争」であるが、歴史の流れから見るとそんな家族がいても不思議ではない。
作品の冒頭に「陸軍省後援 情報局國民映画」という表記があり、これが国策映画として制作されたことがうかがわれるが、後半になっていくに従って大きく違う方向へと展開して、この作品を国策映画と呼ぶことは難しい様相を呈してくる。
結果として、木下は終戦時まで仕事が出来なくなったと言われ、このために木下は松竹に辞表を提出している。
なんといってもラストシーンだ。
田中絹代の母親が出征していく息子を追って人垣をかき分け追いかけるシーンは胸打つ。
母親は「男の子は天子様からの預かりものですから、立派に育ててお返ししなくてはなりません」と思いながら、母としての愛情を息子に注いできた。
それまで気丈に見せていただけに、その気持ちの変化と、その変化を押し上げるような必死の足取りなのだ。
母親は出征する息子を見送るつもりはなかったが、遠くから行軍するラッパの音が聞こえ、行進する兵士たちの軍靴のひびきが聞こえて来ると思わず駆け出す。
息子の姿を探し求める母親、行進する兵士、探す母親・・・。
やがて息子の姿を目にすると、息子はさわやかな笑顔で行進している。
カメラは涙をうかべながら息子を追いつづける母親の様子を横移動で延々と、これでもかこれでもかと見せていき、そしてそのままエンドマークとなる。
田中絹代はいいわぁ…。
このシーンの出征兵士たちは本当の兵士たちだということで、今この映画を見て彼等の中に自分たちの関係者を見つけた遺族たちはどんな思いをしただろうかと思うと胸が熱くなった。
厳しい態度見せていた父親も後半では女々しいと言われながらも息子の安否を気遣う普通の父親として描かれている。
よく検閲が通ったものだ。
オープニングで藩士が語る「これからはアメリカやイギリスが鵜の目鷹の目でやってくる、藩の為に死ぬのはワシ等で最後にしなければならん」というのは、伸太郎が出征していった「大東亜戦争」につながっていて、国家のために死ぬのは自分たちを最後としたいという戦死していった者の代弁でもあったと思う。
述べたように、これが単純なプロパガンダ映画とは思わないが、それでも木下恵介は戦後に「大曾根家の朝」を撮り、「望楼の決死隊」を撮った今井正も戦後に「また逢う日まで」を撮り、「一番美しく」を撮った黒澤明も戦後は「わが青春に悔なし」を撮るという変節ぶりを見ると、国家権力と時代の雰囲気というものは恐ろしいものが有ると、改めて思い知らされる。
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