「人間蒸発」 1967年 日本
監督 今村昌平
出演 露口茂 早川佳江
ストーリー
早川佳江さんは、幼いころに両親を亡くし、早くから自立した生活を送っていた。
彼女が病院勤めをやめてある会社の事務員になった時、すでに婚期は過ぎていたが、その彼女に社長夫婦が縁談を持ち込んできた。
相手は大島裁氏といい、プラスチック問屋のセールスマンで実直な好青年ということだった。
二人の仲はそれから急速に進み、婚約を交したあと、昭和40年10月に結婚式を挙げるまでになっていた。
その年の4月15日、大島氏が突然失踪し、それから一年半を経ても行方はわからなかった。
映画監督今村昌平氏が早川さんのことを知ったのはこの頃のことである。
早川さんの身辺の事情をくまなく調査した今村監督は、大島氏の失踪以来自分の殻に閉じこもってしまった早川さんを説き、大島氏の消息を彼女と一緒に尋ねるとともにその過程を映画にすることになった。
明らかになっていった事実は、彼女が聞かされていた大島氏の人柄とは異るものであった。
大島氏の14年間の会社での生活は、使いこみ、秘かに妊娠させていた女の出現と、早川さんを驚かすことが多く、彼の周囲に渦巻く人間社会の網の目は、想像以上に複雑なものだったのだ。
こうして半年あまり、早川さんは大島氏を取り巻くいろいろな人たちに会い、その話を聞いて歩くうちに、戸惑い、衝撃を受け、大島氏との溝を感じざるを得なくなっていた。
彼女はいま何も分らなくなっていた。
真実を知ろうとすればするほど、複雑に入りくんだ関係の中に、正体を見失っていく人間の社会……。
早川さんは、心身ともに疲れはて、すでに大島氏のことは、どうでもいい事柄のひとつになっていった。
寸評
大島裁(ただし)という男がある日、突然姿を消した。
婚約者である早川佳江という女性が今村昌平監督の要請を受け、俳優の露口茂と共に大島を捜すドキュメンタリー風の映画なのだが、今村監督が言うようにこれはフィクションで、あくまでもドキュメンタリー風の作品なのだ。
そう思って見ないと頭がこんがらがってくる。
ある時期、蒸発という行為が社会現象化したことがあった。
それを映画化した、いかにもATGらしい作品である。
当初はいろんな人の証言があって大島という男の実像が明らかになっていくのだが、人間関係もテロップされてドキュメンタリーらしい演出が続く。
大島は大人しい男であったとか、気が弱い男であったとかの証言があり、またある者からは仕事の出来ない男であったとの証言もでてくる。
大島が会社の金を使い込んでいたとか、女絡みの問題が明らかになりはじめるに従って、話はどんどん面白くなっていくが、最後まで大島という男の蒸発の動機は解らない。
蒸発した男を捜すドキュメンタリーの旅は、作品半ばで完全にどこかに追いやられてしまう。
大島の婚約相手である早川佳江が次第に婚約相手の大島よりも露口茂を好きになっている事が描かれる。
それを察知した今村は、そのことを作品に取り入れたいと熱望し、露口はその片棒を担ぐ。
この頃になると素人でドキュメンタリーの主人公であった早川佳江がどんどん女優化していく。
そしていつのまにやら大島を探すことから、早川姉妹のバトルになっていってしまう。
妹の佳江は姉を嫌う神経質で怒りっぽいヒステリー女で、姉が嘘をついていると責めまくる。
姉の方の話しっぷりは自然で嘘をついているように見えないのだが、彼女の証言が虚偽であることを匂わせる証言者が複数出てきて、姉は嘘をついているのかもしれないと思えてくる。
2年も前の記憶をそんなに鮮明に覚えているのかと思うと、もしかすると男の証言は思い込みかもしれない。
しかし、思い込みであったとしても、内容を否定されれば主張がますます強くなっていくのは分かる。
もちろん男の記憶は確かなものかもしれない、
最後にはこの証言者と姉が事実の言い争いを始めてしまう。
路地裏での言い争いの場面では、頭上からマイクが垂らされ、助監督がカチンコを持って走り回っている。
ドラマの撮影現場そのもので、子供は「もう終わったの?」と聞く。
姉妹のバトルはどこかの料亭の部屋のようなところで繰り広げられる。
大島と会っていたのではないかと問い詰める妹に、姉は知らないを繰り返す。
今村も同席する言い争いは不毛の争いに思えてくる。
そして「セットをはずせ!」の掛け声とともに襖が取り払われると、そこはスタジオでセット撮影だったのだとわかるところはスゴイ演出で、映画はフィクションの要素も含んでいるのだと知らされる。
そして今村監督自身が「結局、何が真実かなんて誰にもわかりゃしない」と言うのだから、一体、今迄は何だったんだと言いたくなる。
高尚な感じで始まった映画は、まるでテレビのワイドショーで取り上げるネタのような感じになっている。
セットを壊し、ストップモーションで終わるしか仕方のない、終わりのない話だったように思う。
監督 今村昌平
出演 露口茂 早川佳江
ストーリー
早川佳江さんは、幼いころに両親を亡くし、早くから自立した生活を送っていた。
彼女が病院勤めをやめてある会社の事務員になった時、すでに婚期は過ぎていたが、その彼女に社長夫婦が縁談を持ち込んできた。
相手は大島裁氏といい、プラスチック問屋のセールスマンで実直な好青年ということだった。
二人の仲はそれから急速に進み、婚約を交したあと、昭和40年10月に結婚式を挙げるまでになっていた。
その年の4月15日、大島氏が突然失踪し、それから一年半を経ても行方はわからなかった。
映画監督今村昌平氏が早川さんのことを知ったのはこの頃のことである。
早川さんの身辺の事情をくまなく調査した今村監督は、大島氏の失踪以来自分の殻に閉じこもってしまった早川さんを説き、大島氏の消息を彼女と一緒に尋ねるとともにその過程を映画にすることになった。
明らかになっていった事実は、彼女が聞かされていた大島氏の人柄とは異るものであった。
大島氏の14年間の会社での生活は、使いこみ、秘かに妊娠させていた女の出現と、早川さんを驚かすことが多く、彼の周囲に渦巻く人間社会の網の目は、想像以上に複雑なものだったのだ。
こうして半年あまり、早川さんは大島氏を取り巻くいろいろな人たちに会い、その話を聞いて歩くうちに、戸惑い、衝撃を受け、大島氏との溝を感じざるを得なくなっていた。
彼女はいま何も分らなくなっていた。
真実を知ろうとすればするほど、複雑に入りくんだ関係の中に、正体を見失っていく人間の社会……。
早川さんは、心身ともに疲れはて、すでに大島氏のことは、どうでもいい事柄のひとつになっていった。
寸評
大島裁(ただし)という男がある日、突然姿を消した。
婚約者である早川佳江という女性が今村昌平監督の要請を受け、俳優の露口茂と共に大島を捜すドキュメンタリー風の映画なのだが、今村監督が言うようにこれはフィクションで、あくまでもドキュメンタリー風の作品なのだ。
そう思って見ないと頭がこんがらがってくる。
ある時期、蒸発という行為が社会現象化したことがあった。
それを映画化した、いかにもATGらしい作品である。
当初はいろんな人の証言があって大島という男の実像が明らかになっていくのだが、人間関係もテロップされてドキュメンタリーらしい演出が続く。
大島は大人しい男であったとか、気が弱い男であったとかの証言があり、またある者からは仕事の出来ない男であったとの証言もでてくる。
大島が会社の金を使い込んでいたとか、女絡みの問題が明らかになりはじめるに従って、話はどんどん面白くなっていくが、最後まで大島という男の蒸発の動機は解らない。
蒸発した男を捜すドキュメンタリーの旅は、作品半ばで完全にどこかに追いやられてしまう。
大島の婚約相手である早川佳江が次第に婚約相手の大島よりも露口茂を好きになっている事が描かれる。
それを察知した今村は、そのことを作品に取り入れたいと熱望し、露口はその片棒を担ぐ。
この頃になると素人でドキュメンタリーの主人公であった早川佳江がどんどん女優化していく。
そしていつのまにやら大島を探すことから、早川姉妹のバトルになっていってしまう。
妹の佳江は姉を嫌う神経質で怒りっぽいヒステリー女で、姉が嘘をついていると責めまくる。
姉の方の話しっぷりは自然で嘘をついているように見えないのだが、彼女の証言が虚偽であることを匂わせる証言者が複数出てきて、姉は嘘をついているのかもしれないと思えてくる。
2年も前の記憶をそんなに鮮明に覚えているのかと思うと、もしかすると男の証言は思い込みかもしれない。
しかし、思い込みであったとしても、内容を否定されれば主張がますます強くなっていくのは分かる。
もちろん男の記憶は確かなものかもしれない、
最後にはこの証言者と姉が事実の言い争いを始めてしまう。
路地裏での言い争いの場面では、頭上からマイクが垂らされ、助監督がカチンコを持って走り回っている。
ドラマの撮影現場そのもので、子供は「もう終わったの?」と聞く。
姉妹のバトルはどこかの料亭の部屋のようなところで繰り広げられる。
大島と会っていたのではないかと問い詰める妹に、姉は知らないを繰り返す。
今村も同席する言い争いは不毛の争いに思えてくる。
そして「セットをはずせ!」の掛け声とともに襖が取り払われると、そこはスタジオでセット撮影だったのだとわかるところはスゴイ演出で、映画はフィクションの要素も含んでいるのだと知らされる。
そして今村監督自身が「結局、何が真実かなんて誰にもわかりゃしない」と言うのだから、一体、今迄は何だったんだと言いたくなる。
高尚な感じで始まった映画は、まるでテレビのワイドショーで取り上げるネタのような感じになっている。
セットを壊し、ストップモーションで終わるしか仕方のない、終わりのない話だったように思う。
面白さは別です。