香港映画が見たくなったのだが、香港映画と言えば思い当たるのがまずはこのシリーズで、立て続けに3本を見る。
監督:アンドリュー・ラウ / アラン・マック
出演:アンディ・ラウ トニー・レオン アンソニー・ウォン エリック・ツァン
エディソン・チャン ショーン・ユー サミー・チェン
ストーリー
1991年、ストリート育ちの青年ラウ(アンディ・ラウ)は香港マフィアに入ってすぐ、その優秀さに目を付けたボスであるサム(エリック・ツァン)によって警察学校に送り込まれる。
一方、警察学校で優秀な成績を収めていた青年ヤン(トニー・レオン)は突然退学となる。
彼は組織犯罪課のウォン警視(アンソニー・ウォン)に能力を見込まれマフィアへの潜入を命じられたのだった。
ラウは香港警察に潜り込み、10年で内部調査課の課長に昇進、ベストセラー作家メリー(サミー・チェン)との結婚も内定していた。
一方、ヤンはサム率いるマフィアに潜入し、今では麻薬取引を任されるまでになっていた。
しかしヤンは長年に渡る内通捜査で自分を見失い、精神科医リー(ケリー・チャン)のもとに通院。
いつしかヤンはリーを愛し始めていた。
ある夜、ヤンから大きな麻薬取引を行うとの情報を得たウォン警視は、水面下で調査を始めるが、同時に警察の動きがラウからサムに伝わり、検挙も取引も失敗に終わる。
双方にスパイがいることが明らかになった。
ラウとヤンは、それぞれ裏切り者を探すよう命じられる。
やがて争いの中で、サムの手下にウォン警視が殺される。
サムの残忍さに嫌気がさしたラウは、サムを射殺。
そしてヤンは、ラウがマフィアのスパイであることに気づくが、やはりサムの手下にヤンも殺される。
残されたラウは、ヤンの分まで警官として生きていくことを決意するのだった。
寸評
組織への潜入物はよく映画化される題材だが、この作品の特異なところははマフィアと警察にそれぞれスパイを送り込んでいることで、それも10年という長い年月をかけたスパイであることだ。
その二人をトニー・レオンとアンディ・ラウが演じていて、二人が対照的な人物を渾身の演技で熱演しているのがこの映画の魅力となっている。
ヤンの上司であるウォン警視役のアンソニー・ウォンもなかなかいい。
潜入者は一体誰なのかを伏せておいて、そのなぞ解きをメインに据える手もあったと思うが、この映画ではそれをせずに当初から潜入者を明らかにしている。
あくまでもお互いの潜入者を介在させたマフィアと警察の攻防に重点を置き、その中で二人の人物像を浮かび上がらせていく演出の巧みさは、本作を香港映画界が生み出した超一級品の香港ノワール作品に仕上げている。
まずはオープニングがいい。
究極の地獄を示す仏教用語(無間道)が語られ、この物語の全体像が暗示される。
続いて、仏の前でマフィアのボス・サムが、これから警察学校に潜入しようというラウたちに語りかける「自分の道は自分で決めろ!」というこの言葉があとあとの展開を左右する重要なキーワードになる。
その後は、潜入捜査官ヤンと警察に潜入したラウの姿が並行して描かれるのだが、その緊張感がたまらない。
前半の麻薬取引の場面は手に汗握るシーンとなっていて、パソコン、携帯電話、無線機などのアイテムを効果的に使用しながら一気に映画世界に観客を引きずり込む。
はでなドンパチがあるわけではなく、雰囲気でもってスリル感を盛り上げていくのがいい。
そして映画はサスペンス劇だけではなく、好対照な二人の人物像をじわじわと描いていく。
ヤンはマフィアに潜入した警察官だが、どこかワイルドな風貌で10年間の潜入生活に疲れ始めている。
ラウは警察に潜入したマフィアの一員なのだが、エリート然としていてスマートで幸せな新婚生活を控えている。
それに反して、ヤンは恋人とも別れてボロボロの生活の様だ。
元恋人が連れていた子供はたぶんヤンとの間に出来た子供の様なのだが、ヤンはそれも知らない。
もちろんラウの恋人のメリーはラウの素性を知る由もない。
しかしどちらもそんな中にあって、悪の中の正義、正義の中の悪という矛盾に苦しみ始めている設定が重厚感を出していた。
クライマックスも、ありがちな展開とはいえ少しも陳腐な感じを抱かせない。
善と悪が交差する微妙なエリアで、情感漂うドラマを展開している。
勧善懲悪の世界が描かれるのではなく、善人だけど悪人、悪人だけど善人という複雑な設定が、ここで一挙にはじけ散る。
無間地獄とは絶え間ない責め苦を受け続けるjことであり、他人と自分自身を一生あざむいて生きることの苦しみは、どこにも属さない地獄の苦しみなのだ。
ラウはその無限道を歩いていくことになるのだろう。
香港映画、恐るべしだ!
監督:アンドリュー・ラウ / アラン・マック
出演:アンディ・ラウ トニー・レオン アンソニー・ウォン エリック・ツァン
エディソン・チャン ショーン・ユー サミー・チェン
ストーリー
1991年、ストリート育ちの青年ラウ(アンディ・ラウ)は香港マフィアに入ってすぐ、その優秀さに目を付けたボスであるサム(エリック・ツァン)によって警察学校に送り込まれる。
一方、警察学校で優秀な成績を収めていた青年ヤン(トニー・レオン)は突然退学となる。
彼は組織犯罪課のウォン警視(アンソニー・ウォン)に能力を見込まれマフィアへの潜入を命じられたのだった。
ラウは香港警察に潜り込み、10年で内部調査課の課長に昇進、ベストセラー作家メリー(サミー・チェン)との結婚も内定していた。
一方、ヤンはサム率いるマフィアに潜入し、今では麻薬取引を任されるまでになっていた。
しかしヤンは長年に渡る内通捜査で自分を見失い、精神科医リー(ケリー・チャン)のもとに通院。
いつしかヤンはリーを愛し始めていた。
ある夜、ヤンから大きな麻薬取引を行うとの情報を得たウォン警視は、水面下で調査を始めるが、同時に警察の動きがラウからサムに伝わり、検挙も取引も失敗に終わる。
双方にスパイがいることが明らかになった。
ラウとヤンは、それぞれ裏切り者を探すよう命じられる。
やがて争いの中で、サムの手下にウォン警視が殺される。
サムの残忍さに嫌気がさしたラウは、サムを射殺。
そしてヤンは、ラウがマフィアのスパイであることに気づくが、やはりサムの手下にヤンも殺される。
残されたラウは、ヤンの分まで警官として生きていくことを決意するのだった。
寸評
組織への潜入物はよく映画化される題材だが、この作品の特異なところははマフィアと警察にそれぞれスパイを送り込んでいることで、それも10年という長い年月をかけたスパイであることだ。
その二人をトニー・レオンとアンディ・ラウが演じていて、二人が対照的な人物を渾身の演技で熱演しているのがこの映画の魅力となっている。
ヤンの上司であるウォン警視役のアンソニー・ウォンもなかなかいい。
潜入者は一体誰なのかを伏せておいて、そのなぞ解きをメインに据える手もあったと思うが、この映画ではそれをせずに当初から潜入者を明らかにしている。
あくまでもお互いの潜入者を介在させたマフィアと警察の攻防に重点を置き、その中で二人の人物像を浮かび上がらせていく演出の巧みさは、本作を香港映画界が生み出した超一級品の香港ノワール作品に仕上げている。
まずはオープニングがいい。
究極の地獄を示す仏教用語(無間道)が語られ、この物語の全体像が暗示される。
続いて、仏の前でマフィアのボス・サムが、これから警察学校に潜入しようというラウたちに語りかける「自分の道は自分で決めろ!」というこの言葉があとあとの展開を左右する重要なキーワードになる。
その後は、潜入捜査官ヤンと警察に潜入したラウの姿が並行して描かれるのだが、その緊張感がたまらない。
前半の麻薬取引の場面は手に汗握るシーンとなっていて、パソコン、携帯電話、無線機などのアイテムを効果的に使用しながら一気に映画世界に観客を引きずり込む。
はでなドンパチがあるわけではなく、雰囲気でもってスリル感を盛り上げていくのがいい。
そして映画はサスペンス劇だけではなく、好対照な二人の人物像をじわじわと描いていく。
ヤンはマフィアに潜入した警察官だが、どこかワイルドな風貌で10年間の潜入生活に疲れ始めている。
ラウは警察に潜入したマフィアの一員なのだが、エリート然としていてスマートで幸せな新婚生活を控えている。
それに反して、ヤンは恋人とも別れてボロボロの生活の様だ。
元恋人が連れていた子供はたぶんヤンとの間に出来た子供の様なのだが、ヤンはそれも知らない。
もちろんラウの恋人のメリーはラウの素性を知る由もない。
しかしどちらもそんな中にあって、悪の中の正義、正義の中の悪という矛盾に苦しみ始めている設定が重厚感を出していた。
クライマックスも、ありがちな展開とはいえ少しも陳腐な感じを抱かせない。
善と悪が交差する微妙なエリアで、情感漂うドラマを展開している。
勧善懲悪の世界が描かれるのではなく、善人だけど悪人、悪人だけど善人という複雑な設定が、ここで一挙にはじけ散る。
無間地獄とは絶え間ない責め苦を受け続けるjことであり、他人と自分自身を一生あざむいて生きることの苦しみは、どこにも属さない地獄の苦しみなのだ。
ラウはその無限道を歩いていくことになるのだろう。
香港映画、恐るべしだ!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます