「春の雪」 2005年 日本
監督 行定勲
出演 妻夫木聡 竹内結子 高岡蒼佑 スウィニット・パンジャマワット
アヌチット・サパンポン 及川光博 田口トモロヲ 高畑淳子
石丸謙二郎 宮崎美子 柄本佑 石橋蓮司 山本圭 真野響子
榎木孝明 大楠道代 岸田今日子 若尾文子
ストーリー
大正初期。
松枝公爵家のひとり息子・清顕と、公家の家系である綾倉伯爵家の令嬢・聡子。
幼なじみのふたりは、互いを秘かに恋い慕っていた。
しかし、清顕は心の未熟さから聡子への気持ちを素直に認められない。
そんな中、聡子に宮家の王子・洞院宮治典王殿下との縁談が持ち上がる。
清顕への想いを断ち切れない聡子は、幾度となく手紙を認め彼からの求愛を待ち続けるが、清顕は冷たい態度を取るばかり。
困惑する聡子だったが、冷たい態度をとる清顕に失望し、ついに縁談を承諾するのだった。
やがて、聡子と宮家の縁談に勅許が下った。もう、引き返すことは出来ない。
ところが、清顕はその時になって初めて聡子への愛に気づくのであった。
堰を切ったように溢れ出ずる聡子への想い。ふたりは、人目を忍び逢瀬を重ねるようになる。
だが、そのようなことがいつまでも続く訳もなく、聡子の懐妊をきっかけに、ふたりの仲は引き離されてしまう。堕胎した聡子は出家を決意した。
それを知った清顕は、彼女を追って奈良の月修寺門跡のもとを訪れる。
しかし、遂に聡子に会うことは叶わない。
胸を患っていた彼は、次の世で聡子と巡り会うことを信じて、帰京の車中で息絶える。
寸評
この作品は純愛映画と言えなくもないが、どちらかと言えば屈折した愛の表現だ。
清顕は素直に愛の表現ができない。
小学生の男の子が好きな女の子に意地悪をしてしまうような行為が度々描かれる。
本当に好きになると失うことの恐ろしさが先に立って相手に何もできなくなってしまうような所がある。
清顕は聡子からそれを突きつけられる。
この恋は片思いの恋ではなく両想いの恋なのに、清顕は意地を張ってしまう。
その姿はあたかも恋する気持ちで女に支配されまいとしてもがいているようでもある。
聡子の綾倉家は父親が伯爵とはいえ落ち目の家柄で、父親はそのことにコンプレックスを抱いている。
父親は冒頭で「嫁ぐ前に好いた男と結ばせろ。生娘で嫁にやるな。それが復讐だ」と関係を持っている聡子の乳母に言って聞かせる。
この乳母に言った言葉が後々重みをもってくるようになるのだが、上流社会を強調するためか物語は実にゆっくりと進んでいく。
2時間半はあまりにも長い。この内容であればもう少しコンパクトにまとめられたはずだ。
百人一首が最初と最後に描かれる。
最初は子供の頃の清顕と聡子が百人一首遊びに興じているシーンで、ふたりが幼い頃から仲の良い幼馴染であることが表されている。
会話は聞こえずその姿を写し撮ることでそのことを表現している。
そして最後に百人一首の77番札である崇徳院の歌が披露される。
「瀬を早み 岩にせかるる滝川の われても末に 逢わむとぞ思ふ」というもので、歌の意味はと言えば、川瀬の流れが早いので、岩にせきとめられた滝川が二つに分かれてしまっても、のちには再び一つになるように、たとえ今あなたと別れたとしても将来は再び会いたいと思っています、ということになる。
恋の歌として有名なこの札は7枚ある1枚札のひとつで(上の句が「せ」で始まる歌は一首しかない)、その事もまた何か思わせぶりなことでもある。
この歌のエピソードがなかったら全くと言っていいぐらい平凡な作品になっていたのではないかと思う。
妻夫木聡の清顕と竹内結子の聡子が、乳母の蓼科の手引きで逢瀬を重ねるのだが、二人の雰囲気がそうなのか、演出が意図したものなのか、深みにはまっていく男と女という感じを受けなかった。
それが尾を引いていたのか、最後に見せる清顕の一途な愛も僕にはもう一つ響かなかった。
ちょっと綺麗すぎる結末で少し物足りなさを感じてしまった。
原作者である三島由紀夫の世界を描けばこうなるのかなあ…。
一つだけ文句を言えば、この時代にマーラーのSPを持っていた日本人がいたか疑問でしたね。原作ではどうなっていたのでしょうか。