「真剣勝負」 1971年 日本
監督 内田吐夢
出演 中村錦之助 三国連太郎 沖山秀子
田中浩 岩本弘司 当銀長太郎
木村博人 伊藤信明 上西弘次
ストーリー
伊勢、伊賀、近江三国の国境が接するところの鈴鹿山脈の奥、雲林院村の一面芒々たる大枯野の中に野鍛治、宍戸梅軒の一軒家がぽつんと建っている。
あたりが夕闇につつまれた頃、宮本武蔵は梅軒の一軒家を訪れた。
その夜、梅軒は、八重垣流鎖鎌の妙技を見に来た武蔵と酒をくみかわしながらの昔話の中で、武蔵が関ケ原の合戦の際、宇喜多勢に加わり、タケゾウと名乗っていたことを知ると、女房お槙を通じて八人衆を呼び寄せた。
武蔵が、お槙の兄辻風典馬の仇であることがわかったのだ。
夜もふけて、寝こんだ武蔵の耳に、今まで停止していた空気が、急に変質していくのが聞こえた。
裏口では、梅軒配下の八人衆が梅軒の合図を待ち、武蔵が蓑笠の蔭から姿を現わすや、それぞれ陣形を取り身構え、しばしの静寂が流れた。
武蔵のとった勢力を分散する戦術は功を奏し、梅軒配下の強者は次々と倒れて、残るは梅軒夫婦。
しかし前後左右から飛来する分銅によって窮地に追い込まれた武蔵は、お槙が背負っていた子供を奪い見通しの利く地点まで一気に駈けた。
子供を人質に取られた梅軒夫婦は進退に窮し、三人は対峙したまま時は過ぎた。
疲れと空腹が四人を襲い、太郎治は乳を求めて泣きだした。
子供に乳を与えようとするお槙と、子供の命と引きかえに武蔵の命を取る覚悟を決めた梅軒の間に争いが起き、怒り狂った梅軒はお槙を傍らの切り株に縛りつけ武蔵に肉薄した・・・。
寸評
内田吐夢の「宮本武蔵」五部作の番外編とも位置づけられている作品である。
1961年のシリーズ第1作「宮本武蔵」から1965年のシリーズ第5作「宮本武蔵 巌流島の決斗」まで毎年1作づつ撮られてきたが、本作は同じ内田吐夢監督ながら東映から東宝に代わっている。
内田監督が途中で倒れながらも再起して撮りあげた遺作だが、6年を経てなぜに宮本武蔵を撮ったのだろう。
冒頭でいままでの決闘をダイジェストで見せているから、番外編かもしれないがシリーズ6作目であることは間違いない。
この度の相手である宍戸梅軒の妻お槙が第一作で登場した辻風典馬の妹であることも連続性を感じさせる。
そうであるならば沢庵和尚を演じ続けていた三国連太郎が宍戸梅軒でよかったのかどうか・・・。
もっともこの夫婦の濃いキャラクターは三国と沖山秀子以外にキャスティング出来なかったのかもしれない。
今回の特徴はストップモーションを多用し、又それに心の動きを示すつぶやきをかぶせていることである。
無の境地ではなく、心の中で作戦を思いめぐらせている感じを出している。
武蔵は一条下り松で勝負に勝つために幼い子を斬っているが、ここでも梅軒夫婦による鎖鎌の攻撃から逃れるために子供を人質に取っている。
それが勝つためには手段を選ばない武蔵の兵法なのだと言っているようだ。
僕はこの作品を公開時に映画館で見ているのだが、その時はラストシーンでどよめきが起きた。
その頃の映画館はスクリーンカーテンが開いて映画が始まり、エンドマークが出るころにスクリーンカーテンが閉まってくると言うものだった。
したがって「終」の文字が波打ったカーテンに映し出されるのが常のことだった。
この作品の時は武蔵が構えたところで締まりだし、観客から「え~」という声があちこちから上がり、どよめきとなって館内に拡がっていったことを記憶している。
ラストシーンに疑問が生じるのは理解できるし、また議論がなされるべきシーンとなっているし、この映画最大の話題シーンであることは間違いない。
脚本の伊藤大輔にとって、また内田吐夢にとって武蔵と梅軒の決闘の結果などはどうでも良かったのだろう。
武蔵の剣は殺人剣だが同時に活人剣でもあるのだ。
実はこれには伏線があって、武蔵を兄の仇と狙うお槙が死んだ兄よりも生きている我が子が大事だから、武蔵への仇討を断念すると叫ぶシーンがそれである。
沖山秀子のお槙は野性的な女であるが、同時に母性豊かな女なのだ。
子供のために仇討ちを諦め、生きようとするお槙は病魔に苦しみながらも生きようとする内田吐夢の分身なのかもしれない。
いや宮本武蔵そのものが内田吐夢の分身なのだろう。
「飢餓海峡」という大傑作がある内田吐夢だが、僕は内田監督作品としてはやはり宮本武蔵シリーズを思い浮かべてしまうのだ。
僕にとっては内田吐夢の見納めであり、中村錦之助の見納めであった。
中村錦之助との再会時には萬屋錦之助と名前が代わっていた。
監督 内田吐夢
出演 中村錦之助 三国連太郎 沖山秀子
田中浩 岩本弘司 当銀長太郎
木村博人 伊藤信明 上西弘次
ストーリー
伊勢、伊賀、近江三国の国境が接するところの鈴鹿山脈の奥、雲林院村の一面芒々たる大枯野の中に野鍛治、宍戸梅軒の一軒家がぽつんと建っている。
あたりが夕闇につつまれた頃、宮本武蔵は梅軒の一軒家を訪れた。
その夜、梅軒は、八重垣流鎖鎌の妙技を見に来た武蔵と酒をくみかわしながらの昔話の中で、武蔵が関ケ原の合戦の際、宇喜多勢に加わり、タケゾウと名乗っていたことを知ると、女房お槙を通じて八人衆を呼び寄せた。
武蔵が、お槙の兄辻風典馬の仇であることがわかったのだ。
夜もふけて、寝こんだ武蔵の耳に、今まで停止していた空気が、急に変質していくのが聞こえた。
裏口では、梅軒配下の八人衆が梅軒の合図を待ち、武蔵が蓑笠の蔭から姿を現わすや、それぞれ陣形を取り身構え、しばしの静寂が流れた。
武蔵のとった勢力を分散する戦術は功を奏し、梅軒配下の強者は次々と倒れて、残るは梅軒夫婦。
しかし前後左右から飛来する分銅によって窮地に追い込まれた武蔵は、お槙が背負っていた子供を奪い見通しの利く地点まで一気に駈けた。
子供を人質に取られた梅軒夫婦は進退に窮し、三人は対峙したまま時は過ぎた。
疲れと空腹が四人を襲い、太郎治は乳を求めて泣きだした。
子供に乳を与えようとするお槙と、子供の命と引きかえに武蔵の命を取る覚悟を決めた梅軒の間に争いが起き、怒り狂った梅軒はお槙を傍らの切り株に縛りつけ武蔵に肉薄した・・・。
寸評
内田吐夢の「宮本武蔵」五部作の番外編とも位置づけられている作品である。
1961年のシリーズ第1作「宮本武蔵」から1965年のシリーズ第5作「宮本武蔵 巌流島の決斗」まで毎年1作づつ撮られてきたが、本作は同じ内田吐夢監督ながら東映から東宝に代わっている。
内田監督が途中で倒れながらも再起して撮りあげた遺作だが、6年を経てなぜに宮本武蔵を撮ったのだろう。
冒頭でいままでの決闘をダイジェストで見せているから、番外編かもしれないがシリーズ6作目であることは間違いない。
この度の相手である宍戸梅軒の妻お槙が第一作で登場した辻風典馬の妹であることも連続性を感じさせる。
そうであるならば沢庵和尚を演じ続けていた三国連太郎が宍戸梅軒でよかったのかどうか・・・。
もっともこの夫婦の濃いキャラクターは三国と沖山秀子以外にキャスティング出来なかったのかもしれない。
今回の特徴はストップモーションを多用し、又それに心の動きを示すつぶやきをかぶせていることである。
無の境地ではなく、心の中で作戦を思いめぐらせている感じを出している。
武蔵は一条下り松で勝負に勝つために幼い子を斬っているが、ここでも梅軒夫婦による鎖鎌の攻撃から逃れるために子供を人質に取っている。
それが勝つためには手段を選ばない武蔵の兵法なのだと言っているようだ。
僕はこの作品を公開時に映画館で見ているのだが、その時はラストシーンでどよめきが起きた。
その頃の映画館はスクリーンカーテンが開いて映画が始まり、エンドマークが出るころにスクリーンカーテンが閉まってくると言うものだった。
したがって「終」の文字が波打ったカーテンに映し出されるのが常のことだった。
この作品の時は武蔵が構えたところで締まりだし、観客から「え~」という声があちこちから上がり、どよめきとなって館内に拡がっていったことを記憶している。
ラストシーンに疑問が生じるのは理解できるし、また議論がなされるべきシーンとなっているし、この映画最大の話題シーンであることは間違いない。
脚本の伊藤大輔にとって、また内田吐夢にとって武蔵と梅軒の決闘の結果などはどうでも良かったのだろう。
武蔵の剣は殺人剣だが同時に活人剣でもあるのだ。
実はこれには伏線があって、武蔵を兄の仇と狙うお槙が死んだ兄よりも生きている我が子が大事だから、武蔵への仇討を断念すると叫ぶシーンがそれである。
沖山秀子のお槙は野性的な女であるが、同時に母性豊かな女なのだ。
子供のために仇討ちを諦め、生きようとするお槙は病魔に苦しみながらも生きようとする内田吐夢の分身なのかもしれない。
いや宮本武蔵そのものが内田吐夢の分身なのだろう。
「飢餓海峡」という大傑作がある内田吐夢だが、僕は内田監督作品としてはやはり宮本武蔵シリーズを思い浮かべてしまうのだ。
僕にとっては内田吐夢の見納めであり、中村錦之助の見納めであった。
中村錦之助との再会時には萬屋錦之助と名前が代わっていた。
そんなこと当然です。
真剣に勝負したら死ぬ可能性もあるのですから。
卑怯だろうとなんだろうと、勝てば良いのです。
江戸時代初期まで、武士道はありませんでした。
戦国時代が終わって平和な時になってできたのが、武士道なるものなのです。『葉隠』も平和な時代の産物です。
生き残る為なら何でもありの時代で、それが人間の本性なのかもしれません。
勝たないまでも負けない工夫が一番。
何事においても負けなければいいのです。