おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

おはん

2022-04-14 10:05:02 | 映画
「おはん」 1984年 日本


監督 市川崑
出演 吉永小百合 石坂浩二 大原麗子 香川三千
   ミヤコ蝶々 常田富士男 音羽久米子
   早田文次 宮内優子 上原由佳里
   伊藤公子 横山道代 頭師孝雄 浜村純

ストーリー
幸吉(石坂浩二)は、おばはん(ミヤコ蝶々)の家の軒を借りて古物商を営みながら、自分の小遣銭を稼いでいるしがない男である。
七年前、幸吉が町の芸者おかよ(大原麗子)と馴染みになったことから、妻のおはん(吉永小百合)は身を退いて実家へ戻り、幸吉は二人の抱え妓をおいて芸者家をしているおかよのところに住みついていた。
ある夏の日、おはんを見かけた幸吉は、悟(長谷川歩)という自分の子がいることを聞かされ、一度逢いに来てくれと言ってしまう。
秋になり、幸吉の店の前におはんが現れ、幸吉はおばはんに奥の間を借りて、彼女を引き入れる。
二人はふと手が触れ合い、愛しさがつのり身を重ねた。
その晩、おかよは幸吉に、二階が建増しできるようになったことや、姉の娘お仙(香川三千)を養女にすることを嬉しそうに話す。
そんなある日、幸吉の店へゴム毬を買いに来た子供がいた。
おはんの口からそれが悟と知った幸吉は、もう一度おはんと一緒になろうと決心する。
おはんと幸吉は、おばはんの力を借りて借家をみつけた。
おはんはおかよのことを案じたが、幸吉は納得して貰ったと嘘をつく。
おはんは悟に、実の父親が幸吉で、これからは三人一緒に暮らせると打ちあけた。
幸吉はおかよに何も言わず家を出て、おはんと共に荷を運んだ。
叔父富五郎(常田富士男)とおもちゃ市へ出かけた悟とは、午後に借家でおちあうことになっていた。
しかし、悟は土砂降りの雨の中を帰る途中、崩れかかった崖に足をとられ、渦巻く淵へ落下して死んでしまう・・・。


寸評
タイトルバックと共に五木ひろしの歌う演歌「おはん」が流れる。

だましてください さいごまで
信じるわたしを ぶたないで
おんな おんな わたしはおんな
髪のひとすじ くちびるさえも
あなたの女で いたいのよ

どんなにつめたく されたって
抱かれりゃあなたを ゆるしてる
おんな おんな わたしはおんな
声をころして すがれば熱い
死んでもあなたに つくしたい

と切々と女心を歌い上げるのだが、たしかに映画は歌われているような二人の女の性格と立場の違いによる幸吉に寄せる思いを描いていたのだが、同時に二人の女の間を行き来する情けない男の物語でもあった。

冒頭は、幸吉が芸者のおかよと深い仲になり、正妻であるおはんのほうが身を引くことになり、家財道具を処分して別れる場面である。
ここでの男の言い分は随分と身勝手なもので、男にとっては都合のよい理屈である。
関係が出来てしまった愛人を捨てておくわけにはいかないので、自分はそちらにいったん行くが落ち着いたらまた妻の元へ戻ってくると言うものである。
どちらの女も自分は大切に思っているのだという身勝手なものである。
本来なら愛人を作った夫を非難しても良い立場の妻なのだが、妻のおはんは「本来ならあなたの帰りをこの家で待たねばならないのだが、帰って来いと言う実家の意見に従うことを申し訳ない」と詫びる。
亭主も亭主なら、妻も妻ではないかと思ってしまう。
幸吉はおばはんと呼ぶ老婆の家の軒を借りて古物商を営んでいるが商売熱心とも思えず、芸者おかよのヒモ状態である。
幸吉は何とも情けない男で、一昔前なら市川雷蔵あたりがやっても似合ったであろう人物だ。
「夫婦善哉」の柳吉みたいな男だが、幸吉は二人の美女に思いを寄せられている。
おさんは幸吉に求められるままにずるずると肉体関係を復活させてしまう。
これはもう個人的な好みの問題であるが、僕はこのずるずる感をもう少し上手く描けていたらもっと面白かったと思っているのだが、吉永小百合にはそのふしだらな女を要求するのは無理のような気もする。
ダメ男は何があっても最後までダメ男で、お仙のお披露目の時に祝いの品を詰めた包みをもって、人力車のそばを嬉しそうに走っていく幸吉の姿を見ると、「懲りないなあ…この男…」と思ってしまう。
何とも羨ましい男の映画でもあった。


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2 コメント

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細雪も (館長)
2023-06-18 07:28:42
市川崑監督作品では「細雪」も好きです。
この作品伊も吉永小百合さんが出ていますが、セリフが少ないのが良かったように思います。
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「おはん」について (風早真希)
2023-06-17 22:49:36
市川崑監督の作品の中で、私が大好きな3本の内の1本である「おはん」について感想を述べられていますので、コメントしたいと思います。

木陰に忍び咲く隠花のように湿って見えるが、したたかな情念と女の強さを秘めたおはんを描いた、名匠・市川崑監督の名作「おはん」。

市川崑監督は、27年間に渡って、この「おはん」の映画化に執念を燃やし続けてきたそうです。

映画完成後の試写会の舞台で、市川崑監督は、「これは私の最も好きな作品です。"おはん"は人間の原点を示すものだと言えるし、映画化が成功するかどうかは、全て私の責任です」と情熱を込めて語り、この宇野千代原作への思い入れの深さを感じさせました。

宇野千代原作の"おはん"は、第10回野間文芸賞、第9回女流文学賞をそれぞれ受賞した、今や昭和文学を代表する名作ですが、この"おはん"は、原稿用紙150枚、文庫本にして100頁ほどの短編小説であるにもかかわらず、51歳で執筆を開始して完結するまでに、10年の歳月を要したといいます。

「よう訊いてくださりました。私はもと、河原町の加納屋と申す紺屋の倅でございます。」という一節で始まるこの小説は、宇野さんが徳島のとある古道具屋の男から聞いた話がもとになって、徳島の方言を主として、宇野さんの故郷、岩国の訛りと関西訛りが一緒になった作り物の方言で、そして場所も時代も定かではありません。

モノローグの本人の名前(映画では幸吉)さえも出て来ません。
ただ、何となく、大正の初め頃の京都辺りという感じですが、映画化に際しては、時代も場所も細かく特定せず、"ある種の幻想的世界の中での人間の物語"というようになっています。

映画「おはん」の冒頭のシーンは、部屋の暗がりに白く動く女の手から始まりますが、画面は色調を強く抑えて薄暗く、終わり近くになって、やっとノーマルの色調になります。

市川崑監督は、"光と影の魔術師"と言われるだけあって、画面の隅々にまで、色彩と照明、特に反射光の効果を精密に計算して撮っているように思います。

原作の小説は、"批評の神様"と言われた小林秀雄をして「言葉が言葉だけの力で生きていこうとしている」と言わしめているだけに、その独特の文学的香気、雰囲気を映画化する事は、容易な事ではなかったように思われます。

しかし、市川崑監督は「この小説をどう映像にするかが勝負だ」と挑戦的に語ったと言われていますが、原作者の宇野さんは、映画を鑑賞後「映画と小説は全く別ものですね。しかし表現の方法が違うけれども、目指すところは同じだと思うんですよ。"おはん"は、その目指すところがぴったりと合った」と感想を述べられ、いみじくも、原作の小説と映画化作品とのあるべき関係を簡潔に言い表していると思います。

宇野文学の香気をいかにして、そのまま映像に移すかに心を砕いた市川崑監督は、"人形浄瑠璃風の幻想世界を視覚化"して、小説と映画の混然一体化に成功していると思います。

おはんを演じた主演の吉永小百合は、この役について「私とは全く違った世界に生きる女性。幻想の世界に、自分が入って演じているって感じですね。近松の世界ってところもありましたね」と語り、このような現世とも思えぬ映像世界を、市川崑監督は作り出しています。

原作の中で「いつでも髪の毛のねっとりと汗かいていますような、顔の肌理の細かいのが取り柄でござりましたが、そこの板塀にはりつくような恰好して横むいているのでござります」と書かれたおはんを、市川崑監督は、しとやかなのにベターとした感じを肉感的にねばっこく描いていて、惚れ惚れするような演出の冴えを見せます。

また、芸者おかよ(大原麗子)の許へ去った身勝手なおはんの亭主幸吉(石坂浩二好演!)と、七年ぶりに会った夏の夕暮れ時のシーンでは、おはんの汗ばんだうなじに滲んだほのかな色気を、斜め上からのショットで映し出したり、それから間をおいて、秋になってからの再会時に、下を向いて"ほうっと肩で息"をしたり、"ひい、というような声"をあげたり、そして会う毎に次第に恋人のように変わるおはんに縒りを戻す幸吉は、ある意味、おはんに手玉に取られ、おはんの思い通りになったとも言えます。

そして、おかよに隠れて再び世帯を持とうとした矢先に、一人息子の突然の死が訪れ、それをきっかけに、愚図な亭主と決別し、しかも恨めしい事を一言も残さない手紙で、幸吉を永遠に縛ってしまうような女の意地の強さが、おはんにはあります。

映画のラストシーンでの玉島駅での、彼女の微笑と明るい日傘は、不気味でさえあります。
このあたりの市川崑監督の演出の見事さには、唸らされます。

そして、この"おはんとおかよという二人の女の間にはさまれて、身の置きどころもない男、幸吉"を演じた石坂浩二は、"やさ男"の本当の"したたかさ"を"繊細に、なおかつ、自然で深みのある演技"で示し、彼の最高の演技ではないかと思います。

お披露目の人力車の後から走って行く幸吉の粋な角帯姿も一つの生き方なのかもしれません。

また「あては男がいるのや、男が欲しいのや」と言わなければならない勝気な"おかよ"を演じた大原麗子も、おかよという女のさっぱりとした気性の良さをうまく表現していて、見事な演技でした。

それに、何といってもミヤコ蝶々の"おばはん"がなかなか良い味を出していたと思います。

作家、宇野千代が身魂を傾けたこの"おはん"という小説を、執念とも言える情熱で映像化した市川崑監督、本当に素晴らしい映画でした。
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