気づけば、連休も終わりです。
今年のGWは、お天気の爽やかな日和も多かったので、
なかなか気持ち良く過ごせました。
五月の陽気は、一年を通じていちばん好きです。
この時期は、晴れた空の青色と木々の緑が、
淡すぎず、濃すぎず、程よい湿度とやわらかさを内包した色合いで
コントラストを成しているので、目に映る景色が非常に心地良いです。
年によっては梅雨の走りで、厚い雲に覆われる日が続いたりもしますが、
それはそれで、却って、晴れた日の格別さが引き立つというもの。
陽光をうけた街路樹や、瑞々しい花の彩りなどに、
この季節ならではの、楽しみを見出すことができます。
*~*~*~*~*~*~*~*~*
春~初夏にかけて、聴きたくなる曲があります。
逆に言えば、ここで聴いておかないと、
個人的にはこの先の一年、CDを手に取ることがほとんど無い曲。
C・オルフの世俗カンタータ 『 カルミナ・ブラーナ 』 です。
“ カルミナ・ブラーナ ” とは < ボイレンの歌集 > という意味で、
元々は、1847年にベネディクト派ボイレン修道院図書館より編纂・刊行された、
主にラテン語で綴られた250篇あまりの詩からなる、詩歌集を指します。
これらは13世紀頃に、当時、身につけた教養を生かす機会に恵まれなかった
放浪学生や聖職者たちの手で書かれたと推測されており、宗教的な歌がある一方で、
酒 ・女 ・賭博などの反道徳的な内容の詩が、頽廃性とアウトサイダー的な風刺の
きいた表現によって数多く残されていました。
この詩歌集から24篇を選び出し、さらに自作の歌詞を加えてカンタータとして
作曲されたのが、オルフの 『 カルミナ・ブラーナ 』 となります。
世俗カンタータ 『 カルミナ・ブラーナ 』
< 序章 運の女神、全世界の支配者なる ― Fortuna Imperatrix Mundi ― >
1.おお、運の女神よ ※S
2.運の女神の傷手を ※S
< 第1部 初春に ― PRIMO VERE ― >
3.春の愉しい面ざしが ※A
4.万物を太陽は整えおさめる ※A
5.見よ、今や楽しい ※A
~ 芝生の上で ― Uf dem anger ― ~
6.おどり ( 声楽なし )
7.森は花さき繁る ※A
8.小間物屋さん、色紅を下さい ※S
9.円舞曲 ※A
10.たとえこの世界がみな ※A
< 第2部 酒場で ― IN TABERNA ― >
11.胸のうちは、抑えようもない ※S
12.むかしは湖に住まっていた ※A
13.わしは院長さまだぞ ※A
14.酒場に私が居るときにゃ ※A
< 第3部 愛の誘い ― COUR D’AMOURS ― >
15.愛神はどこもかしこも飛び廻る ※A
16.昼間も夜も、何もかもが ※A
17.少女が立っていた ※A
18.私の胸をめぐっては ※A
19.もし若者が乙女と一緒に ※A
20.おいで、おいで、さあ来ておくれ ※A
21.天秤棒に心をかけて ※A
22.今こそ愉悦の季節 ※A
23.とても、いとしい方 ※A
~ ブランツィフロールとへレナ ― Blanziflor et Helena ― ~
24.アヴェ ※A
< 終章 運の女神、全世界の支配者なる ― Fortuna Imperatrix Mundi ― >
25.おお、運の女神よ ※S
冒頭の第1曲がCMや映画のサントラで、よく使われていることからも判るように、
『 カルミナ・ブラーナ 』 は旋律を聴くだけでも、かなり盛り上がれる曲です。
だけど、楽曲をより味わいたいなら、多少なりとも歌詞は知っておいた方がイイ。
何番の曲では、どんな事を言っているのか ・・ という大まかな程度には。
『 カルミナ・ブラーナ 』 の歌詞には、
クラシック音楽のくせに ( と言っては何ですが ) 、
引っくり返りそうな内容のものが、結構たくさんあります。
それこそ、こんな詞を真面目に、朗々と高らかに歌い上げている方々に対し、
プロって凄いのねぇ~ と、ちょっと違う方向で関心してしまうくらいに。。
その中で最も異色なのが、楽曲のほぼ真ん中に位置する、
第12曲 「 むかしは湖に住まっていた 」 。
これ、“ ローストされる白鳥の歌 ” なんですよ。
焼き串に刺され、火に炙られながらグルグルと回されて、
丸焼きにされている白鳥が、嘲笑されつつも、自分のことを歌うんです (*_*)
何だ、コレは。 笑うとこ、なのか?
テノールのソリストがあまりにも滑稽に、表情をつけて歌うものだから、
最初は、唖然、呆然としながら聴いていたんですが、
これって、詩を書いた本人たちの境遇そのものを風刺している訳ですよね、きっと。
あの時代、ラテン語を駆使できるほどの教育を受けられるのは、
ごく一部の人間に限られたことで、誇らしいことだった筈。
にも関わらず、教養を身に付けた彼らを受け入れる為の空きポストは無く、
諸国を放浪し、流れ着いた酒場で、酒と女と賭け事で鬱憤を晴らそうとはしたものの、
結局、残ったのはボロボロになった我が身一つだった ・・ これも、また、運命。
『 カルミナ・ブラーナ 』 は、始まりと終わりの曲が、
全く同じ内容で構成されています。 タイトルは 「 おお、運の女神よ 」 。
ここから先は、個人的な解釈になりますが、
二つの “ O Fortuna ” に挟まれる形で展開する23の曲が物語るのは、
人々が岐路に立たされたときに見る、猶予付きの < ビジョン > と
捉えることも可能なのではないかなぁと思うのです。
書かれている詩の内容の多くは、まぁ、アレなんですが (^^ゞ
よくよく考えていけば、それらの意図するところは、
古今東西、シチュエーションは違えど、
誰の身に振りかかっても不思議ではないような事ばかり。
過ぎた日々にあった事なのかもしれないし、これから起こるのかもしれない出来事。
結果にあたる内容なのではなく、分岐点そのものかもしれない場面。
序章の “ O Fortuna ” で、中世に舞台を借りた心象世界へと誘なわれ、
終章の “ O Fortuna ” では、聴き手自身の決断を迫るかのように覚醒を促す。。
何となく、そんなイメージを抱いたりもしてしまいます。
だから、私がこの曲を聴きたくなるのは、春~初夏にかけてが多いのでしょうか。
次の一歩に向けて、いろいろ考えたり足を踏み出しやすい季節だし、
花粉さえ終了してしまえば ( ←コレは必須 )、
気候も良くて、外を眺めるだけでも気分が晴れやかになれる。
ストレスから最も解放されやすい時期ならではの、聴き方ができるという理由で。
他の季節だと、確かに、現実の真っ只中に置かれている感覚の方が強くて、
こうした形で自由に思考を飛ばすゆとりが、私的にはあまり無い気がします。
でも、生で 『 カルミナ・ブラーナ 』 を聴ける機会があったら、
季節を問わずに、勿論行きますけどね (笑)
ところで、話はかなり飛びますが ― 。
カトリック教会では、5月は < 聖母月 > なのだそうです。
昔、学校の宗教学で説明されたシスターの言葉、
「 聖母月として、マリア様とともに祝福を受けているからこそ、
5月はこんなにも、輝かしい季節になったのです 」
の衝撃度は、今でも忘れられません。
ニワトリが先か、卵が先か ・・ ではないですが、
家族も私もクリスチャンではないので、
こうした思考の順序が、授業で話される “ 当たり前 ” という事実に、
( ふつう、“ 美しい季節だから < 聖母月 > としました ” ですよね? )
ものすごいカルチャー・ショックを受けたのでした ^ ^ ;
聖母マリア様をたたえる5月に、
反道徳的な内容の歌詞が盛り込まれた楽曲を愛聴していると報告したら、
件のシスターは、やはり、お嘆きになるでしょうかねぇ。。
Pardon! ma soeur.
*~*~*~*~*~*~*~*~*
今年のGWは、お天気の爽やかな日和も多かったので、
なかなか気持ち良く過ごせました。
五月の陽気は、一年を通じていちばん好きです。
この時期は、晴れた空の青色と木々の緑が、
淡すぎず、濃すぎず、程よい湿度とやわらかさを内包した色合いで
コントラストを成しているので、目に映る景色が非常に心地良いです。
年によっては梅雨の走りで、厚い雲に覆われる日が続いたりもしますが、
それはそれで、却って、晴れた日の格別さが引き立つというもの。
陽光をうけた街路樹や、瑞々しい花の彩りなどに、
この季節ならではの、楽しみを見出すことができます。
*~*~*~*~*~*~*~*~*
春~初夏にかけて、聴きたくなる曲があります。
逆に言えば、ここで聴いておかないと、
個人的にはこの先の一年、CDを手に取ることがほとんど無い曲。
C・オルフの世俗カンタータ 『 カルミナ・ブラーナ 』 です。
“ カルミナ・ブラーナ ” とは < ボイレンの歌集 > という意味で、
元々は、1847年にベネディクト派ボイレン修道院図書館より編纂・刊行された、
主にラテン語で綴られた250篇あまりの詩からなる、詩歌集を指します。
これらは13世紀頃に、当時、身につけた教養を生かす機会に恵まれなかった
放浪学生や聖職者たちの手で書かれたと推測されており、宗教的な歌がある一方で、
酒 ・女 ・賭博などの反道徳的な内容の詩が、頽廃性とアウトサイダー的な風刺の
きいた表現によって数多く残されていました。
この詩歌集から24篇を選び出し、さらに自作の歌詞を加えてカンタータとして
作曲されたのが、オルフの 『 カルミナ・ブラーナ 』 となります。
世俗カンタータ 『 カルミナ・ブラーナ 』
< 序章 運の女神、全世界の支配者なる ― Fortuna Imperatrix Mundi ― >
1.おお、運の女神よ ※S
2.運の女神の傷手を ※S
< 第1部 初春に ― PRIMO VERE ― >
3.春の愉しい面ざしが ※A
4.万物を太陽は整えおさめる ※A
5.見よ、今や楽しい ※A
~ 芝生の上で ― Uf dem anger ― ~
6.おどり ( 声楽なし )
7.森は花さき繁る ※A
8.小間物屋さん、色紅を下さい ※S
9.円舞曲 ※A
10.たとえこの世界がみな ※A
< 第2部 酒場で ― IN TABERNA ― >
11.胸のうちは、抑えようもない ※S
12.むかしは湖に住まっていた ※A
13.わしは院長さまだぞ ※A
14.酒場に私が居るときにゃ ※A
< 第3部 愛の誘い ― COUR D’AMOURS ― >
15.愛神はどこもかしこも飛び廻る ※A
16.昼間も夜も、何もかもが ※A
17.少女が立っていた ※A
18.私の胸をめぐっては ※A
19.もし若者が乙女と一緒に ※A
20.おいで、おいで、さあ来ておくれ ※A
21.天秤棒に心をかけて ※A
22.今こそ愉悦の季節 ※A
23.とても、いとしい方 ※A
~ ブランツィフロールとへレナ ― Blanziflor et Helena ― ~
24.アヴェ ※A
< 終章 運の女神、全世界の支配者なる ― Fortuna Imperatrix Mundi ― >
25.おお、運の女神よ ※S
冒頭の第1曲がCMや映画のサントラで、よく使われていることからも判るように、
『 カルミナ・ブラーナ 』 は旋律を聴くだけでも、かなり盛り上がれる曲です。
だけど、楽曲をより味わいたいなら、多少なりとも歌詞は知っておいた方がイイ。
何番の曲では、どんな事を言っているのか ・・ という大まかな程度には。
『 カルミナ・ブラーナ 』 の歌詞には、
クラシック音楽のくせに ( と言っては何ですが ) 、
引っくり返りそうな内容のものが、結構たくさんあります。
それこそ、こんな詞を真面目に、朗々と高らかに歌い上げている方々に対し、
プロって凄いのねぇ~ と、ちょっと違う方向で関心してしまうくらいに。。
その中で最も異色なのが、楽曲のほぼ真ん中に位置する、
第12曲 「 むかしは湖に住まっていた 」 。
これ、“ ローストされる白鳥の歌 ” なんですよ。
焼き串に刺され、火に炙られながらグルグルと回されて、
丸焼きにされている白鳥が、嘲笑されつつも、自分のことを歌うんです (*_*)
何だ、コレは。 笑うとこ、なのか?
テノールのソリストがあまりにも滑稽に、表情をつけて歌うものだから、
最初は、唖然、呆然としながら聴いていたんですが、
これって、詩を書いた本人たちの境遇そのものを風刺している訳ですよね、きっと。
あの時代、ラテン語を駆使できるほどの教育を受けられるのは、
ごく一部の人間に限られたことで、誇らしいことだった筈。
にも関わらず、教養を身に付けた彼らを受け入れる為の空きポストは無く、
諸国を放浪し、流れ着いた酒場で、酒と女と賭け事で鬱憤を晴らそうとはしたものの、
結局、残ったのはボロボロになった我が身一つだった ・・ これも、また、運命。
『 カルミナ・ブラーナ 』 は、始まりと終わりの曲が、
全く同じ内容で構成されています。 タイトルは 「 おお、運の女神よ 」 。
ここから先は、個人的な解釈になりますが、
二つの “ O Fortuna ” に挟まれる形で展開する23の曲が物語るのは、
人々が岐路に立たされたときに見る、猶予付きの < ビジョン > と
捉えることも可能なのではないかなぁと思うのです。
書かれている詩の内容の多くは、まぁ、アレなんですが (^^ゞ
よくよく考えていけば、それらの意図するところは、
古今東西、シチュエーションは違えど、
誰の身に振りかかっても不思議ではないような事ばかり。
過ぎた日々にあった事なのかもしれないし、これから起こるのかもしれない出来事。
結果にあたる内容なのではなく、分岐点そのものかもしれない場面。
序章の “ O Fortuna ” で、中世に舞台を借りた心象世界へと誘なわれ、
終章の “ O Fortuna ” では、聴き手自身の決断を迫るかのように覚醒を促す。。
何となく、そんなイメージを抱いたりもしてしまいます。
だから、私がこの曲を聴きたくなるのは、春~初夏にかけてが多いのでしょうか。
次の一歩に向けて、いろいろ考えたり足を踏み出しやすい季節だし、
花粉さえ終了してしまえば ( ←コレは必須 )、
気候も良くて、外を眺めるだけでも気分が晴れやかになれる。
ストレスから最も解放されやすい時期ならではの、聴き方ができるという理由で。
他の季節だと、確かに、現実の真っ只中に置かれている感覚の方が強くて、
こうした形で自由に思考を飛ばすゆとりが、私的にはあまり無い気がします。
でも、生で 『 カルミナ・ブラーナ 』 を聴ける機会があったら、
季節を問わずに、勿論行きますけどね (笑)
ところで、話はかなり飛びますが ― 。
カトリック教会では、5月は < 聖母月 > なのだそうです。
昔、学校の宗教学で説明されたシスターの言葉、
「 聖母月として、マリア様とともに祝福を受けているからこそ、
5月はこんなにも、輝かしい季節になったのです 」
の衝撃度は、今でも忘れられません。
ニワトリが先か、卵が先か ・・ ではないですが、
家族も私もクリスチャンではないので、
こうした思考の順序が、授業で話される “ 当たり前 ” という事実に、
ものすごいカルチャー・ショックを受けたのでした ^ ^ ;
聖母マリア様をたたえる5月に、
反道徳的な内容の歌詞が盛り込まれた楽曲を愛聴していると報告したら、
件のシスターは、やはり、お嘆きになるでしょうかねぇ。。
Pardon! ma soeur.
*~*~*~*~*~*~*~*~*
◇独唱 / G・ヤノヴィッツ ( ソプラノ ) G・シュトルツェ ( テノール ) D・フィッシャー=ディースカウ ( バリトン ) 演奏 / シェーネベルク少年合唱団 ※合唱指揮:G・ヘルヴィヒ ベルリン・ドイツ・オペラ 管弦楽団・合唱団 ※合唱指揮:W・ハーゲン=グロル 指揮 / E・ヨッフム 録音 / 1967.10 | |
抑制と解放の見事なバランスにより、 生命力あふれる表現豊かな演奏として、評価が高い名盤。 “ authorized Carl Orff ” と銘打たれた、作曲者お墨付きの演奏です。 §記事内の各曲タイトルの日本語訳、および原詩分類記号 「 S:まじめな歌 」「 A:恋・酒・戯れの歌 」 は、 同CDの解説 ( 訳者:呉茂一 ) より引用しました。 |