末つ森でひとやすみ

映画や音楽、読書メモを中心とした備忘録です。のんびり、マイペースに書いていこうと思います。

PJ版を振り返る:アラゴルン 編

2005-08-08 21:01:18 | PJ版:指輪物語

Aragorn
“ The same blood flows in my veins.
  Same weakness. ”
                  ( 映画 LOTR:FotR より )


今回の 「 登場人物別 :PJ版を振り返る 」 は、
アラゴルンについてです。

*~*~*~*~*~*~*~*~*

いつも楽しませていただいている某サイト様で、
以前、RotK:SEE版チャットが開催された折に、
“ ヘタレ王 ” やら“ 鼻歌レンジャー ” など、
数多くの名誉ある称号 (笑) が贈られてしまった、
PJ版のアラゴルンですが、
FotRの頃は、結構良かったと思います。

PJ版LOTRでは、
正統なゴンドール王の世継ぎが手にすることで、
初めてその真価が発揮されるもの、
すなわち、正統な王の後継者であることの証しとなる、
アセラスやパランティアのエピソードが、
悉く、アラゴルンの見せ場からカットされています。
アンドゥリルさえ、物語がRotKに入ってから、
ようやく鍛え直されるといった展開でした。

そもそも、原作と映画のアラゴルンでは
彼が < 指輪の仲間 > に加わるその経緯からして、違っています。

原作のアラゴルンは、自身の血筋に揺らぎのない誇りを持ち、
古のゴンドール、アルノール両王国の復興と、
アルウェン・ウンドーミエルを妃に娶るという、
己の確固たる使命達成に向けて、
密接な繋がりのあった、指輪棄却の旅に同行しました。
つまり、原作の彼の目的地は、あくまでもゴンドールだったわけです。

ところが、映画の場合だと、ちょっと事情が異なります。
PJ版のアラゴルンは、自分の血筋について、
受け継ぐべき誇りに満ちた、素晴らしいものだとは考えていないようです。
むしろ、第二紀の終わりに起きた、先祖イシルドゥアと指輪との関わりから、
罪を背負った王族の末裔という意識の方が強そうで、
彼自身は、野伏という “ 黒子 ” に徹したまま、
中つ国の窮地に尽力しようとした印象を受けました。
映画のアラゴルンにとっては、ゴンドールは自ら訪れるべき目的の場所ではなく、
「 エルロンドの会議 」 において、彼がこの旅への同行を申し出たのも、
指輪所持者フロドへの純粋な敬意からだった、と言えるのではないでしょうか。

そういう視点で振り返ると、FotRの脚本は良くできていましたね。

 ◇ モリアで、灰色のガンダルフを失い、
   仲間たちを統率することになったアラゴルンに対して、  
    “ You have your own choice to make, Aragorn…to rise above
     the height of all your fathers since the days of Elendil,
     or to fall into darkness…with all that is left of your kin. ”

   という言葉を、ガラドリエルは与えます。

 ◇ 指輪の魔力で正気を失ったボロミアから逃れてきたとき、フロドは、  
    “ Can you protect me from yourself?!
     Would you destroy it? ”

   と指輪を差し出して、アラゴルンに問いかけます。
   アラゴルンは跪き、再びフロドの手に指輪を握らせてやりながら、
    “ I would have gone with you to the end,
     into the very fires of Mordor. ”

   と、自分にも指輪に屈する可能性があることを、偽りなく認めた上で、
   誓いを果たすことができなかった無念さを、フロドに詫びています。

この後、オークの群れが近くにいると気づいたアラゴルンは、
自分自身が、フロドに対してまだできること、
剣のワザによって指輪所持者を援護し、フロドを無事に行かせるために、
一人、オークの群れに立ち向かっていくのですが、
このときの、祈りを捧げるように剣を構える姿がイイですね。
彼の心情がよく表されているようで、
三部作全体を通し、アラゴルン関係では一番好きなシーンです。

そして、第一部終盤でのボロミアとの別れの場面 ― 。
正気を取り戻し、メリーとピピンのために戦って討たれたボロミアに向かい、


  I do not know what strength is in my blood,
  but I swear to you I will not let the white city fall,
  nor our people fail!


という言葉を、アラゴルン自らが告げるわけですが
ここに至ってようやく、映画のアラゴルンも、
自身の行き先として、ゴンドールを視野に入れることになるのです。

この成り行きからすれば、PJ版LOTRに、
正統な血筋の証しとなるアセラスやパランティアの、
原作通りのエピソードがなかったのは、当然といえば、当然のことといえます。

映画のアラゴルンは、
その血筋によってゴンドール入りを果たそうと望んだのではなく、
ボロミアという仲間の意志を引き継ぐことで、
ゴンドールという国に、正面から向かい合う決意を固めたように見えました。

つまり、PJは、アラゴルンという人物に対して、
“ ゴンドールの偉大な王 ” であることよりも、
“ 旅の仲間の一人 ” であること に重きをおいて、この映画を設定したのでしょう。
( たとえば、指輪棄却後のフロドとアラゴルンの再会場面についても、
  原作ではコルマレン野の栄誉礼で、ゴンドールの王様として再会するのに、
  映画は療病院の一室で、旅の仲間の一員として再会 する演出となっています。
  これも、上記設定による改変なのかなぁという気がしているのですけれど・・ )

だから、血筋の正統性に関わることは、映画では極力前面には出てきません。
この旅を通して語られる、アラゴルンという人の功績を、
彼の弱さをも含めた、一個人としての彼 にだけ焦点をあてて、
アラゴルンが王として帰還する軌跡を、脚本陣としては目指したのでしょうね。
( これは、 「 ボロミア編 」 でも書いたように、
  PJが原作から脚本を起こすときの、エピソードの取捨選択の基準が、
  “ < 9人の仲間 + ゴラム + アルウェン > にとっての指輪の旅 “
  に絞られたのではないかなぁ、という私の勝手な推測と繋がっております )

そう考えると、TTTであれほどまでに、
アラゴルンその人の、 “ 英雄的活躍 ” を見せる必要があった理由も、
RotK劇場版で割り当てられた 「 死者の道 」 の時間配分の短さも
( ↑ 骸骨雪崩れのSEE版に較べたら、意外なほどあっさりです 。。苦笑 ) 、
同じく、RotK劇場版に 「 療病院でのアセラス 」 を入れられなかったのも、
なんとなく、説明がつくような気がします。

ついでに、RotK:SEE版に挿入された、
大ブーイングのパランティア対決 についてですが、
あそこで、アルウェンの映像を見せられたことはさておき、
あの時、アラゴルンがサウロンに勝てなかったという経緯は、
PJ版としては正しかった のでした。
大事なのは、一度は絶望した筈のアラゴルンが、
旅の仲間たちとの絆、フロドへの信頼、
そして、何よりも、己自身の内なる声を信じて、
彼の進むべき道を決するという展開であり、
この映画の場合には、血筋の正しさによって試練に打ち克つことが、
重要なモチーフとなってはダメだったからです。

・・とは言え、PJ版アラゴルンの改変は、
正直、方手落ち でしたね。

原作のアラゴルンが、古の王の世継であると、
ゴンドールの人々に認められたのは、
ヘルム峡谷や、ペレンノール野での武勲よりも、
療病院での 「 癒しの手 」 こそが、その最たるものでした。
戦って、敵の命を奪うことで ( 時には、味方の命を失いながらも ) 、
自国の民を守る統治者であれば、他にも大勢います。
しかし、傷ついた命の再生をうながすことができる、
奇跡のワザを手にした王様は、由緒あるヌーメノールの血筋に連なる、
ゴンドールおよびアルノール両王国の、正統な世継にあたる人物だけなのです。

素晴らしき剣の使い手というだけではなく、
魂の救いをもたらす 「 癒しの手 」 を持つ者こそ、本当の王である ― 。

この二つの相反する要素を兼ね備えている点が、
ゴンドールという大国の、王様の偉大さを象徴しているように思っていたため、
映画の療病院で、それが描かれなかったというのは、
とても残念でなりませんでした。

己自身と、人間という種族の持つ弱さを認めているという点や、
血筋だけで、すべての運命を決めるわけではないといった、
PJ版が意図した改変も、目の付け所としては面白かったように思います。
しかし、『 指輪物語 』 を原作とした映画において、
< 高貴な血筋のなせるワザ > をすっかり省くという条件のもとに、
ストーリーを構築しなおそうと試みたのは、
かなり、無理があったのではないでしょうか。

せっかく、あれだけ小汚い野伏スタイルが様になる ( ← 誉めてます♪ ) 、
ヴィゴのような役者をキャスティングできたというのに、
物語の後半になるほど、上記改変のしわ寄せが出てきてしまったのが、
なんとも勿体無かったですね。

それから、野伏な馳夫とホビットたちの交流 が、
原作に較べて格段に少ない のも、不満かな ( 笑 )

*~*~*~*~*~*~*~*~*

・・と、ここまで、
懲りもせず、またダラダラと、
PJ版アラゴルンについて書いてきましたが、
一つだけ、触れなかったことがあります。

もちろん、それは、
アルウェン絡みのシークエンスについてです。

いや、もう、これは必要ないですよね~。
女に押し切られて、たじたじになっている王様なんて、
脳内補完に挑戦する気にすらなれません もの。。
( 映画のアルウェン&アラゴルンの二人がお好きな方、すみません ; )

ところが、この難題に果敢にもチャレンジなさって、
アルウェン抜きの、素晴らしい脳内編集案をまとめてくださった方がいます。
詳しい内容は、こちらのブログ 「 foggyな読書 」 でご覧になれます。
( 特に、「 RotKをより良い作品にするための一提言(3) 」 がお見事! )

foggykaoruさま、してきで楽しい翻案をありがとうございました m( _ _ )m

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