末つ森でひとやすみ

映画や音楽、読書メモを中心とした備忘録です。のんびり、マイペースに書いていこうと思います。

善き人のためのソナタ

2007-04-07 22:57:18 | 映画のはなし
映画館へ足を運ぶ時間を、ようやく確保できました。
評判の高さは、いろいろと耳にしていましたが、
本当によく出来た作品でした。

何と言っても、ラストシーンが素晴らしい。
主人公が、最後に口にした台詞、
あの言葉でドラマが締め括られたことに、
心を揺さぶられなかった人は、恐らく、いないでしょう。。

感想は ネタバレあり です。
もしも、これから鑑賞予定の方がいらっしゃいましたら、
これより先は、映画をご覧になった後で、
お読みいただければと思います。


Das Leben der Anderen
* 第79回アカデミー賞外国語映画賞受賞 *

1984年、東ベルリン。
国家保安省 ( 秘密警察 シュタージ ) のヴィースラー大尉が、
劇作家ドライマンの反体制派としての証拠を掴むよう監視を命じられたことで、
物語は動きはじめます ― 。

ベルリンの壁が1989年に崩壊する以前の東ドイツでは、
実質、ドイツ社会主義統一党による一党独裁が敷かれていました。
政府はこの支配体制を堅持する為に、国民の “ 個人 ” としての概念を抹消、
人々を < 党に忠誠を尽くす者 > か、< 他方 > か、の二者に区分して、
( この映画の原題は、英語では “ The Lives of Others ” となるそう... )
正規シュタージ局員9万人と、家族や友人を陰で密告した非公式協力者17万人により、
社会全体を徹底した監視下に置いていた、と言われています。

映画の序盤、国家逃亡幇助の罪で捕えられた囚人を尋問するシーンや、
ドライマンの自宅に盗聴機材等を仕掛けていく場面でのヴィースラーを見ていると、
彼が如何に、忠実なシュタージの局員であったかが判ります。
感情の読取れない表情、プログラムされた通りに動いているかのような無駄のない動作。
ここまで “ 没個性 ” に徹して、職務を遂行していたヴィースラーが、
ドライマンの生活の監視を通し、思いもかけず変節していく過程は、実に興味深い。

ヴィースラーの感情が発露した姿を、観客が初めて目にするのは、
ドライマンが、自殺してしまった友人イェルスカの死を悼み、
( 彼は当局に睨まれ、何年にもわたり、仕事を干された状態にあった )
彼から贈られたピアノ曲、『 善き人のためのソナタ 』 を奏でる場面でのことでした。
静かに沁みわたる旋律を耳にし、一筋の涙を流したことが引き金となって、
ヴィースラーは、ドライマンを庇う側にまわるわけですが、
ここに至るまでの周到な布石から、彼の変心が簡単なものではないと推測できます。

 ■ドライマンを監視することになった真意が、彼の恋人である女優クリスタに
   目をつけた政府高官ヘムプフ大臣の、私的な理由であったこと。
  確かに、ヴィースラー自身が初めてドライマンを目にした時にも何かを感じ取ったようだけれど、
  それはドライマンが東独国内のみならず、西側でも評価されるほどの才能を有した知識人であること、
  それ故の人脈や行動力を鑑みて、危険分子となり得る可能性( 幇助罪を含 )を考えたからであり、
  そもそも、最初にヴィースラーがドライマンの監視を提言した際には、文化部部長グルビッツは、
  「 彼はクリーンだから、やるだけ無駄だ 」 と反対していた。


 ■ヴィースラーが最初に提出した報告書の中で、偶々、クリスタとヘムプフ大臣の関係
   に連なってしまう部分があり、文化部部長グルビッツによりその記述は削除され、
   以後は注意するよう勧告を受けたこと。
  グルビッツとヴィースラーは学生時代の同期だったが、二人は現在、上司・部下の関係にある。
  “ 党の盾と剣 ” になる為に入党し、それの遂行を第一と考える生真面目なヴィースラーに対して、
  グルビッツは「 党とは即ち党員であり、行使する影響力を大きくすることこそが、まずは何よりだ 」
  と答える。 学生時代に成績が良かったのはヴィースラーだが、出世をしたのはグルビッツである。


 ■ヘムプフ大臣から不本意な関係を強要され、傷ついて帰宅したクリスタを、
   ドライマンが何も言わずにいたわったこと。
  ヘムプフの車で送られ、次回の約束を取りつけさせられているクリスタの姿を、ドライマンに目撃
  させたのはヴィースラーの策略である。 そこに、悪意がどれほどあったかまでは判らないけれど、
  ドライマンが万一逆上でもして、政府高官を罵るような言葉を吐いてくれれば、反体制派の有力な
  証拠として報告することも可能だという、諜報員としての計算があったのは確かだと思う。
  しかし、ヴィースラーの予想に反して、ドライマンはクリスタを問い質すような事はせずに、
  背を向けて蹲るように伏せってしまった彼女を、黙って抱きしめた。
  この様子を、屋根裏の盗聴機材の前で窺っていたヴィースラーが、何かを思うようにして、まるで
  ドライマンとクリスタの二人に寄添うように、椅子の上で横になっていた姿は印象的。


 ■ドライマンの部屋に忍びこんだヴィースラーが、ブレヒトの詩集を持ち出したこと。
  ブレヒトはマルクス主義を学び( 注:負の遺産であるスターリン後のソ連型社会主義ではない )、
  労働者( =被支配者 )の自由への解放を主題に多くの戯曲を書いた、ドイツの劇作家・詩人。
  ナチスの台頭によりドイツを脱出し、一時期はアメリカで暮らしたものの、戦後の赤狩りの風潮を
  受けて再びドイツ( 東独 )に戻り、東ベルリンにて没した。
  自殺したイェルスカが、生前、ドライマンの家に招かれた時に読んでいたのがブレヒトの詩集だった
  ことも、とても意味深い。


 ■イェルスカの訃報を聞き、ピアノを弾きはじめたドライマンが、
   かつて、レーニンが語ったという言葉を口にする。
  「 ベートーヴェンのピアノ・ソナタを聴いたら、革命が達成できない。
    この曲を本気で聴いた者は、悪人になることができないから 」
  ( すみません、肝心なところなのに字幕はウロ覚えです; )

ヴィースラーは、確かに、優秀なシュタージではあったけれど、
いわゆる、権力志向の強いエリートではなく、
彼はその実直さ故に、忠実に任務をこなしてきたのだと言えます。
そのヴィースラーが大きな変化を遂げた背景には、物語の舞台が
1980年代半ばに設定されていることも、鍵となっているのでしょう。
当時は、戦後の共産圏での政策が行き詰まり、国力も低下。
マルクスがもともと唱えた、共産主義の “ 理想 ” とは正反対に位置する、
支配政党への権力の一局集中と、人民の基本的人権を否定して束縛していく実状に、
各国とも、国民の不満が爆発寸前にまで鬱積していた時期です。
東欧の民主化とソ連崩壊が起こったのは、この、数年後のことでした。

友人イェルスカが、唯一残されていた “ 自己表現 ”とも言える自殺を図ったことで、
苦悩したドライマンは、東独の暗い現状を訴える為に、仲間たちを介して、
西側のマスメディアの人間にコンタクトを取り、体制批判の原稿を執筆。
匿名で掲載された彼の告発記事は、マスコミで大きく報道されることになります。

もちろん、東独政府当局がこの事件を見過ごすわけはありません。
国家保安省文化部部長グルビッツは、ドライマンに嫌疑の目を向け、
一方で、監視担当のヴィースラーは、彼を護るために虚偽の報告書を作成し続ける。。

こうした、緊迫の攻防戦のなかで犠牲になったのが、
ドライマンの恋人クリスタであったことは、何とも痛ましい展開でした。

先だってのヘムプフ大臣の要求を退けたクリスタは、報復として逮捕され、
取引きとして、ドライマンが反逆分子であることを密告するよう強いられました。
この時、彼女の尋問にあたったのはヴィースラーですが、
ここには、自分の面子を潰した ( 疑いのある ) 部下に対しての、
グルビッツの厭らしい、意趣返しの思惑も感じられます。

結局、クリスタはドライマンを破滅させる “ 決定的な ” 証拠、
問題の原稿を打った、タイプライターの隠し場所を白状してしまい、
良心の呵責に耐えかねた彼女もまた、自らの命を断つことになりました。
グルビッツがシュタージのメンバーを率いて家宅捜索に踏み込んだ際には、
既に、件のタイプライターは、何者かの手で隠し場所から持ち去られた後であり、
ドライマンは無事、危機を脱することができた ・・ というのに、です。

この映画は、とてもデリケートな問題を真摯に見つめています。
親しい者同士が、陰では、互いのことを監視・密告しなければ生きていけない社会が、
人々の心に、どれだけ深い傷を負わせることになるのか。
実際、ベルリンの壁が崩壊し、旧西独に吸収される形でドイツが統一された後も、
旧東独の人たちは、旧政府に強制されてきた後暗い過去を長く引きずり、
彼らの前には、大きな “ 心の壁 ” が立ち塞がっていたと言われています。
私たち観客は、クリスタはもちろん、ドライマンをも責めることはできません。

映画は統一後のドイツの様子も、描いていきます。
かつて自分が完全監視されていたことを、初めて知らされたドライマンは、
何故、あの時、罪に問われずに済んだのかを確かめる為に、
記念資料館へと赴き、自分に関する調査ファイルをすべて閲覧します。
当時の、クリスタとの生活が克明に綴られている記録。
ヘムプフ大臣の差し金で、彼女が非公式協力者にさせられた驚愕の事実。
そして、ある日を境に、ドライマンの不利となるような事柄が一切書かれなくなった
奇妙な報告書には、必ず、“ HGW XX/7 ” という記号が記されていました。

それは、Hauptmann Gerd Wiesler ―
シュタージの局員、ゲルド・ヴィースラー大尉のコードネームであり、
報告書の最終頁に付着した、赤インクによる指紋の汚れから、
ヴィースラーこそが、例の隠し場所からタイプライターを持ち出して証拠隠滅を図り、
ドライマンを救ってくれた恩人であったことを、彼は知ることになるのです。

ヴィースラーは、あの事件の後、
ドライマンを庇ったことを疑われ、グルビッツに睨まれて、
郵便物を開封する閑職へと、左遷されました。
ドイツ統一後も、元シュタージ職員という経歴が禍し、
広告配達のような、低賃金の仕事にしか就くことができないでいます。

黙々と、郵便受けに広告を入れていく
ヴィースラーの背中が、とても哀しい。。
彼はまた、社会の大勢の中で個性を押し殺し、
物言わぬ人へと戻ってしまったのでしょうか。

そんな、ある日。
ヴィースラーは通りがかった書店の前で、
ドライマンの新作ポスターが貼られているのを目にします。

仕事中にもかかわらず、店内へと入ったヴィースラーが、
『 善き人のためのソナタ 』 と題された、その作品を手に取り、
表紙を捲ると ―

そこに書かれていたのは、
“ 感謝とともに、HGW XX/7に捧げる ” という献辞。

この瞬間、涙が止まらなくなりました。

国家に翻弄され、権力に抑圧されながらも、
消え去ることのなかった、人々の内にある “ 善 ” なるもの。
東西統一後のドイツは、必ずしも、
すべての人に対して平等な幸せをもたらしたわけではなく、
厳しい現実が、いろいろと横たわっているけれど、
そこに、一筋でも光明がある限り、
後戻りすることなく、信じた道をすすんでいってほしい。
ドナースマルク監督の、祖国に対する想いが込められているように思いました。

映画のラスト。
レジで交わされる書店員とヴィースラーの会話が、すこぶるイイ。

「 包装しますか? 」
「 いや... これは、私のための本だから 」

この言葉を口にした時に見せた、
ヴィースラーの誇らしげな表情がすべてを物語っています。

出会えたことが嬉しい、とても素晴らしい作品でした。


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   映画 『 善き人のためのソナタ 』

  ◇原題:Das Leben der Anderen
  ◇関連サイト:公式サイト ( 日本版 ) / IMDb ( 関連ページ
  ◇鑑賞日:2007. 3.29. 映画館にて


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