“ Now ...perfected : my fighting Uruk-Hai. Whom do you serve? ” ( 映画 LOTR:FotR より ) |
今回の 「 登場人物別 :PJ版を振り返る 」 は、
サルマンについてです。
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“ 魅惑のサルマン voice ” という形容が似つかわしい、
リー様の美声を堪能できる場面といえば、やはり真っ先に挙げられるのは、
TTTでの、一万のオーク兵を見下ろしながらの演説でしょうか。
オルサンクの塔の高みから、< 声 > だけで群衆の心理をコントロールし、
たきつけ、扇動するシーンには、惚れ惚れしてしまうものがあります。
あとは、FotRのカラズラスでの呪文対決も、
映画限定ということであれば、なかなか聞き応えがあるなぁと思うのですが、
カラズラスの吹雪は、原作だと < 山 > そのものによる脅威だったため、
その辺りにこだわりのある原作既読者からは、
逆に、一言もの申したい場面ともなりえるようですね。
( 私自身は、映画的な選択肢の一つとして “ あり ” な改変だと思っています )
ところで、PJ版のサルマン関連のシーンで、
個人的に最も興味深かったのは、実は上記のいずれでもなく、
FotRで描かれた、ウルク=ハイ絡みのシークエンスです。
自らの術により創り出した、ウルク=ハイの誕生を目にしたときの
恍惚とした表情のサルマン が、とても印象的でした。
― 生命を創造する権限があるのは、唯一なる神イルーヴァタールだけである ―
『 シルマリルの物語 』 を読むと、しかし、
アウレは物を創ることへの純粋な欲求から、イルーヴァタールの許可なく、
ドワーフたちを創り出してしまったことが分かります。
アウレが遜り、ドワーフの七人の父祖たちが慈悲を乞うたため、
この件はイルーヴァタールに許されはしたものの、
ドワーフたちと、イルーヴァタールの長子であるエルフたちとのあいだには、
確執がもたらされるであろう種族としての運命を、予見されてしまいます。
中つ国における、両種族間の歴史に生じた暗い時代は、
種族の始源に起因する、試練であったというわけですね。
そしてまた、能力ある己に対する高慢と、支配への欲望に駆られたことで
悪へと堕落していったメルコールは、既に生ある者たちを捕らえ、
おぞましい まがい物としての種族 に変質させる悪行をおこないました。
この、禁忌にふれた、禍多き残忍な行為こそを、
メルコールの副官であったサウロンと、彼と手を組んだサルマンとが、
受け継ぐかのようにして実践したのです。
映画の中でサルマンは、ウルク=ハイに向かって次のような台詞を言います。
Do you know how the Orcs first came into being? They were elves once, taken by the dark powers. Tortured and mutilated: a ruined and terrible form of life. Now...perfected: my fighting Uruk-Hai. Whom do you serve? |
PJ版のサルマンは全体的に、< サウロンの手先 > という演出を、
原作以上に為されていたように思いますが、
上記の言葉には、創造主として、己が生みだした者たちに崇めさせんとし、
彼らを支配して意のままに操らんとする、
サルマンを悪へと導いた傲慢な野望が、如実に表現されており、
なかなか惹きつけるものがあります。
これぞ、まさしくサルマン! といった感じですね。
― さて。
PJ版のサルマンを語るのであれば、
あのこと については、避けて通れないような気がする一方で、
もう散々、あちこちで言い尽くされてきたことだから、
今更どうこう書く必要もないのかなぁ。。という思いもあったりはします。
例の、サルマン&グリマの登場シーンが、
RotK劇場版からすべてカットされた件です。
SEE版で復活したシーンを見て感じたことは、
カットされても仕方がなかったのかもしれない ・・ でした。
もちろん、アイゼンガルドでの一連のエピソードが入ることによって、
物語がより補足されることは確か なのですが、
劇場公開作品としての、鑑賞時のテンポ感と秤にかけた時に、
制作陣が、カットするのも “ 致し方なし ” とした、
そのプロセスが、何となく思い浮かんできてしまうのです。
PJ版のRotKにおける、アイゼンガルドの場面には、
次の3つのエピソードが盛り込まれていました。
1.ガンダルフとサルマンの、力の逆転
2.サルマンに残された、声と言葉の魔力
3.サルマンとグリマの最期
しかし、
1.については、原作既読者にはまったく不本意ながら、
TTTで、セオデンに憑依していたサルマンを、
ガンダルフの魔法で打ち破る場面として、既に描いてはいます。
2.については、サルマンによって心の隙をつかれるシーンがなくても、
己の迷いや弱さについては、誰よりも自分自身が一番わかっている。。
という視点で、ドラマを作ることも可能です。
3.については、実際に追加されたシーンの、
PJ趣味丸出しな演出を見るにつけ、
上記1~2の問題さえ解決するのであれば、
サルマンは、TTTでエントたちに完膚なきまでに敗れて、
もはや反撃する余力は残っていない。。という流れにしてしまおう!
そうすれば、PJが一番気に入っているバージョンで
サルマンの最期を描くこともできるし、
どうにもしっくりとこない、レゴラスに射られて絶命するグリマの展開だって、
何とかおさまるかもしれない。。
というようにして、最終的にすべてのカット理由が成り立ったのではないかと、
ついつい、邪推してしまうわけです (汗)
でもこれは、RotKでのアイゼンガルドのシーンを、
PJが軽んじていたというよりも、
逆に、撮影済みのエピソードを何とか < 絵 > として残したいと
こだわり過ぎたために、結局は時間切れとなってしまい、
あのような全面カットという、
最悪の事態を招いてしまったようにも思えるのですよね。
< 絵 > として、このシークエンスを語ることに執着さえしなければ、
それこそ、アイゼンガルドに残っていた木の鬚の台詞に絡めて、
劇場版 「 ボロミア回想シーン 」 でもお馴染みの、
“ サブリミナルな登場 ” で、
サルマン&グリマの姿を映すという手段があります。
確かに、妥協案には違いないですが、
あのような、映画公開直前に署名騒ぎが起きるほどの
問題にはならなかったと思います。
そして、SEE版では上記のサブリミナル回想シーンを差し替えて、
追加場面も含めた現状の形に編集し直すなど、
もう少し、どうにかする方法はなかったのでしょうかね。。
せっかくの三部作最終章で、
サルマンとグリマが、劇場版に一度も登場しなかったというのは、
返すがえすも、残念なことでした。