子供に対する接し方は難しい。私の子供たちはいずれも40歳近くになり、とても「子供」と呼べる年齢ではない。孫たちは4歳と7歳だから、まさに「子供」と呼ぶに相応しい年齢だが、彼らに対してどう接したら良いかを考えると、その難しさがよくわかる。彼らには自由に、のびのび育って欲しいと思う。そして幸せになって欲しいと思う。ジイジとしてはこれは当然の願いである。そう、自由に、のびのびと。私は自分の偏狭な価値観を、彼らに押しつけようとは思わない。
だが、彼らがどうしたら幸せになれるかを考えると、私の「自由に、のびのびと」の思いはたちまち暗礁に乗り上げる。自由に、のびのびと育てたのでは、今の日本の学歴社会では、落ちこぼれる可能性がきわめて高くなる。その結果、彼らは宝くじにでも当たらない限り、十中八九、社会の底辺で不幸な生涯を送ることになるだろう。そうならないためには、彼らを早くから学習塾に通わせ、有名中学に、有名高校に、そして有名大学に合格させることが必要になる。
つまり私は、世のほとんどの父親や母親と同様、彼らを今の社会の仕組みに適合するよう、一定の型にはめなければ、と考えることになる。私は今の「お受験」の風潮を嫌い、馬鹿にし、そんな窮屈な型になどはめずに、自由にのびのびと育てたい/育って欲しいと願っているが、それにも拘わらず、そういうことになるのである。
この世の中は厳しい生存競争の社会である。競争がある以上、競争には勝たなければならない。落ちこぼれないためには、彼らは競争に勝てる人間にならなければならない。
他方で、彼らにはそういう競争に無縁のまま、のほほんと、のんびりと、おおらかに生きて欲しいと願うジイジは、すぐさま困難に突き当たり、こう思うのである。まあ、そんなに難しく考えることはない。なるようになるさ。どうせなるようにしかならないのだし・・・。
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